〚第三十七話:帝都への胎動、あるいは進化の予兆〛
神狼のねぐらで、夜明けと共に木刀が空を切る音が響く。
フレイの完全回復を待ちながらの特訓も、今日で一週間が経過した。
ぼくは、ショートソードの独特な重みと間合いに、ようやく身体が馴染んできたのを感じていた。
足の運び、剣先の震えを抑える握力――ハンスさんの指導は、ぼくのような素人の感覚を的確に言語化してくれる。
しかし、ぼく以上に変化を見せていたのは、イリスだった。
「イリス、もう一度! 踏み込みが甘いわよ!」
ハンスさんの鋭い声。イリスは短い棒を構え、深く息を吐く。
修行初日は魔法使いらしく、その動きはどこかぎこちなく、自身の肢体を持て余しているようだった。
それが、三日目には迷いが消え、五日目には、まるでもう一本の腕のように剣(棒)が彼女の意思に同調し始めた。
「ハンスさん……。イリスってさ、上達が早すぎない?」
ぼくは、休憩の合間にハンスさんへ囁いた。
「ええ……正直、少し怖いくらいよ」
ハンスさんは、実戦形式で素振りをするイリスの背中を見つめ、複雑な表情を浮かべた。
「最初は魔法使い特有の、身体能力の欠如だと思ってた。でも、違う。彼女、身体の使い方が、日に日に『獣』のように合理的になっていくの」
「もしかして、魔法より剣の才能が……?」
「わからないわ。でも、ただの技術じゃない。もっと深いところで何かが――」
その時、いつの間にか神狼がぼくたちの背後に立っていた。黄金の瞳が、舞うように動くイリスを静かに見つめている。
「……興味深いの。あの娘の魂は、今、脱皮を始めようとしておる」
「脱皮……ですか?」
「うむ。魔法使いとしての精神の流れが、別の異質な何かへと混ざり始めておる。……だが、まだ形にはなっておらんな。殻を破るには、あともう一押しというところか」
神狼はそれ以上は語らず、霧の立ち込める山道へと静かに消えていった。
その夜、焚き火の爆ぜる音を聞きながら、イリスが自身の掌を見つめて呟いた。
「不思議なの、マリオ。剣を振っているとき、魔法の詠唱をしているときと似た感覚があるの。魔力が、指先から刃の先まで繋がるような……でも、少し違う、もっと熱い何か」
「精神の流れが変わっている、って神狼さまが言ってた。……イリス、君の中で、何か新しい力が目覚めようとしてるのかもね」
「私の中に、新しい力……」
イリスは首を傾げたが、その瞳には以前のような「自信のなさ」ではなく、未知の自分に対する静かな期待が宿っていた。
翌朝。フレイが大きく欠伸をして、ぼくの肩に飛び乗った。
そして、ぼくは神狼に問いかけてみた。
「神狼さま……フレイの調子はどうですか?」
「……うむ。おかげで随分と回復したようじゃ。もうよいぞ」
「ワシは大丈夫じゃと言っておるのに……過保護な親を持つと困るのう」
フレイが笑いながら言う。いつもの調子が戻ってきたようだ。
「心配してるんだよ。ところで……隣の国までって、ここからどのくらいかかるの?」
「そうねえ……歩いて2日半というところかしら」
ハンスさんが答える。
「ここまで来たんだから、隣の国にも行って情報を集めてみたいな。セイドゥ=ムアンバの情報とか……」
「あー。でも、そこまで離れると結界を張れなくなっちゃうの?」
「それはない。ワシの本体は大魔王のところにあると言っておろうが。そこからイナンナの街まで張っておるのじゃ」
「うーん。以前から気になってたんだけど、フレイの本体には意識はあるの?」
「当然じゃ。時空結界の中で時間が止まっているだけでな……」
「もっとわかりやすく言えば、時間が止まっているというのは時空結界の外の時間が早く流れているだけじゃ。超高速でな」
「じゃから、ワシの感覚としては200年など昨日のことのようじゃ」
「でも…退屈での。そんな退屈しのぎに時空結界の外に自分の人形を作ってあれこれやっとるのが今のワシじゃ」
「もちろん同じように大魔王も裏であれこれやっておる。なんぞ企んでおるようじゃが、ワシにはわからん」
「大魔王も!?」
「じゃあ…なおさら急がないといけないかもしれない。セイドゥ=ムアンバに会いたいんだ」
「それはかまわんが……その前に、だ」
ロジャーが口を挟む。
「先に冒険者ギルドに戻って、今回の報酬をもらうんだ」
「あ! そうか。でも、神狼さまを街道から移動させた証明ってどうするの?」
「もう冒険者ギルドには情報は届いてるはずだ。街道で立ち往生してた貿易のキャラバン隊がオレ達を見てただろう?」
「あー。確かに。ぼくが神狼さまに話しかけに行ったとき、目を丸くして見てたね」
「そんな、普通で言えば命知らずの情報が行き届くのは時間の問題だ」
「ハンスでもイリスでもいい。さっさと冒険者ギルドにテレポートしろ。報酬をいただいたら隣の国……帝都ウルクスに行くぞ」
「じゃあ…ワタシが」
ハンスさんがテレポートの詠唱を唱えると、いつものように直径10mほどの五芒星形に地面が光り始める
「神狼さま。ありがとう。また来るよ」
「母さま。またね〜」
「いつでも来るがいい」
神狼はそう言って、最後にイリスを見つめた。
「イリスよ。ヌシの中で眠っておるものが目覚める日も近かろう。恐れるでない」
「え……?」
イリスが戸惑った表情を見せたが、神狼はそれ以上は語らなかった。
「テレポート!」
ぼくたちが冒険者ギルドに戻ると、ロジャーが言ってた通り情報は広まっていた。
冒険者たちに、どうやって神狼を説得したのか質問攻めにあいながら報酬を得る。
「す、すごい……10万ファナンだって……どうしよう? こんな大金持ち運べないよ」
ロジャーは心当たりがあるようだ。
「宝石商のところに行くぞ」
マリオも一瞬にして理解する。
「あ! そうか! 価値のある物に変えればいいんだ。金(Gold)や宝石……」
ロジャーは手慣れた様子で宝石商と交渉をする。ぼくたちは見守る。
「チッ! しけてやがる。しかし、まぁどんなに買い叩かれても8万ファナンにはなる程度の量は確保した」
「マリオ。お前が持っとけ。オレは戦いなどで動き回るからな。落とすんじゃねえぞ」
「待ってよ。凄いプレッシャーなんだけど」
「その程度のことができなくてフレイを助けられるか! おら行くぞ! もう一度神狼のねぐら近くにテレポートだ」
ぼくたちは神狼のねぐらにほど近い場所にテレポートした。
そして……色々と話をしながら向かう。
「帝都ウルクスってどんなところなの?」
「帝都ウルクスは文字通り現皇帝オルフェウス3世が治めるところよ」
「唯一この世界を統一した初代皇帝ヒューリーの直系の子孫よ」
「ヒューリー!? 確か4人の英雄の一人だ」
「ヒューリーは他の英雄とは違い、戦乱続きだった世界を戦略や交渉など武力も交えながら統一した人なの」
「頭が良い人だったんだね」
「じゃあ……残る1人のファナンは?」
「こちらも国の礎になった人ね。騎士でありながら現在の通貨だとか金融の基礎を築いた人ね」
「世界の政治の中心がこの帝都ウルクス。金融の中心がワタシたちが住んでる王都エリドゥーシュよ」
「ファナンが生まれた国でもあるわね」
マリオはその歴史上の偉人たちと肩を並べるフレイを見ながら目を丸くして言った。
「え? そしたらフレイちゃんって……もしかしてすごい人なの?」
「たわけめ! ワシがいなければ世界はとっくに滅亡しておったわ!」
「いや、わかってたんだけどさ……煽りカスじゃん?」
「誰が煽りカスじゃ! 今朝のだってヌシが言っておったことじゃろうが!」
「それに、童貞煽りしてたのはマリオ……ヌシではないか!」
「だから夢の中なんだって! でも……度々イリスにも煽ってるじゃん。悔しかろ?とか言って」
「え、えっと。師匠さまは人気投票で1位になりたいだけなの。私は大丈夫」
「イリスや……そこまでして好感度上げたいのか? そうやって人畜無害を装いよって」
「師匠さま。ち、違います。師匠さまに人気投票で勝てるわけがありませんから、人畜無害を装っても無駄です」
「おほほ、いい心がけじゃ。マリオとは違うのう。まぁマリオなぞ人気投票最下位であろうがな」
「否定はしないけど…ほら……煽りカスじゃん」
「いやいや。否定してもらわねば困る」
「華がないとはいえ、主人公が人気投票で冒険者ギルドの受付のお姉ちゃんにも勝てないようではの」
「そういうことがある、それが絵師ガチャなんだって。このケースは受付のお姉ちゃんを可愛すぎるように描いた絵師のせい」
「仮に絵師に悪意があれば、フレイだって人気最下位だよ」
「なんじゃと! 絵師というものはそれほどまでに権力を持っておるのか?」
「では、まずは絵師というものを消さねばならぬか。純粋にキャラの魅力で人気は示されるべきじゃ」
「キャラだけは立ってるよね…フレイちゃんは」
「おっさんの作者、絵師。ワシには消さねばならぬ相手がたくさんいるようじゃ」
「もっと媚びていくほうが良くない? たぶんその方が楽だと思うよ」
「む? 作者のおっさん…ではない。イケメン作者さま❤とかかえ?」
「そうそう」
「ちょーかわいい絵師さま❤いつもかわいく描いてくれてありがと❤とかか?」
「いいね!」
「………ではこれからはそうするか」
「……むっちゃ主義捨てるの早いね」
「なんの役にも立たぬ主義などゴミじゃ。必要はない」
「すんごい合理的効率主義だよね。フレイちゃんはホントに中身おっさんだよね」
「だからおっさんの作者のせい…ではなくイケメン作者のせいだと言っておろうが!」
「生産性がないものが嫌いなだけじゃ。もう飽きたしさっさと帝都ウルクスに着くぞ」
ぼくたちは帝都ウルクスに着いた。この世界に来て、エリドゥーシュ以外の国は初めてだ。
そして……ぼくもイリスも、まだ気づいていなかった。
イリスの中で、何かが確実に目覚めつつあることに。
帝都の巨大な門を潜り、石畳の道を歩く。
賑やかな街並み。
この帝都でどんな波乱を呼ぶのか。ぼくは期待と、わずかな不安を胸に、巨大な帝都の喧騒へと足を踏み入れた。




