61 予期せぬ出費と三度目の夜 後編
「……エイラさん」
「何、カイさん」
五枚の毛布に包まれたベッドの中で、二人は背中合わせに横になっていた。昨日のぎこちなさと遠慮は薄れ、今日はもう、仕方ない、と諦めだ
背後から感じる彼女の温もりは、もう気まずさではなく、自然な安堵感をもたらす。
「薪のこと、ちゃんと調べてなくてごめんね」
俺がぽつりと言うと、彼女は小さく笑った。
「カイさんだけのせいじゃないわ。でも、あんなに慌てたカイさん、初めて見たわ」
冗談めかした彼女の言葉に、俺もクスッと笑う。昨晩の緊迫した空気は、もうここにはない。
「まさか、薪の値段が時期で変わるなんて知らなかった」
「そうね。私も知らなかったわ。来年は気をつけましょうね」
短い会話が、闇の中に溶けていく。沈黙が訪れるが、それはもう、気まずいものではない。心地よい静けさだった。
「ねぇ、カイさん。バレンタインのメニュー、最終調整したんだけど、ちょっと聞いてもらえる?」
彼女の声が、少しだけ弾んでいる。昼間、客足が少ない合間に、彼女は次の季節の準備を進めていたのだ。
「いいよ」
俺は体を彼女の方に向けた。彼女はは、頭の上の棚からノートを取り出し、うつぶせに体勢を変え、それを開く。小さくしたランプの明かりがノートのページと彼女の横顔をを淡く照らす。
「まず、トリュフ、ガトーショコラ、チョコレートテリーヌ…ガトーショコラはドライフルーツをたくさん入れようと思ってて……」
「全部おいしそうだね。いくつかはバレンタインが、終わってからも置こうよ。
あと、俺、ブランデーが入ったチョコのケーキも食べたい」
「えー?私、きっと味見できないから作れるかしら。あとね…」
彼女は、熱心に説明を始める。その声は、昼間の仕事とは違う、少しだけ弾んだ響きがあった。俺は、彼女の語りに耳を傾けながら、隣からの温かさを改めて感じていた。
彼女には絶対言えないが、今までは正直、女と同じベッドに入ってやることなんて、ひとつしかないと思っていた。
これまで関係を持ってきた女たちとは、いつもそうだった。目的がはっきりしていて、そこに穏やかな語らいや、こんな風に語り合う時間など存在しなかった。
むしろ、そんなことをしたいとも思ったことがない。
だが、彼女とは、この何でもない時間が嫌じゃない。むしろ心地よいとさえ感じている。こんな風に、他愛もない話や仕事の話ができることの安心感。
それは、これまで過ごしてきた夜には決してなかった、新しい感覚だった。俺の心の中に、今まで知らなかった感情がじわじわと広がっていくのを感じた。
「あとは、定番のクッキーを何種類か。それから、プレゼント用に、小さなバスケットや可愛い缶を用意して、何種類か詰め合わせるのもいいと…思うん…だけど……」
彼女の声が、次第に眠気を帯びてくる。
「……エイラさん?」
俺が声をかけると、彼女はもう、すっかり寝息を立てていた。ノートは開かれたまま、そこに顔を埋めている。
俺はそっと手を伸ばし、ノートを閉じ、棚に戻した。毛布から肩がでていたので毛布を引っ張ってかけてやった。
隣の彼女の温かい体温が心地よい。
寒波はまだ終わらなそうだ。
もし終わっても、この暖かさを知ると、元の隙間風の入る自分の部屋に戻るのが憂鬱だ。あの部屋が、どれほど冷たく感じられるか、もう考えたくもなかった。
明日もまた、隣で目覚める彼女の寝顔を見ることができるだろう。そして、こんな夜が、あと何日続くのか。寒波はいつ終わるのだろうか。
そんなことを考えながら眠りの底に落ちていった。
前回、切りのいいところで切ったので今日は短め。




