0 孤独な薬菓師と陽気な男 ~路地裏の衝突~
秋の気配を感じる季節。
もう疲れた。そろそろ落ち着きたい。
女は日差しを避けるように人通りの少ない裏道を選んで進んでいた。深くかぶった頭巾の下で銀色のまつ毛に覆われた赤い瞳がまぶしさに耐えるように細められている。お金がないわけはないが節約のためここ数日はきちんと食事をとっていない。丈夫が取り柄だがそろそろ堪えてきた。体も鉛のように重い。
思えば自分の半生は見世物小屋で酷使され、拾ってもらった製薬商でもひどい目にあったり。とても人に話せるような人生を歩んでいない。
一人で隠れるように生きてきた。人を信用するとろくなことにならない、信じて痛い目を見るのはもううんざりだ。
空腹と疲労で意識が朦朧としてきた。
角を曲がろうとしたとき不意に人とぶつかった。
バランスを崩して女はガチャンと音を立てて路地裏に転がる。ぶつかった拍子に頭巾がずれ落ち月光のような銀髪と、異質な赤い目が路地の薄闇に晒された。
「いてて…」
呻き声と共に、ぶつかった相手が慌てて身を起こす。濃い茶色の髪と瞳を持つ顔立ちの男だった。
男は突然の衝突に驚き、女のカバンから小瓶がいくつか転げ落ちていることに気づいた。小瓶の中身は色とりどりな粉末だった。
「すみません、大丈夫ですか!?お怪我は?」
男は、焦った様子で女に手を差し伸べた。その表情は申し訳なさそうで、人の良さが滲み出ている。
しかし、女は差し出された手を払いのけ、素早く立ち上がった。女の瞳は、転がった小瓶と目の前の男を交互に捉えている。見世物小屋で嘲笑され、製薬商で体を傷つけられた経験から、女は「珍しい見た目」の自分が他者からどんな扱いを受けるかを知っていた。警戒心から、彼女はすぐに身構えた。
「触らないで!」
冷たく、刺すような女の言葉に、男は固まった。男は女の銀髪と赤瞳に一瞬驚きの表情を見せたが、すぐにその瞳に浮かんだ怯えと警戒心を読み取った。
「すみません…!その、怪我をされているかと。それに、あなたの荷物が…」
男はそう言いながら、散らばった小瓶を拾い集めようとした。その動きに、女は反射的に腰に手を伸ばす。女の腰のベルトには、護身用のナイフが隠されている。
「触るなと言ってるでしょう!」
女は低い声で威嚇するように言った。その剣幕に、男はぴたりと動きを止めた。男は女の目を見つめ、そこに隠された怯えのような感情を察し、ゆっくりと両手を上げた。
「盗もうとかではありません。あなたがお嫌なら、触れません。しかし、これはあなたが落としたものですよね?大事なものなのでは?」
男は、心配そうな表情で女を見つめた。その表情に、女は一瞬、警戒心を緩めた。確かに男が小瓶を盗もうとしている様子はない。むしろ、本当に心配しているような感じだ。
女は、転がった小瓶を無言で拾い集めた。その手つきは素早く、隠し持ったナイフの存在を男に悟られないように、慎重だった。全ての小瓶を回収し終えると、女はもう一度、男を見た。男は、相変わらず困ったような、へらりとした笑顔でそこに立っていた。
「では、私はこれで…」
女がそう言って立ち去ろうとしたその時、男が女の背中に向かって声をかけた。
「あの、もしよろしければ、この近くに私の知っている宿があります。少し休んでいかれてはいかがですか?顔色が、あまり良くないように見えますが…」
女は振り返らなかった。見ず知らずの他人に、こんなに優しくされるなんて怖い。警戒すべきだと長年の経験が告げていた。
しかし、男の声には、彼女がこれまで出会ったことのない種類の「優しさ」が滲んでいた。
「…必要ない」
そう言い残し、女は頭巾をかぶり直し足早に路地の奥へと消えていった。男は、女の姿が闇に吸い込まれていくのを見送りながら、小さく呟いた。
「…月の光のような」
それが、偽装夫婦となる二人の最初の出会いだった。まだお互いの素性を知る由もなく、それぞれの目的のために町に流れ着いた二人は、この出会いが、やがて互いの人生を大きく変えることになるとはまだ、知らない。
キュンするお話綴っていくよ