56 極寒の夜、酔ったエイラの突撃 前編
彼女の体調も戻り、いつも通りの生活が戻った。
なぜか今日の客足はまばらだ。
来店するお客さんたちが口々に「そろそろ寒波が来るから備えなさいね」と言い残して帰っていく。
1月の末に訪れる寒波。
特に3日から一週間ほど続く最強寒波は強力だと、ジョンさんも言っていた。これが過ぎると、だんだん春めいてくるという話だ。
でも、まぁ、ここはもともとそんなに雪の多い地方でもないし3日やそこらだっていうからなんとかなるだろう。
彼女も、自分は北の方で育ったから暑いより寒い方がマシだと言っていたし。
そこまで心配はしていなかった。
それでも、皆が口々に言うから、湯たんぽでも買っておくかとそれぞれで用意した。
その日も客足は少なく、夕方に訪れたお客が「今夜あたりから冷えるよ」と言い残して帰っていった。
夕食を食べていると、外の風がだいぶ強くなってきているのが分かった。
窓がガタガタ揺れる。
「何だか、冷えてきてわね」
彼女が言う。
「この寒さがいけば春めいてくるんだって」
「早く春が来るといいわね」
そんないつも通りの会話をして夕食を終えた。
この時点ではまだ、お互いが気づいていなかった。
ふたりとも最強寒波を舐めていたことを。
思えば、皆、忠告していてくれたのだ。
きこりのジョンさんだって念を押すように薪の量はこれでいいのか言っていた。
大げさだなと内心思っていた自分を殴りたい。
風呂上がりも冷える。
確かに冬だから寒いけれど今日の寒さはこれまでの比ではなかった。
体が芯から冷え切るような感覚に、思わず身震いする。冷え切る前に、寝ようと彼女と二人で湯たんぽにお湯を入れ、そのままお互いの寝室に引っ込んだ。
布団に入っても全然あったまらない。
ビュービュー聞こえる風の音が寒さを一層引き立ててる気がする。
自分の部屋は角部屋で窓が多いため、夏はたぶん風通しがいい。でも、その分冬は寒い。窓からの冷気が室内に容赦なく入り込み、今日はまさに極寒。布団に入っても全然温まらない。
ビュービューと吹き荒れる風の音が、寒さを一層引き立てる気がする。
窓の外は、ちらちらと雪が舞い始め、風が隙間風となって室内に吹き込む。
毛布は合計3枚。2枚だったのを年が明けてから1枚買い足した。これで冬は乗り切れると思っていたのに、全く足りていない。全然寒い。眠れない。
湯たんぽのお湯、もう一回熱いのに入れ替えたらマシになるだろうか。
隣の部屋で彼女の動く気配がする。
1階に降りたようだ。
湯たんぽのお湯を、替えるなら便乗したい。
そう思って俺も上着を羽織って1階に湯たんぽを持って降りた。
「さっむ」
そう思わず口から出てしまう寒さ。
彼女は厨房にいるようだが、お湯を沸かしている気配がない。
戸棚をガサガサしている音が聞こえる。一体何をしているんだ。
「エイラさん、何してるの?」
「ごほっ」
普通に声をかけたつもりだったのに、何故か彼女はびくっと肩を震わせ、何かにむせている。
「どうしたの?」
ハッとなって彼女に近づいたらコップを持ってむせていた。
片手にはワインボトル、もう片方の手にあったコップの中身は…
「これ、飲んだの?!」
それはクリスマスの時、彼女を二日酔いにさせたワインの残りだった。
コップにはまだ半分ほどワインが残っている。
「飲んじゃダメって言っただろう」
俺が呆れたように言うと、彼女はむせた拍子に潤んだ瞳で俺を見た。その視線に、俺は一瞬たじろいだ。
「だって、それは外での話でしょ……?今は、家の中だし……」
「…エイラさん、どれくらい飲んだ?」
「……」
返事をしない彼女に、俺は問い詰めるように言葉を重ねる。
「…の、ん、だ、よ、ね」
「…コップの半分くらい…」
「もう、飲んじゃだめって言ったじゃん」
「飲むとあったかくなるし…。年末、コップ1杯だけだったら二日酔にならなかったからいいかな〜って…」
とぼけたような言い訳に、思わずため息が出た。お酒、激弱なの自覚して…。
そもそも、年末もそのくらいの量で理性なくして武勇伝かましたじゃないか。
俺はワインを取り上げた。これ以上飲ませるわけにはいかない。
「寒いのはわかるけどもう、ダメ」
薪はいくらかあるが、この冷え込みで夜通し焚くには心許ない量だ。明後日に届くはずの配達を待つしかない。今使ってしまえば、明日以降の店を温める分までなくなってしまう。完全に、見誤った。
ジョンさんがこの間言ってたのはこのことがと、あとから後悔した。
2人で、さすがにこれくらいの薪があれば間に合うよね、と軽い気持ちでいたあの時に戻りたい。
「本当に寒くて眠れないの。お酒でちょっとでもあったまったらいいなって」
「エイラさんの部屋、窓1個しかないし小さいから俺の部屋よりはあったかいでしょ」
「それでも、今日は異常よ。毛布買っておけば良かった…」
「何枚?」
「2枚。今日は足りないわ」
このままだと、彼女がまた風邪を引いてしまうかもしれない。彼女が体調を崩せば、店の営業にもが関わる。それは避けたい。
「エイラさん、俺の毛布、一枚持って行っていいよ。3枚あれば、俺の部屋より君の部屋の方がマシなはずだ」
俺がそう提案すると、彼女はすぐに首を横に振った。その頬は、酔いが回ってきたのか少し赤くなっている。
「だ、だめよ!そうしたらカイさんが風邪を引いてしまうじゃない!」
彼女の言う通りだ。俺が風邪を引けば、彼女の不在ほどではないが、店の方にも多少影響が出る。だが、このままでは、二人とも凍えてしまう。
でも、それでも方法はほかにないじゃないか。
彼女は突然、俺の腕を掴んだ。その小さな手から、信じられないほどの力が込められている。
「カイさん、寒いなら……来て!!」
そう言って、彼女はぐいっと俺の腕を引っ張った。その力に、俺は体勢を崩し、思わず彼女の2階の部屋へと引きずり込まれる。




