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52 涙の理由と、彼の心配 

武勇伝の話題もだいぶおちついてきたある日のこと。


朝からいつもより仕事が回せて、午後は楽ができると思っていたのに、どうにも体が重い。

ちょっと一休みのつもりで、私は厨房に椅子を持ってきて座り込んだ。

少し休んだら、きっとまた動けるはず。そう自分に言い聞かせた。




「エイラさーん、午後のことなんだけど」


厨房に顔を出した彼が私の異変に気付いた。


「どうしたの?」


「…ちょっと休憩しているだけ」


普段、私が厨房で休むことはほとんどないから、彼も不審に思ったのだろう。


「お昼ご飯もちょっと残してたよね?調子悪いの?」


彼の言葉に、図星を突かれた。食欲がないなんて、私にしては珍しいことだ。


「悪いっていうほどでもないんだけど…」



そう答える間もなく、彼がサッと私の額に手を当ててきた。

ちょっとひんやりしていて気持ちがいい。


「…熱くない?たぶん、ちょっと熱あるよ?」


「え?」


そう言われると急に体のだるさが倍になったような気がした。

気のせいではない、本当に熱があるのかもしれない。


「風邪ひいた?午後は休みなよ。今日は寒くて客足もまばらだし、たぶん追加しないで閉店までいけそうだよ」


薬菓を作っている身としては自己管理もできてなくて情けない。


心配そうな彼の顔を見て、これ以上迷惑をかけたくないと思った。部屋で休むことにする。


部屋に戻ると、なんだか寒気もしてきた。熱が上がる前兆だ。どうしよう、明日までに治るかな…。店に迷惑をかけたくない。そんな不安が頭をよぎる。ベットに入ると、私はあっという間に眠りの底に引き込まれていった。










どれくらい眠っただろう。

額に冷たい感触がしてゆっくりと目が覚めた。

ぼんやりと目を開けると、そこに彼の顔があった。



「ごめん、呼んでも返事がなかったから勝手に入っちゃった。さっきより熱出てきたね」


額の冷たい感触は、彼が冷たいタオルを載せてくれたからだった。ひんやりとしたタオルの感触が、熱を持った体にじんわりと染み渡る。


「ごはん食べれる?」


彼の優しい声に、首を横に振る。


「…食欲ない…」


「ええ?!食いしん坊のエイラさんが食欲ないなんて重病じゃん」


「私をなんだと思ってるのよ…」


私にとって「食欲がない」ことが、彼にとってどれほど異常事態なのかがよく分かった。


「ごめんごめん、でも水分とかは取った方がいいと思うよ。果物とかは食べられる?」


「…それなら食べれるかも」


「了解、ちょっと待っててね」


そう言って彼は部屋を出て行った。子供の頃、森の家でアガサ婆に看病された記憶が蘇る。

あの時以来、誰かに看病されるなんて経験はなかった。

その後も風邪をひいたことは何度かあるが、いつも一人で寝て、治るのを待つだけだった。




そうして再び彼が部屋に戻ってきた。手には、丁寧に剥かれたオレンジと、グラスに入ったレモン水。


「今食べられそう?」


私は頷いてベットに座って彼からレモン水を受け取った。

コップの冷たさが心地よい。


次に食べたオレンジのさっぱり感も熱い体に染み渡る。



まだお店の掃除も終わっていない時間だろう。

まだ仕事が残っているはずだ。

そんな彼に、迷惑をかけているという申し訳なさが募る。



「…ごめんなさい」

彼は不思議そうな顔で、首を傾げた。



「え?何が」


「手間を掛けさせて、私、迷惑かけてる」


「手間だなんて思っていないよ。それよりエイラさんが食欲ないとか心配だよ」


心配。


その言葉が、私の心に深く響いた。心配されているんだ、私。

一人で生きてきた時間が長かった私にとって、「心配」という感情を向けられることは、あまり経験のないことだった。

温かい感情が胸に広がり、なぜか涙がこみ上げてきた。


「え?泣くほど苦しいの?」


彼は慌てたように、私の顔を覗き込む。


「…違う、よくわからない。私、変なのかも」


「まぁ、食欲ないくらいだしね…」


彼の中で私の健康の指標は、やはり食欲しかないのだろうか。その言葉に、少しだけ笑ってしまった。


オレンジを食べ終えると、彼はそっと布団を掛け直してくれ、額に新しい冷たいタオルを乗せてくれた。


「一応また様子を見に来るから」


そう言って彼は残った仕事を片付けに行った。


年末、大男に殴られたとき私は彼のことを死んじゃうんじゃないかと、とても心配してあんなことをしでかしてしまった。

あの時のような気持ちを彼も私に対して感じているのだろうか。

そう思うと、胸の奥が温かくなった。




ふと目覚めると、彼がまたタオルを変えてくれているところだった。彼の優しい手が、額に触れる。


「薬買ってきたよ、飲める?」


私はコップと薬を受け取って飲んだ。

一息ついて聞いてみた。


「…カイさん、ごはんは?」


「適当に食べたよ」


「…そっか、ごめんなさい」


彼は困ったように笑う。



「何に対してのごめんなさいか分からないけれど、そんなに謝らないでよ。一緒に住んでるんだからこれくらいのことどうってことないよ。年末、俺がけがした時もエイラさん薬塗ってくれたりいろいろしてくれたでしょ、それと一緒だよ」


そうか。誰かと暮らすってことはこうやって助け合うこともできるんだ。


「ありがとう、カイさん」


「どういたしまして」


そう言って笑ってくれた。




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