2 不動産屋の壁
エイラはカーテンの隙間からもれる光で目を覚ました。
久々にきちんとした寝具で眠れたせいか一度も目覚めず朝を迎えた。
正直もっと寝ていたいが今日は不動産屋に行かねばならない。
顔を洗い、着替の後、腰まである長い髪を編んで頭巾をかぶり1階の食堂に降りてきた。聞いていた通りカウンターには個別の籠に入って朝食が用意されていた。
まだいくつか残っているが宿の人数分あるのだろうか、それとも早い者勝ちなのだろうか。
セルフサービスで置いてあった水をコップに注ぎ籠を持って足早に自分の部屋に戻ってきた。
今日のメニューは白いふわふわのパンにゆで卵、付け合わせにオリーブのオイル漬け、短い串にささった一口大の肉が数切れ。今までの自分の食生活から見れば上等なメニューだ。
肉は固くなっていて味は昨日の食べたものと同じ味がした。残った分を朝食に回したのだろう。おいしいので問題なし。
今日の天気は薄曇り。これなら普通に歩いて行けそうだ。
宿の居心地よさは名残惜しかったがそろそろ出ないといけない。
料金は昨日のうちに支払っているため出る際は特に声はかけなくていいと言われていたので軽く寝具を整え、荷物を持って出発した。
なんとかなると思っていた物件探しにエイラは苦戦していた。
どの不動産屋を訪れても掲示されている値段で借りたいと言っても「ご夫婦でないと…」と断られる。
どうも人口減少に悩むこの町では若い夫婦が優遇されるらしい。夫婦が定住しあわよくば子供が生まれて人口増に貢献してほしいらしい。
掲示されている賃貸料は夫婦価格。単身者はもっと高いとのこと。道理で手が届きそうな物件が多かったわけだ。
今日中に契約して粗末でも屋根のあるところで眠りたいと思っていたエイラは途方に暮れた。
宿なしでさまよい続けることに限界を感じていた。
最後の不動産屋の前に掲示されていた店舗兼住宅のチラシが目に入った。
数年前に高齢化で店主が引退して空き家になったらしい。菓子店舗だったとのことで大きなオーブンが備わっている。こまごまとした店の設備もそのまま残されているらしい。
非常に魅力的な物件だ。
欲しい、絶対手に入れたい。
そうは思ってもどうせ「ご夫婦でないと…」言われて3割増しの賃貸料を請求されるのだろう。
中から男の声が聞こえる。
「やっぱりこちらも夫婦限定、ですか…。」
彼もまた夫婦物件ということに頭を抱えているようだ。
声には焦りと諦めが感じられる。
こっそり伺うと店主と交渉しているのは昨日路地裏でぶつかった男だった。
男は諦めて店を後にするところだった。
帰り際私に気が付いて
「あ、昨日の月の光の人」と声をかけてきた。
ビクッとしたが周りに人がいないため私に声をかけたのだろう。
月の光とは。
「お姉さんも物件探しですか?表示と実際の金額が違っていてややこしいですよね」
と、親しげに声を掛けてきた。
エイラが見ていた物件情報のチラシをずいずいと横から覗き込んできた。
なんなんだ、この男は。
「お姉さん、お店やるんですか?確かにこの条件でこの賃貸料は魅力的ですね。初期投資は抑えておきたいですもんね。俺もねー、この町を拠点にして事業を興そうと思っているんだけれど住む場所すらままならないですよ」
聞いていないことをベラベラと喋ってくる。
人受けしそうな愛想のよさ。
確かに商売に向いていそうだ。
エイラは目を合わせずに頷いた。
この男もこの物件を狙っているのだろうか。普通に資金があれば3割増しでもお得だと思う。横取りさてしまうのか。
うーんとうなった後、男はまるで世間話の流れのひとつのようにとんでもないことを言ってきた。。
「お姉さん、俺と夫婦になってみない?」
普段人とは目を合わせないようにしているエイラだが驚いて思わず自分より頭ひとつぶん背の高い男の顔を見上げてしまった。
濃茶の少しウェーブかかった茶瞳の男。
エイラは固まったまま返事ができない。
この男は私を騙すつもりなのだろうか。
心臓が早鐘を打つ。
逃げた方がいいのだろうか。