82 恐怖の告白:背中の傷と過去の悪夢
次の日。お店に来たお客さんに「エイラさん、御子役に決まってんだって?」と言われた。
もう噂が一人歩きしているのか。
「いや、話はあったけれどまだ決まってはいないですよ」と、当たり障りなく答えておいた。
たまに来てくれる、彼女を御子様だと思い込んでいる幼い子供も「御子様、お祭り出ないの?」と言う始末だ。
だいぶ期待されている。
みんな口々に「お似合いなのに残念だ」と言う。
その日の晩、彼女がやっとその話題に触れた。
食卓を囲みながら、沈黙が続いていた空気が、彼女の小さな声で破られた。
「…どうやったら上手に断れると思う?」
断る前提で相談されたことに、俺は少し驚いた。
やはり、彼女は乗り気じゃないのか。
「嫌なの?」
「…嫌っていうか…」
なんだか歯切れが悪い。普段の彼女らしくない。
何か、言葉にできない理由があるのだろうか。
俺は、静かに彼女の言葉を待った。
「…怖いの」
彼女は、普段の落ち着きを失い、かすかに震えているようだった。
その言葉に、俺の心臓はドクンと音を立てた。
「怖い?」
意味がよくわからない。
彼女は、あまりはっきりとは言わないが、この銀の髪に赤い瞳のせいで、これまであまり良い思いはしてきていないことは多少知っている。
それでも、御子様信仰のあるこの町は、彼女にとっては住みよい町ではないのか。
ここでなら、彼女は特別な存在として受け入れられていると思っていたのに。
「…お祭りだと、いろいろな人、来るでしょ?」
「まあ、そうだろうね。近隣の町からも人が来るだろうし」
「…あの人、来るかもしれないし…」
「あの人?」
彼女ラの顔色が、みるみるうちに青ざめていくのが分かった。
その瞳には、深い恐怖が宿っている。
そして、次の言葉で、俺の胸は締め付けられた。
「……背中の傷をつけた人…」
ドクンと心臓が鳴った。
あの、大きな傷。
ただのケガじゃないとは思っていたが、まさかそこに繋がるのか。
俺の脳裏に、背中の大きな傷跡が鮮明に浮かび上がった。
「ここに来る前、勤めていた製薬商の社長が…私の体が薬になるからって、目と耳を寄越せって言われて…」
彼女の声は、絞り出すようで、すでに涙声だった。
その震える声が、俺の心臓を鷲掴みにする。
俺は、ただ言葉を失った。
あの壮絶な傷が、そんな狂気的な目的のために付けられたものだったとは。
「そのために私を飼っていたと言われたの。死なない程度に少しずつ体を切り取ろうとしていたみたい。…抵抗はしたんだけどやっぱり無理で…逃げる時に、切られて…最後、向こうは殺すつもり…だった…」
彼女は、途切れ途切れに、その壮絶な体験を語った。
涙が、彼女の頬を伝って流れ落ちる。
古代の迷信が、現代で、彼女自身の身に起きていたとは、信じがたい。
「…それまでは、良い人…だったの。でも、それは、私の体に価値があったからで…人としてじゃなくて、物としての価値で…」
その言葉は、彼女の心がどれほど深く傷ついているかを物語っていた。
信頼していた人間に裏切られた絶望が、深く刻まれているのだ。エイラの震える肩を、俺はただ見つめることしかできなかった。
「本当はね、町の人達が私のこと押してくれるのは、嬉しいの。でも、またあの人が…関係者が私を探し出して殺しにきたりしに来ない?」
返事に詰まった。
俺ひとりがどうこうできる問題じゃない。この計り知れない恐怖の前で、俺は無力だった。
「…エイラさん、やりたくないんじゃなくて、怖いから断りたいってこと…?」
彼女は小さく頷いた。その瞳には、今もなお消えない恐怖の色が宿っていた。
「…今も時々夢に見るくらい…怖い…」
いつかの夜、うなされていたのはそういうことか。




