66 穏やかな寝顔、募る不安
メアリーちゃんの運命の人発言のおかげで、彼女が俺の過去の恋愛遍歴に興味を持ってしまって追及から逃れるのが大変だった。
最終的に無視を決め込んで逃れたので完全な解決ではない。
明日以降、蒸し返されないことを祈るばかりだ。
しばらくは俺の肩を揺らしたり話しかけてきて、なかなかにしつこかったが諦めて寝たようだ。
背中の方から規則正しい寝息が聞こえてくる。
完全に寝た気配を確認し、俺は彼女の方に体を向けた。
彼女はあおむけで少しこちらに首を傾げて寝ている。
薪は高いままだし、寒波は通り過ぎたがまだ寒い日々が続いている。
売り切れだった毛布の購入には二人とも行っていない。
寒波は結局例年より長く居座った。寒さをしのぐため同じベットで寝るということにしたが、寒波はとっくにいなくなった。なのに未だになんとなくお互い言い出さず同じベットで寝ている。
普通ならありえない話だが、なぜか彼女との間では成立してしまった。
初めの頃は少々の気まずさもあって、話す言葉も少なかったが今では寝る前にたわいのない話をしながら眠りに落ちることもしばしばだ。
隣で穏やかな顔をして寝ている。
彼女は俺が過去、数々の女と遊んでいたと思い込んでいている。
いや、あながち間違ってはいないけれど合っているとも言い難い。
あれは恋愛と呼んでもいいんだろうかと自分でも疑問に思うような関係ばかりだった。
なんとなーくあちらから求められて、なんとなーくな関係になっていつの間にか終わっていた、みたいな。
そんな付き合いばかりだったから運命の相手なんて見つかるはずもなく。
そもそも、この世に存在しているのかもわからないし。
皆が皆、運命の出会いがあるわけではないのだ。
まぁ、数打てば当たる可能性もないことはないが。
ひとつ気になったのが、
《カイさんがいなくなったら、私も頑張って、少し遊んでみたりしたらいいのかしら》
「遊ぶ」という点については全力で止めたが、「カイさんがいなくなったら」の言葉が、なぜか俺の心に大きく響いた。
これは契約終了後のことを言っていたのだと思う。
たまに忘れそうになるが、お互いの目的のために俺たちは偽装で夫婦をやっているに過ぎない関係なのだ。
彼女は店舗買取の資金を貯めるため。
俺は借金返済のため。
初め、契約のためにいろいろな事項を決めておいた。その中に、こんな条項があった。
【もし、どちらか一方、または双方に、心から愛する相手が現れた場合は、その時点でこの偽装結婚の解消について、速やかに話し合いを行うものとする。】
もし、彼女が突然運命の人に出会ってしまったら話し合いをしなければならない。
話し合いによっては解消も十分あり得る話だ。
資金が貯まるまでとか言いながら、彼女の運命の人がお金持ちだったりしたら、店舗の購入資金が一気に解決して、追い出されてしまうのは俺だ。
もしくはその運命の人と、他に行ってしまう可能性もある。
穏やかに寝ている彼女の、口元にかかっている髪の毛をそっと指で払ってやる。
髪は、俺の指先でサラリと滑り落ちた。
あちこち放浪して、ひとつの場所に定住しない生活を続けてきた。単にいろいろなものを見てみたい、いろいろな国に行ってみたいという興味だけで動いてきた。
借金を背負って状況は少し変わってしまったが毎日同じ場所で生活しているのが未だに不思議だ。
半年くらい前の自分はこんな生活をしているなんて思ってもいなかった。
恋愛関係でもない女の隣で寝て、その女と毎日食事をして、仕事をして、ドーナッツを作っているだなんて想像すらしていなかった。そしてその生活が別に嫌でもないのだ。
彼女は今まで付き合ってきた女とはタイプが全然違う。
見た目こそ、普通より目を引く容姿だが、中身は自己主張が控えめで、感情をあまり表に出さない。最初はどう接したらいいか分からないところもあったけれど、よくよく付き合ってみれば、真面目で、細やかな気配りができ、それでいて芯の通った優しい、ごく普通の女の子だった。
からかうとちょっとむくれたりするところもかわいい。
この穏やかな時間も、いつか終わりが来る。
そう思うと、胸の奥が、締め付けられるように切なくなった。
放浪癖があった俺が、この店に、この場所に、そして彼女の隣にいることに、不思議なほど馴染んでしまっている。
もし、彼女がいなくなってしまったら……その想像は、胸の奥をぎゅっと締め付けるような、言い知れぬ不安をもたらした。
彼女にとっての「運命の人」が現れる日が、どうか、まだずっと先でありますように。俺は静かに、隣から聞こえる穏やかな寝息を聞きながら目を閉じた。




