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35 聖夜の出来事、かわしたキス 

店は初めてのイベントに大忙しだった。

何をどれくらい用意したらよいのかも未知数だった。

半分は予約制にして正解だったと思う。


今日はクリスマス当日。


クリスマスのための贈り物や、自宅用の購入のため、店は大忙しだ。

しかし明日は、周りに倣って休みの予定だ。今日は忙しいが頑張れば明日は休みだ。


ほんの半年前ですら、今のこの生活は想像していなかった。数カ月で劇的に俺の人生は変わった。



俺は閉店後、ふたりでささやかな打ち上げをしようと思ってワインを買っておいた。

酒は好きなので酒屋の店主とは顔なじみだ。

女の人が好きそうな銘柄を聞いて1本買い求めた。


あと、個人的に俺は贈り物として花の図鑑も用意している。

どんな反応をしてくれるか楽しみだ。





意外と当日は足早に帰る人が多いせいか思ったより早く店を閉めることができた。


後片付けを手早く終え、店の戸締りを確認してリビングに入った。


店の仕事もあったのに、彼女はいつの間に作ったのだろうと思うくらいのご馳走をテーブルに並べてくれた。テーブルいっぱいに並べられた料理の数々に、俺は思わず目を見張った。


食べきれないかも、と言ったら彼女は涼しい顔で「私が全部食べるから」と言った。



ここ数か月で分かったことのひとつに彼女は意外とよく食べることだ。

いつもおいしそうに食べている。


今回のメインはチキンのローストだ、

チキンのローストは作ってみたかったらしいが、今まではさすがにひとりじゃ食べきれないとのことで、今回初めて挑戦してみたらしい。

ふたりでも無理なのでは?という豪快な量だった。

だが、一口食べると、その杞憂はすぐに消え去った。


さすが薬草や香草のプロだ。

今まで食べたチキンの中でもダントツのおいしさだった。肉は驚くほど柔らかく、香草の香りが豊かに広がり、一口ごとに深い味わいがした。


あと、なんか平べったいパスタみたいなのにトマトソース肉、チーズを巻いた料理。名前は聞いたが忘れてしまった。

他にも柑橘の風味のするソースのサラダとか温かいスープなど、どれも手間がかかっているのが分かる。


そして、最後に店で出してないケーキまで出てきた。

バターの風味の、ナッツとドライフルーツたっぷりのケーキ。

これもおいしくて、お代わりをしてしまった。


とにかくとても満足なディナーだった。





2人で夕食の片づけをして、いつもはここでお茶にするが、今日はワインを勧めた。

彼女は酒自体を飲んだことがないと言った。

避けていたわけじゃないが今までそんな機会に恵まれなかったのだという。


どうやら俺は彼女の初めての飲酒に立ち会うことになるようだ。

少しばかり、緊張してしまう。



グラスにワインを注いでいると彼女が聞いてきた。


「カイさんってたまに飲みに行ったりウチでお酒飲んでるけど酔わないわよね」


「そうだねー、酒には強い方だと思う」


「今まで酔ったことってあるの?」


「うーん、飲み始めた頃はあったけど最近はないかも?」


グラスに注いだワインを見つめながら話していると、なんだか彼女をからかってやりたくなった。


「あっついキスでなら酔うかもね、なんてね」


と、言ったら興味深そうにグラスをみていた彼女が顔を上げてこっちを見た。


え、その顔なに?無?

聞こえてない?


なんの感情も感じられない表情だった。


うーわ、盛大に滑った。


恥ずかしくて自分の顔が熱くなるのを感じながら、俺はグラスを持って「乾杯」と言ったら彼女も慌ててグラスを持ち上げて「乾杯」と言ってくれたが。



恐る恐る一口飲んだら、甘い、とかおいしいね、と感想を言ってくれた。


俺にはちょっと甘いが女の人は好きな味だろう。


1杯飲み終えた頃彼女は暑い、と言って着ていたカーデイガンを脱いだ。

頬が少し赤くなっているように見えるが、もう一杯飲めるというので注いであげたら、あろうことか一気飲みをした。




「えええっっ⁈エイラさん、大丈夫?お酒、初めてなんでしょ?」


俺の問いに、彼女は無言で頷いた。


あー、大丈夫じゃないやつだこれは。


「エイラさん、酔ったよね?」


に、対して酔ってないと返答をした。


古今東西、酔っ払いは大抵酔っても酔ってないという。


先ほどより頬も目元も赤くなっている。

化粧をしたらこんな感じかな、みたいな顔だ。


目も何だか潤んでいる。



「もっと欲しい、、、」

その、いつもより少し甘えたような声に、俺は戸惑いを隠せない。


「…徐々にさ、慣れていこう?今日はこれで終わりにしよ?」


そう言って俺はテーブルからボトルを持ち上げて彼女の手が届かないところまで移動させた。


横に座っていた彼女は、そんな俺の行動を追うように身を乗り出してボトルに手を伸ばす。



「…暑いだけです、酔って、ない」

呂律も少し怪しい。



「だめだめ!体にも悪いから!!」



俺は彼女から見えないように背中にボトルを隠した。


それでも諦めない彼女は俺をソファーの隅まで追い詰めてきた。



いつもは上から彼女の顔を見ることが多いが、今日は場所が逆転している。

俺を押し倒した体勢で彼女が上から俺を見下ろしてくる。



潤んだ赤い瞳で見つめてくる。

酔っているせいか、いつもよりなんだか艶っぽいというか…

いつもの清楚で清純なエイラさんどこにいった!?


「…カイさん、酔わないの?」


「エイラさん酔ってるのに、この状態で俺まで酔ったら困るでしょ?ね?」


それでも座った目で見つめてくる。


「…キスでなら、酔えるんでしょ?」


その言葉に、俺は心臓が止まるかと思った。

あーー、反応なかったから聞こえてないのかと思ってたけど聞こえてたのかー。

しかも、まさか、こんな形で蒸し返されるなんて!



「あれ、冗談ね。ちょっとからかっただけ。ごめんね」


俺が慌てて訂正しようとするが、彼女は聞く耳を持たない。

両手でがっちり俺の肩を押さえつけた。


「…酔うようなキスってどんなの?」


これは答えないと逃げられないやつ?


「あれは、例えね、例え」


押さえつけられた肩から彼女の力が抜けない。


前から思ってたけど、結構力持ちだよね。

なんか重たい鍋とか普通に持ってるし。


俺の言葉には納得してないようだ。



キス自体したことがないわけじゃないけれど、酔うようなキスなんて、俺も知らんわ!と自分の中で叫んでも彼女には届くわけがない。



「…やってみる」


とんでもないことを言い出して彼女の顔が近づいてくる。


あー、目がうるうるししててかわいいなぁ、と一瞬思ったが、危ない、危ない。

これは酔っぱらいの奇行だ。



これ、なんのご褒美!いや、拷問か!


「…エイラさん、そーゆーの、したことある?」


ちょっと考えたように動きが止まった。


「…さあ?」


あるの?!ないの?!どっち?!


肩をがっちり捕まえられて身動きができない。


いつもの花のような彼女の香り、体温がリアルに伝わってくる。


俺だってしてエイラさんとのがどうなのか、興味はあるけどこれはあとで後悔するやつーーー!!!



俺は寸でのところで理性の糸を辛うじて掴み、首をグルンと左に背けた。彼女狙いははずれ顔が俺の右肩にポスンと着地した。

なんとか(かわ)せた。



がっちり掴まれていた肩はいつの間に力が抜けていた。


様子を伺うとすーすーと呼吸が規則的に聞こえる。


あれ?寝た?



結局彼女は俺に倒れるようにして寝てしまった。



危ない、危ない。

未遂だっから良かったものの、本当にしてたら明日からどうやって顔を合わせたらいいか分からなくなる。


普段、清楚で清廉という言葉がぴったりな、彼女の意外な顔を見てしまった。


あの潤んで艶めいた顔を見た男は他にもいるのだろうか。



あんなの見せられたら勘違いしてしまいそうになる。

この人は今後は絶対、絶対、外でなんか酒を飲ませてはいけない。




彼女をこのままベットに運んで休ませるべきなんだろうけれがもう少しこのままで、と彼女の重みを感じていた。



俺は一度触ってみたかった彼女の髪の毛に手を伸ばした。

編んでいる紐の結び目をほどいたらサラリと銀の髪が広がった。


絹の糸のようだ。これで刺繍なんてしたらさぞ美しい布地になるだろう。


指を通すとさらさらと滑り落ちる。


恋人でもない人に勝手にこんなことをしたら怒られるだろうか。


いや、偽装の夫なら許されるだろうか。

俺はその関係性を利用して何度もさらさらと指を通してしまう。

癖になりそうだ。



いつまでもこうやっているわけにはいかない。


すぐそばで小さく寝息が聞こえる。

普段は切れ長の目のせいか大人っぽく見えるが目を閉じていると年下の女の子だなと思う。

なんとなく、背中をよしよしと撫でてしまう。


契約が終わったいつか、何年かあとのクリスマス。

今日のこと、思い出すのかなと思った。


その時、彼女はとっくに俺のことなんて忘れてるかもしれないな。

そう思ったら、なんだか切なくなった。




思わず、ぎゅっと抱きしめていた。

この温もりや感覚が俺の心にずっと焼き付けておけるといいのに。





どこで切ったらいいか分からず、今回は少し長め。

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