3 偽装夫婦、契約成立
普段人とは目を合わせないようにしているエイラだが驚いて思わず自分より頭ひとつぶん背の高い男の顔を見上げてしまった。
濃茶の少しウェーブかかった茶瞳の男。
エイラは固まったまま返事ができない。
この男は私を騙すつもりなのだろうか。
心臓が早鐘を打つ。
逃げた方がいいのだろうか。
騙す人間の目は何度も見てきた
だがこの男の目からは物騒なたくらみは感じない。
エイラは声を出せずにいると、
「あ、あ、そういうんじゃなくて!ビジネスパートナーとして偽装夫婦でってことです!」
あちらもエイラの反応を見て焦ったらしく聞いてもいないことをベラベラ話し出した。
要約すると
・借金があるので返済しないといけない
・路銀が尽きたのでここを拠点にして事業を興したい
・生活の基盤を築きたい、今すぐに
と、いうことらしい。
借金以外はエイラも同じ境遇だ。
提案に乗ってもいいのだろうか。
ビジネスパートナーってことは共同経営者ってことだろう。
正直エイラも自分一人で店を回せるか不安もあった。だからと言って従業員を雇う余裕はない。
何より一番の懸念は自分の容姿と、壊滅的な愛想がない点だ。
一か八か。
通りに人はいない。
どうせ見られてもこの男だけだ。
「あなたはこんな私とでも仕事はできますか?」
エイラは深くかぶっていた頭巾の紐を解いて頭巾を脱いだ。
銀色の髪の毛と赤い瞳が晒された。
これで気持ち悪がられたらこの話はなし。
でも、万が一受け入れられたら…
「あ、昨日路地裏で会った人ですよね?その時からきれいな色だなって思っていました」
それだけ?
「…それだけですか?気持ち悪くないですか」
「え?どうして?きれいな色の髪と瞳じゃないですか?肌も透けるように白くて。それに商売をやるなら人と違う点は武器になりますよ」
へらりと笑う男。
そうなの?商売の妨げになるんじゃないの?
エイラは思いがけない言葉に狼狽する。
一番の懸念が一瞬で解決してしまった。
男が言うには不動産契約の手続きには別に戸籍など婚姻証拠となる書類はいらないらしい。
町の政策というよりこの商店街独自での人口減対策の取り組みだからとのこと。
確かに人口が減ることは買い物客が減るにつながる。商店街的には死活問題だ。
「じゃ、お姉さん、問題がないようなら契約しちゃおう!」
腕を引っ張られて店の中に連れていかれる。
「大家さーん!」
え?この人さっき夫婦物件の相談をこの人にしてなかった?今から夫婦になりましたとかいうの!?
「あれ?さっきのお客さん、どうしましたか?」
ぷっくり体型の中年の店主が声を掛ける。
「奥さんと別行動していたんだけれど、今合流したんです!やだなぁ、大家さん、俺、独身だってちっとも言ってないじゃないですかぁ!」
そう言って男は私の肩を抱く。
さっきからなんかこの男、距離が近すぎる、いや、夫婦を装うには仕方ないのか。
「表に貼っている店舗兼住宅、俺らが契約するから手続きよろしく!」
店主が「ん?」みたいな怪訝そうな顔をしている。
これじゃ詐欺師だ。
一瞬思うところがあったようだが店主は契約の書類を持ってきた。
備品は自由に使ってよい。大規模リフォームは要相談だがそれ以外の小さい手直しなら構わない、賃貸契約も可能だが買取も受けつけると説明があった。
諸々羅列された契約書を渡された。
何度見ても損がない条件だ。
小声で先に書いてと言われて契約書にサインを求められた。
エイラ オルウェン
これが私のフルネームだ。
男に書類を渡すためテーブルの上を滑らせた瞬間、はたと気が付いた。
これ、自分が男の名字に合わせなければいけなかったのではないか?!
あっと思った瞬間男はすでにペンを走らせていた。
影になっているからなんと書いたかが見えない。
確認もできず書類は店主に渡ってしまった。
はらはらしていると店主は
「オルウェンご夫妻、この町にようこそ。よき住人なってくれることを期待します」
と言って男と握手をする。
ふう。なんとか切り抜けた。男が自分に合わせたようだ。
相談もしなかったのによかったのだろうか。
気疲れした。
ぼろが出る前にここから出たい。
店主から住宅のカギを受け取り店を出るとき、店主がじっと私を見てきた。
うっかり頭巾をかぶりなおすのを忘れていた。
やはり得体のしれない住民が増えるのは嫌なのだろうか。
私は持っていた頭巾をかぶろうとした。
すると店主が
「あ、奥様すみません凝視してしまって!いやあ見事なお姿ですね!縁起がいい!」
と嬉しそうに声を掛けてきた。
不吉ではなく縁起がいいとは?
私は全然笑えていない愛想笑いをして先に出ていた男の後に付いていった。
本当に悪い人だったら回し蹴りの1つでも食らわせて逃げよう、そうしよう、と思いながら。