73 チューリップの悲劇、まさかのバレンタイン
俺達の初めてのバレンタインの次の日の朝も彼女謝ってきた。
確かにちょっと落ち込んだけど必死に謝る姿がなんだか面白くて、もうどうでもよくなった。
何でも言うことも聞いてくれると言っていたし、何でも作ってくれるともと言ってくれた。何より来年の約束もしてくれたので、それで手を打った。
《何でも言うことを聞く》
まぁ、結局この約束はしばらく忘れることになるのだが。
そして、数カ月後の俺によくぞ使わずに取っておいた!と褒められることになるなんてこの時は微塵も思っていなかった。
バレンタイン当日の怒涛の疲労も癒えぬうち、俺たちはさらに深い疲労感を抱えることになった。
バレンタインの数日後、ダニエル君が訪ねてきた。
俺も彼女も、彼がうまくいったのか、いかなかったのか、気になって仕方なかった。相手のあることだから、ダメな場合もある。
それは理解しているから、もしダメだったとしても優しく迎えてあげようと、彼女とも話していた。
「元気?あの日、どうなった?」
俺は努めて明るく声をかけた。
ダニエル君は「あの……えっと……」と言葉を濁している。
彼女もダニエル君に気づいて厨房から出てきた。
その時、ふと、店の外にマスタード色のコートの影が見えた。メアリーちゃんだ。
今日はドーナツの日。
そして、そろそろメアリーが配達の途中に寄る時間だ。
なんだか、鉢合わせしてはいけない気がした。
俺はそう察知して、ダニエル君の腕を引っ張り、彼女も俺の意図に気づいたようで、さらにダニエルを奥のバックヤードに押し込んだ。
「こんにちはー!ドーナッツ下さいな!」
いつもの元気なメアリーちゃんの声が響いた。
俺はドーナツをひとつ渡す。メアリーちゃんはショーケースを見て、「あれ?カップケーキはないの?」と、聞いてきた。
((キタ!!))
俺も彼女も同時に思った。
「まだ店に出てないんだよ。3月の新作の、予定」
俺はとっさにそう答えた。
「?そうなの?なんかさ、私が師匠と出張に行ってる間に、ダニエルがカップケーキのセットを置いていったんだよね」
ものすごく、嫌な予感がした。嫌な汗が背中を伝う。
恐る恐る聞いてみた。
「メアリーちゃん、出張っていつまでだったの?」
「13日から15日の間、首都の方に行ってきたよ。もうね、すごい勉強になったの!」
メアリーちゃんは、キラキラした瞳で、嬉しそうに熱弁する。
(バレンタイン当日はいなかったんかい!!)
俺は心の中で叫んだ。
ダニエル!メアリーの予定くらい把握しておけ!!
もう、なんか、最悪の展開が予想できた。
彼女も隣で頭を抱えている。
「メアリーちゃん、そのカップケーキ食べた?」
彼女が、縋るような声で聞いた。
「帰ってきてから食べたよ!超おいしかった!しかもすっごい可愛いし!師匠もサラ姉さんもおじさんも感心してたよ!」
師匠とは、メアリーちゃんが師事しているデザイナー兼洋品店の店長。
サラ姉さんとは、メアリーちゃんの姉弟子。
ここまではいい。
(誰、おじさんて)
俺はもう心折れそうだった。
「メアリーちゃん、おじさんって誰……?」
「納品業者のおじさん。ちょうどいたから、4人でお茶したの」
メアリーちゃんは、ドーナツを頬張りながら、あっけらかんと言った。
「……メアリーちゃん、何色のカップケーキ食べたの?」
彼女の声が心なしか震えている気がした。せめて、赤、もしくは、ピンクでも良い。
《愛の告白》《不滅の愛》
「黄色!」
(=明るい子)
俺と彼女は顔を見合わせた。
「ちなみに赤は誰が食べた?」
もうどうでもよくなったが、一応聞いておく。
「おじさん」
俺たちは全身から力が抜けていくのを感じた。
「ちなみに、ピンクが師匠で、紫はサラ姉さん。あれ?カイさんもエイラさんも顔色悪くない?」
メアリーちゃんが不思議そうに首を傾げた。
「……ううん、気の所為だよ。そうだね、その色のコートも似合うもんね」
俺は、精一杯の笑顔を作って答えた。
「でしょ!いい色でしょ?今年の流行りは黄色なんだって!これも首都に行ったときに買ってきたんだ!」
メアリーちゃんは、ドーナツを食べながら、明るく元気いっぱいに説明してくれる。
そうして、そろそろ時間だからと、嵐のように去っていった。
静かになった店では、俺も彼女も頭を抱えていた。
何一つ伝わっていない。
たぶん、ただの差し入れ程度にしか思われていない。
こっちはあんなに一生懸命、時間をかけて悩んで、準備したのに。
なんなら、俺のバレンタインだって犠牲になったっていうのに。
振られるとか以前の問題だ。
スタート地点にすら立てていない。
ダニエル君が、申し訳なさそうにバックヤードから出てきた。
「……すみません……」
俺たちはもう、ため息しか出ない。
「……まず、向こうの通りの床屋で髪を切ってもらえ。それからだ。始めから、その顔を使えば良かったんだよ……」
俺がそう言うと、彼女は疲れ切った表情で言った。
「……カイさん、私、先に休憩行ってもいいかしら……」
俺はダニエル君を追い出し、店のドアに【外出中】の札をかけた。俺もちょっと閉店まで働けるか分からないくらい、どっと疲労が襲ってきた。
「メアリーちゃんの運命の人は、ダニエル君じゃない気がする……」
彼女が力なく呟いた。
「……俺も思った」
30分ほど二人は無言の反省会をして、なんとか閉店まで乗り切った。




