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32 オレンジの香りと、違和感、そして年末年始への期待

いつだったか、生活費で浮いた分は時々外食でもしよう、と提案されたことがあった。


それには私も大賛成だ。


自分の好きなものを作って食べるのも好きだが、食べたことのないものを食べるのも楽しい。


今日は近所の食堂に夕食を食べに来た。

この町の人も私に慣れたせいか、私を見ても奇異な目で見られることはほぼなくなった。


今日、私はビーフシチューに決めた。

煮込み料理はあまり家ではやらない。

何故なら、あれこれ入れすぎてしまい、いつの間にか食べきれないほどの量になっているからだ。

でも、今なら2人なのでいけるか?今度挑戦してみよう。


彼は白身魚のフライに決めたようだ。

そう言えば前回も魚介のものを食べていた気がする。


魚が好きなのかな。


私が育った地方も、今住んでいるここも魚は手に入りにくい土地柄だ。

そのため、私には魚料理に関しての知識はほとんどない。



加えて、揚げ物もほとんどやったことがない。

魚は無理でも、肉や野菜のフライならできるか。

でも、魚じゃないと意味がないのか…


なんて考えながらいたらあっという間に注文した品が運ばれてきた。






ここは居酒屋兼食堂なのでたくさんのお客さんがいる。

アルコールが入っているせいか声が大きかったり態度が粗暴になっている人など様々だ。


彼も1杯だけ、といってエールを頼んだ。

時々家でもお酒を飲んでいるがこの店の男たちのように酔った姿は見たことがない。


自分はお酒を飲んだことがないので、お酒とはどれくらい飲んだら酔うのかというのがさっぱり見当がつかない。

ただ、体に悪くないのかなという心配だけだ。




向かいに座って食べていると、家では気に留めなかったが、気になっていたことがある。




彼は周りの男たちに比べて、食べ方がきれいなのだ。


なんだろう、うまくいえないけれどとにかくきれいなのだ。

その向かいで食べている自分は、はたしてきちんと食べられているか、不安になるくらいだ。


それに気付いてからは普段のしぐさも観察するようになった。


コップを持つ手、口元を拭う動作、ペンを走らせる姿、座る姿勢…など。


うまくいえないけれど、ひとつひとつのしぐさが様になるのだ。






この間、屋根に落ちた毛布を回収するために部屋に入ったことがあった。



なんだか、私の知っている生活と違う、気がしたのだ。

違和感というか、なんだろう。

これもうまく言えない。


もともとベットはなくてもいいとは言っていた。

けれど、いつの間にかご近所からもらってきた古いマットレスを運び込んでそのまま床に置いて寝ているようだった。

大きめの絨毯の上にはあまり見たことのない足を短く切ったようなテーブル。

その上には店の経理関係の書類と例の演算器が乱雑だったが置いてあった。

たぶん、部屋でも店の整理関係の仕事をしているのだろう。


そして、よく買ってきているオレンジ。

時々おやつに分けてくれるが、それにしても毎回買ってきているので、いつ食べているんだろうと思っていた。

夜食に食べていたのかと、その時判明した。


だから時々オレンジの香りがするのか。


あまりジロジロ見てはいけないと思ったが色々と目がいってしまい気まずかったので一生懸命見てないような態度をとったつもりだ。


部屋は、まるで彼の知られざる部分を凝縮したかのような空間だった。

私が育った森の家とは明らかに違う。

そして、この町の一般的な家ともまた違う。


それは不快なものではないけれど、彼の背後にある、まだ知らない大きな世界を垣間見たような、そんな気持ちだった。

彼は一体、どこで、どんな場所で、どんな生活をしてきたのだろう。


今の私には想像もつかない。



私は、今は穏やかに暮らせている、それでいい。

向かいにいる彼もそう思っているだろうか。


私の視線に気づいたのか

「ちょっと食べてみる?」と、魚のフライを少し分けてくれた。


「年明け、店は休むけど何をする?」

「年末のまとめ買いはいつする?」

こんなふうに、これからの予定を話し合っていると、まるで本当に、ずっと昔からこうしてきた夫婦のような会話で笑ってしまう。

全然違うのに。



とにかく、初めての年末だ。

どれくらい忙しくなるかまだ想像もつかない。

でも、私は初めて誰かと過ごす年末年始をひそかに楽しみにしているのだ。

アガサ婆と二人で過ごした静かな年末とは違う、店を閉め、この町で、この家で、そして彼と過ごす初めての年末年始を。




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