54 初めての達成感、食いしん坊復活
寝る前に彼女の様子を見に行ったが今度はタオルを変えても目覚めなかった。
これは明日は無理だな。
そもそも、オレンジを食べていた時点で明日は休ませようと思っていた。
商品は彼女の手作りで回っていて俺がイチから作れるものはほぼない。
多少日持ちのする菓子類は在庫があるが、予約も入っていないし、明日は臨時休業にするのが賢明だろう。
そう結論付けて、俺は布団に入った。
どれくらい経っただろうか。まだ夜が明けきらない、午前5時。
階下から、かすかな物音がして目が覚めた。
まさか、と思い、俺は急いで1階の厨房に降りて行った。
厨房には寝間着姿だったが彼女は準備を始めようとしていた。
「エイラさん!寝ててよ!」
俺の声に、彼女はびくりと肩を震わせた。
「え…?熱は昨日より下がったみたいだったし…」
俺は近づいて行って、彼女の額に手を当てた。確かに昨日の夜よりは下がってはいるが、まだ平熱ではない。少し熱い。
「まだ熱あるよ!今日はまだ休んでて!あと、店は臨時休業にするから!」
「え?休むの?」
彼女はきょとんとした顔で俺を見上げた。
「だってうちの主力はエイラさんだよ。俺、販売以外何にもできないもん」
俺がそう言うと、彼女は黙り込んだ。その視線が、なぜか俺の顔から、俺の右手に向けられている。
「…カイさん、作れるじゃない」
「何が?」
「ドーナッツ」
「でもあれ、まだ一回も店に出したことないじゃん」
確かに、年明けの特訓外にも何度か彼女の指導を受けた。
なんなら最後は彼女の希望通りチョコにナッツを付けたのも作った。
でも、それは彼女がつきっきりで監督してくれたからできたのだ。
「最後の特訓の時、火加減とか自分でちゃんとできてたわよ。あれならお店に出してもいいと思っていたのよ」
彼女のの言葉に、俺は驚きを隠せない。そんなに評価してくれていたのか。だが、それでもまだ自信がない。
「まだちょっと自信ないよ」
そう言う俺の返事を聞いてか聞かないか、彼女は店の方に行って外に掲示する黒板を持ってきた。
これは今日のおすすめとかを書いて店先に置いている黒板だ。
まさか、そこに書くつもりなのか?
彼女はそこに
【新メニュー:ドーナッツ (プレーン・チョコ) 揚げたて】
と、書き込んだ。
「ひとりだから、開店時間は少し遅らせましょう。私、午前中で30個は絶対売れると思うの。たぶん、午後から追加することになると思う」
「まさか、俺が作るのだよ」
俺が作ったものが、本当に売れるのか?不安が募る。
「だって美味しかったもの。午前中買ってくれたお客さんの口コミで午後もお客さん来るわよ」
彼女の口車に乗せられてその場でドーナッツの単価を相談して今日からの新メニューとして出すことになった。
手際の悪い俺は開店に間に合うかも自信がない。
彼女はおなかがすいたと言って、牛乳とチーズのリゾットを2人分作って慌てふためく俺を横目にそれを平らげていた。
俺にも食べるように言ってくれたがそれどころではない。
でも、食欲があるってことは昨日より体調はいいのだろう。
だがまだ熱があるので無理はさせられない。
本当は傍についていてほしいが、体調を考え、彼女を厨房から追い出して休ませた。
出来損ないを売ってしまったら彼女が作り上げてきた今までの信用も失うことになるかもしれない。
プレッシャーを感じながら材料の計量を始めた。
教わったこと、アドバイスを思い出しながら生地を作る。
形もなるべく均等になるように細心の注意を払って。
彼女の言う通り、とりあえず30個。
本当に売れるのだろうか。
余ったら彼女に全部食べてもらおう、そうしよう。
揚げの作業が一番緊張する。
火加減を例のパンで確認しながら調整をする。
一度に入れすぎると油の温度が下がるから、入れたらあまりいじらないように、など今まで言われた注意点を思い出しながら一つ一つ丁寧に揚げていく。
半分の15個には溶かしチョコレートとナッツをトッピングしている。
チョコレートは少し冷やさないといけない。
ひとつ割って食べてみた。少なくとも生焼けではない。焦げてもいない。
悪くないのでは。
そう思っていたらいつの間にか様子を見に来ていた彼女が、俺の手からドーナッツをひょいと奪ってもぐもぐ食べていた。
「カイさん、1人でできたじゃない」
「どう?大丈夫そう?」
俺の問いに、彼女は満面の笑みで答えた。
「完璧」
その言葉に、俺は安堵した。彼女が「完璧」と言うなら、間違いないだろう。
その後は急いで開店の準備をして店を開けた。
外の看板を見て来たというお客さんがさっそく入ってきた。
「あら?今日奥さんは?」
「今日はちょっと体調悪くて休んでます。だから今日はいつもより商品が少なくてすいません」
「あら?ドーナッツ、今までなかったわよね?こちらの薬菓とドーナッツ2種類を2個ずつ頂くわ」
俺の初ドーナッツは売れた。
かなりの達成感だ。
そして常連のおばあちゃん。
「おじいさんはチョコが好きだからプレーンとチョコを一つずつもらおうかね」
たまたま外の看板をみて立ち寄った人、常連の人。
あっという間に半分ほどが売れた。
すごい。俺が作ったものでも売れた。
いや、問題は味だ。
美味しくないと言われないだろうか。
そう思っているとちょうど薪の配達に訪れたきこりのジョンさんが訪れた。
「カイや、久々だな」
「ジョンさん、お疲れさまです」
そう言ってジョンさんは薪を積んでいく。
「今日、奥さんは?」
「体調壊して寝てます」
「お、ドーナッツ。奥さんが作ったのか?」
「いや、今日は俺が」
「ほぉ~、お前もやるんだな。どれ、朝飯もまだ食ってないしそのドーナッツ一個ずつくれ」
ジョンさんはドーナッツを受け取るとその場でかぶりついた。
「お、うめぇな、お前、接客だけじゃなくてこっちもできるんだな」
「エイラさんの助けあってですよ」
ジョンさんはあっという間にドーナッツ2個をその場で平らげた。特にクレームもなく、おいしいと言ってくれた。一安心だ。
「じゃ、また来週だな。そろそろ寒波来るがいつもの量でいいのか?」
「寒波?あー、たぶん大丈夫かな?」
「おう、じゃ、また来週だな」
そう言ってジョンさんは午後のおやつ用にもう2個追加でドーナッツを買って帰っていった。俺が作ったドーナッツが、誰かの胃袋を満たし、笑顔を作っている。この感覚は、悪くない。
それから看板を見たという人が何人か訪れ、ドーナッツは午後1時ころには完売した。
寝てると思っていた彼女がいつの間にか降りてきていた。
「いった通りだったでしょ?」
得意げな顔でそう言ってきた彼女の額に手を当てると、今朝より熱は下がり、ほぼ平熱に近い。体調は回復したようだ。
「体調は?」
「もうほとんど大丈夫。おなかがすいて降りてきたの。私の分のドーナッツは?」
「あ、ごめん、売れちゃった」
「えー、カイさんの初ドーナッツもっと食べたかったのに!午後も作るわよね?」
「プレッシャー掛けてる?」
「かなり。午後も30個いきましょう、プレーン、チョコ、レモンの3種類」
「ちょっとさり気に1種類増えてるよ」
俺がツッコミを入れると、彼女はニヤリと笑った。
「簡単だから大丈夫。私のお昼ご飯になるんだからお願いね」
俺は店に一旦、休憩中の札を下げた。
その間に彼女はちゃっかり黒板に「レモン」の文字を付け足している。
再び計量をしようと思ったらすでに30個ぶんのドーナッツ材料が準備されていた。
彼女はいったいいつから起きていたのだろうか。
ちゃんと寝ててほしかったのに、これでは意味がない。
俺がその材料で生地を作っている間、彼女はレモンの準備をしていた。
レモンを絞って粉砂糖と混ぜている。
「グレーズっていうの」
そう教えてくれた。
さっきより手際よくはできたと思う。
揚がったドーナッツを彼女はレモンのグレーズにくぐらせていく。
初めは透明だった砂糖が乾いてくるとだんだん白くなってきた。
「これ、シャリシャリしておいしいのよ」
そう言って彼女はどんどん量産していく。
出来上がったレモングレーズのドーナッツを彼女は半分に割って俺に渡した。
2人で同時にかぶりつく。
ちょっと重めなチョコと違ってレモンのは爽やかだ。
「これ、おいしいね」
「でしょう?レモンなしでもおいしいのよ。これでカイさん4種類の味をマスターしたわね」
「俺、ちょっとエイラさんの気持ちわかった」
「…?」
不思議そうな顔をするエイラさんに、俺は続けた。
「自分で作ったのをおいしいって言われると達成感あるよね」
「そうね。それをしたくて私は自分のお店が欲しかったんだもの」
「でも、初めての商品出すときって不安になるよね」
「まぁ、多少は。でも、必ず試作してカイさんに食べてもらうじゃない。それで改良点とか話し合ってるからそこまで不安ではないかな」
俺の存在が、彼女の不安を和らげている。その事実に、俺は密かな喜びを感じた。
「責任重大だね」
「そうよ」
そう言いながら彼女はドーナッツに手を伸ばしている。
「エイラさん、それ、何個目?」
「えーっと2個目?」
「嘘だね。30個作ったのにもう26個しかないよ」
すっかり彼女の食欲は戻ったようだ。
午後もドーナッツは順調に売れた。
3時過ぎにメアリーちゃんが近所の人に聞いたと配達の途中に寄ったときには完売していた。
「今日、エイラさんは?」
「体調崩して寝てる」
「悪阻?」
「はあ?なんでそうなるの?」
メアリーちゃんの唐突な言葉に、俺は思わず聞き返した。
「なんかうちのお客さんでそう言っている人いたから。で、新商品のドーナッツは?」
「完売しちゃった」
「ええー!カイさん作ってよ」
「今日は無理、勘弁」
「じゃ、次はいつ?明日?」
そう言われれば次はいつとかは考えていなかったな。
あとで彼女と相談しよう。
そうして俺のドーナッツデビューは無事終了した。
彼女がいない一日を、俺が作ったドーナッツで乗り切れた。これは、俺にとっても、店にとっても、大きな一歩になった。




