38 無意識の香りの誘惑、毒のように
彼女を、ベットに寝かせ、静かに部屋のドアを閉めた。
全く起きる気配なく、よく眠っていた。
さて、今日のことはどこまで覚えているのやら。
自分も部屋に戻り、寝支度をする。
そう言えば、クリスマスプレゼントを渡しそびれてしまった。
まあ、プレゼントでなく、後日仕事の資料として渡してもいいし。
そう思いながら、俺は思っていたより疲れていたようであっという間に眠りの底に落ちていった。
翌朝。
今日は仕事が休みなので、ゆっくり起きた。
いつもなら起きている彼女はまだ起きていなかった。
ある程度、予想はしていた。
まあ、病気じゃないし仕方ない。
酒の失敗は早くに済ませておくに越したことはない。
適当に朝食を済ませ、新聞を読んでいたらやっと彼女が起きてきた。
「エイラさん、おはよう」
いつもは挨拶を返してくれる彼女が、無言だ。ドアに寄りかかったまま動かないので様子を見に行ったら
「頭、すっごく痛いです…」
と、力なく返事をした。
いつもきちんとしている彼女が、しわくちゃの服で、髪の毛もボサボサなのは何だか新鮮だ。
悪いが、思わず笑ってしまった。
「それ、二日酔いだよ」
差し出したレモン水を彼女は一気飲みした。
水分を摂って寝てるしかない。
その後、自分には全く縁が無いと思っていただろう、店に陳列してあった二日酔い用の薬菓を食べていたのにも笑ってしまった。
夕方頃、やっと復活したらしい彼女が起きてきて、お腹が空いたと夕食の用意を始めた。手伝おうとしたら、昨日の残り物を温めるだけだから、あっという間に食卓に戻ってきた。
なんか、こんなはずじゃなかったとブツブツ言っている彼女は、いつもと違いすぎて面白い。
今日は、御子様なんて言われている清廉な姿からは想像できないダメっぷりだった。
食後のケーキを食べる頃にはだいぶ復活したのかいつも通りになっていた。
突然、彼女が食べかけのケーキをそのままに、席を立って2階に駆け上がっていった。
どうしたんだろうと、思っていたら
「あの、本当は昨日渡すつもりだったんだけれど、私途中で寝ちゃって…」
そう言って手のひら大の青い缶を差し出した。
その瞬間、俺も思い出した。
「ちょ、ちょっと待って!」
そう言って俺も例の本を部屋から持ってきて、「これ、俺から!」と差し出した。
びっくりしたように「え?私に?くれるの?」と少し戸惑っている。
「そう、クリスマスプレゼント!」
後で資料として渡してもいいと思ったのは撤回。
これはちゃんとプレゼントとして渡したい。
なぜかお互い気まずい感じになったがそれぞれの品物を交換した。
彼女は、慎重なしぐさでページを開いていく。
ページを捲るたびに本の中の花々と同じように表情に鮮やかさが増していくようだ。
「すごい、きれい…」
輝いた瞳で魅入っている。
「ありがとう、すごくうれしい。私、誰かからプレゼントをもらったことって今までなかったから、すごく、うれしい」
なんだか潤んだ瞳でとんでもないことを言ってきた。
今まで一度も?
それなのにたまたま見つけた古書とか俺、適当すぎやしないか?
もっとちゃんと考えれば良かった、と後悔。
でも、彼女はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、
「ううん、これで十分、本当にうれしい、大事にするわ」
と花のような笑顔で言ってくれた。
そう、その顔が、見たかった。
俺は満足げに頷いた。
「で、エイラさん、これって何?なんかいいにおいするね?」
俺はもらった薬缶を開けた。
ふんわり花の香、中にはクリームのようなものが入っていた。
凝ったところに塗る薬らしい。
こういうものも作れるんだ、という新しい発見だ。
薬菓師ってなんでもできるんだなと感心した。
ちなみに、お風呂場の石鹸も手作りだったらしい。
香りが強すぎなくて好みだったのでどこで買ってきたんだろうと思っていた。
早速塗ってみようと思ったが伸び切った髪の毛が邪魔をしてうまく塗れない。
結局彼女に手伝ってもらって塗ってみたが始めはスースーする清涼感、後から熱を持ち、患部の血が巡り始めた気がした。
最後に、彼女は、「サービスです」と言って背中のマッサージをしてくれた。
部屋に戻って眠る前に、もらったクリームを肩にも塗ってみた。
清涼感のあとにくるこの熱感。何だか癖になりそうだ。
夜着を着直して、俺はそのまま布団に入って、今日の彼女の意外な一面を見れて面白かったな、なんて考えていたら、ふと、気づいた。
彼女の存在を近くに感じる。
いや、彼女は自分の部屋で休んでいるはず、近くにいるはずがない。
気付いた。塗ったクリームだ。
確か自分の趣味で香りを付けたと言っていた。
たぶん、彼女の愛用品はほぼこの香りなのだ。
風呂上がりの香りとか、ふと近づいた時に時々感じる香りだ。
甘く、夜を思わせるような、深く、人を誘惑するような香り。
脳裏に、昨日の酔った彼女のことが鮮明に蘇る。
潤んだ瞳、赤く染まった頬、いつもより甘い、とろけるような声。そしてあの、艶めいた表情…
あの時も同じ香りがした。
クリームを塗っていないはずの顔にも火が付いたような熱感が広がる。
心臓が大きく脈打った。
昨日の、寸でのところで躱した彼女の唇が、今、目の前にあるような錯覚に陥る。
あの時、止めた続きを想像してしまう。
この香りが、そばにいないのに、俺の理性を試そうとしている。
目を閉じると昨日の吐息、体温がありありと浮かぶ。
枕に顔を埋めてもこの香りはどこまでも俺を追いかけてくる…。
勘弁してくれよ…
その夜、何度も寝返りをうったり、布団を蹴飛ばしたりして落ち着かず、眠りに落ちたのはだいぶ夜が更けてからだった。
この香りはもう、ただの薬ではなく、甘い、毒のようだ。
よく眠れるって言ったのに逆効果だ、これは。




