10 踏み出す勇気、新しい景色
パン屋のアンナさんからたくさんの抱えきれないほどのパンを代金以上にもらってしまった。
アンナさんは私を見ても友好的な態度を取ってくれた。
彼の言うことを聞いて頭巾を脱いでよかった。
隣があんな人で良かった。
ただ、油断は禁物だ。アンナさんのような人は少数派だろう。
2人で昨日と同じカウンターで朝食を食べた。
パンはまだ湯気が上がっているのもある。
まだお茶なんてないから沸かしたお湯をお茶代わりに。
ひとつ目に選んだパンはバターの香りがする三日月形のパンだった。
サクサクで、でも中はしっとり。
なんておいしいのだろう。
ふたつ目に選んだのはレーズンの入った甘めのパン。
これもふわふわでとてもおいしい。
彼も「おいしいなぁ」と言いながらみっつ目に手を伸ばしていた。
「ごめんね、さっき、勝手に結婚一か月目の新婚とか設定盛っちゃって」
「…ううん、たぶん私も妻らしい態度はとれていない、でもそれが一か月しかたってないなら仕方ないって周りも思ってくれると思う」
今日は「妻」という言葉にびっくりしたがきっと今後そんなことはもっとある。こんな自分が結婚3年目です、なんて設定だったらすぐに疑惑を持たれてしまうからちょうどいい設定だと思った。
そんなやり取りをしながら軽い打ち合わせを。
私はとりあえず、オーブンなど必要なものを掃除して使える状態にすることになった。
そして薬菓に必要な材料のピックアップ。
仕入れ先は彼が探してくれるらしい。
問題はそれらに支払う資金だ。
私は今まで貯めていた分を開店資金にすると申し出たが彼は反対した。
なぜなら彼は現在借金を抱えているため共同経営者として同じ程度の金額は出せないからだという。
私はそれでもかまわないと言ったが譲らず。
少し考えて彼はちょっと出てくるね、と言って出かけて行った。
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午前中はとりあえず厨房の中を掃除した。
この物件で一番心惹かれたオーブンは古いがとても立派なものだった。
掃除をすれば使えそうだ。
今日中に厨房の掃除は終えたい。
そう思いながら一心不乱に午前中は掃除に勤しんだ。
昼近くに彼が帰ってきた。
「ただいまー!」
「おかえりなさい」
「じゃーん、見てこれ!」
封筒を見せてきた。
中身を見てみろということらしい。
私は受け取ってその封筒の中をのぞいた、そして思わず封筒の口を占めてしまった。
中身はかなりの金額のお金。
「え、これ…」
「あ、別に怪しいお金じゃないよ!」
昼食を食べながら話してくれるということでちょうどお昼だったので休憩をすることにした。もちろん昼もお隣からもらったパンだ。
彼が買ってきた牛乳を飲みながら話してくれた。
このお金は役所で申請してもらえる新規事業者に出される補助金だという。
人口減にあえぐこの町独自の対策のひとつらしい。
商店街を活性化してくれるなら返還の必要もないらしい。
そんなのがあったなんて。
自分だったら絶対気が付かなかった。
私はかなり優秀な人と偽装だが結婚したようだ。
「…私だったら気が付かなかった。ありがとう」
「どういたしまして!使えるものは使おう!」
ぐいっと牛乳を飲みほしながら笑顔で返してくれた。
どうしよう、私は今のところ彼の陰に隠れてばかりで何もできていない。
午後は彼も1階の掃除を手伝ってくれた。
夕方近くに夕飯はどうする?と聞かれた。
確かにもらったパンは夕食・明日の朝食まで足りそうだ。
でもそろそろパンだけなのもどうかとは思ってはいた。
「買い物にでも行く?」
そう彼は問いかけてきた。
だいぶ日も落ちてきているから紫外線はそこまで問題がないだろう。
でもまだ葛藤がある。
今朝はアンナさんに受け入れられたがあれは奇跡が起こっただけなのではないか。
町に出ればやはり今まで通り蔑まされるのではないか。
今までも辛かったが一人ならなんとか我慢できた。
でもこれからは彼も巻き込まれる。
そう思うと一緒に出掛けるのは躊躇する。
「…でも…」
「頭巾もさ、結構目立つよ。しかも人は隠せば隠すほど暴きたくなる。たぶん今までと状況は違うと思うよ、確かめに行ってみようよ」
手を引っ張られた私には拒否権がなかった。




