4 君の名は
商店街の端のようにあるその物件はレンガ造りで古いが味があっていい感じだ。
雑草ばかりだか小さな植え込みもある。
室内は埃っぽいが掃除をすれば十分使える。
棚が多いので収納があるのもうれしい。
隣がパン屋なのも気に入った。
男は私に二つあるカギの一つを手渡した。
「じゃ、こっちはエイラさんが持っていて」
「あ、名前…」
「さっきの書類を見ました。偽装と言え夫婦なので「お姉さん」ではまずいかと」
違う、そうじゃない。
「私、あなたの名前まだ知りません」
「あ、失礼しました。俺はカイと言います。名字の方はエイラさんの方に合わせさせていただきました…っていうか、夫婦を演じないといけないんでお互い普通に喋っていい?そのほうがいいよね?」
かしこまって喋るときは幾分年上に見えたが愛想のよい顔でこんな風に喋りかけられるとだいぶ年が近く感じられる。
「あ、分かりました…わかった、カイ、さん」
「俺、夕方までに残りの手続きをしてくるから一旦出てくるね!留守番よろしく!」
そう言って男は、もとい、カイは店を出ていった。
残された私は改めて店内を見回してみた。
手に入れた自分のお店。
やっと自分の腕を振るえる場所ができた。
私は13歳ころまでは森深くに住んでいた、自称魔女のアガサと言う名の婆のところで育った。
薬草の見分け方、効能、煎じ方などあらゆることを私に教えてくれた。
婆は菓子に薬草やスパイスを混ぜ込んで作る薬菓の技術に長けていた。特に婆の薬菓はよく効くと評判であらゆる人が訪れた。
症状を効き、個別に調合することもあった。
薬菓は薬を作るより複雑だ。故に商売にする人は少ない。しかも薬菓師の資格がなければいけない。私はアガサ婆が亡くなる直前に婆に急かされて資格を取った。
死んだアガサ婆の跡を継いで同じように暮らそうと思っていたが、私の異形の容姿を好ましく思っていなかった村人に見世物小屋に売られてしまった。
そのあとは劣悪な環境のなか見世物小屋でナイフ投げの芸をさせられていた。
数年で見世物小屋は資金難により解散(オーナーが夜逃げ)
行くところがなく途方に暮れていた私に声を掛けてくれた製薬商の女社長のもとで働いていた。
彼女は常に私に困ったことはないかと声を掛けてくれた。
いい人だと思った。
そこでの仕事は室内での作業だったので外仕事が難しい私にはうってつけだった。
賃金も普通にもらえた。
ただ、作っていた薬があまりにも適当すぎた。あれは薬とは呼べない。
薬効同士がけんかをしてしまって効能が消えてしまうような薬ばかりだった。
ただの従業員が言えるはずもなく与えられた偽薬を作る仕事をするしかなかった。
あるとき女社長が私の目と耳を切り取って薬にするから寄越せと言い出した。
当然拒否をしたが女社長は、何のために飼ってやっていたかと逆上した。
私のような様な容姿の者は古の時代、体の一部が薬や呪術の道具になるということで虐殺されてきた歴史がある。
人の体に薬効なんてない。私だって同じだ。少し容姿が違うだけの普通の人間だ。
製薬商の女は私が逃げないようにやさしく接し、きちんと賃金を与え逃げる理由がないように文字通り飼っていたのだ。
いつか私の体を屠るために。
幸い見世物小屋で身に着けた身体能力が役立ち、背中に大きな傷を負ったがなんとか逃げ出せることができた。
今持っている資金はその時貯めたものだ。
室内を確認しておこうとあちらこちら扉を開けて歩く。
1階はカウンターと品物を並べる棚のある店舗スペース。その影には大きなオーブンが複数あった。大きなシンクにガス台。水道も通っていた。井戸まで行かなくていいのはうれしい。
その後ろには食在庫のような倉庫。
隣には休憩ができそうなリビングのようなスペースがあった。
奥の方に洗面台とお風呂場がある。
2階が主な居住スペースのようだ。
仕切られた小部屋が2部屋、大きめの納戸が1つ。
1階は設備が充実していたが2階は1つの部屋にベットがあるだけで殺風景だ。
これからここが自分の帰ってくる場所になるのだと思うと心が躍る。
頑張って働いていつかここを買い取って本当に自分のものにする。
寝るところに困ったりしない、毎日美味しいものを食べて生きていくのだ。