(26) ~ レイリーズ
限界まで空気を吹き込まれた風船、といった古典的な表現が、タイキの脳裏を過ぎた。あともう一息、それか、針でなくとも、爪楊枝程度でそのままぱちんと割れてしまいそうな、絶妙な緊張感。
(あ)
険しい表情を浮かべる国王と、困惑しながらも国王を守る立ち位置のデイジーが後ろへ下がっていくのと同時に、玉座にすがりついていた王妃が、ゆっくりと立ち上がるのが見えた。
その口が、開かれようとして。
(や、ばっ)
「あっ、タイキ見つけました!」
瞬間、広間に響いたのは王妃のヒステリックなわめきではなく、幼い少年の、楽しそうな歓声であった。
「……って、レイじゃん!?」
そう、そこにいたのは、ふわふわ金色の小さな王子。
戸惑う騎士達が、思わず身を端に寄せると、王子は素早くその間を通り抜け、あっという間に魔族が集まる場所へ突撃していく。それを見た神官や、どうやらここまで王子を追いかけていたらしい侍従たちが悲鳴を上げた。
「ぐ、愚鈍な者たちっ王子をなぜそのまま行かせたのですか!?」
「うっ……」
王族を敬うがゆえ、自分ごときが触れて良い存在ではないという騎士達の意識が招いた、最悪の状況であった。誰もが、ゾンビやヴァンパイアの集まる場所へ飛び込んだ王子が、八つ裂きにされてしまう瞬間を想像した、のだが……。
突撃した王子は、無表情のまま首をかしげた見目麗しいヴァンパイアの少女にひょいっと持ち上げられた。王子はぱたぱたと手を振っていたが、ヴァンパイアの少女は特に何を思う訳でもなく、己の主をあおいだ。
「ロスティスラフ様、これ、どうなさいます?」
「さっき、タイキの名を呼んでいたな……ちょっと貸せ」
「どうぞ」
ヴァンパイアの大半は、その肉を食わずとも血を摂取するだけで満足する種族な上、魔族の中でも非常に理性的な思考回路を持っているので、特に近づいてきたからといって即殺すということにはならなかった。が、少女が捧げた王子の襟首を、タイキを抱えているのと逆の手でつかみ、猫のように受け取ったロスティスラフは、きょとんとしている王子を見てふむと頷いた。
「おお、こんなにきれいな男の人、初めて見ました! タイキのおともだちですか?」
間近でロスティスラフがその顔をのぞき込むということは、レイからしてもそういうことになるので、彼の美貌に目を丸くしたレイは、思ったことを幼子さながらのストレートな表現で口に出した。
とたん、魔族陣営にこれ以上ない緊張感が走る。
「っとうぉぉおお!!!」
「わぁっ」
ロスティスラフの手からレイを取り返したタイキは、そのままロスティスラフの肩を蹴って脱出を試みた。すかさずデルフェールが彼を受け止め、ロスティスラフからタイキともども距離をとる。
「ちょっわ、私のことを置いていかないでよぉ!?」
「ごめんゼフィそれ無理ぃっ!!」
「なんですか? どうしたんですか?」
ざわめく人間達のことはとりあえず意識からシャットアウトしておいて、タイキは今だ硬直しているロスティスラフに声をかける。ヴァンパイアたちも、自身の主に向けて戦闘態勢をとりつつ、中にはすがるような視線をタイキに向けている者がいる始末だ。
「ロティ、理性、ある?」
「……ふ、ふふふ、ああ、大丈夫だ。ああ、大丈夫だとも……」
「せ、台詞的に大丈夫そうじゃないんだけど、爆発しないだけマシか……」
何か対策を練ってきたのか、今回は暴走しそうにないロスティスラフの様子に、とりあえずアンドの息を吐く。そして、腕の中にすっぽり収まっているレイを少し離して、しゃがんで同じ視線で語りかける。
「んで、レイはどーしてここまで来ちゃったわけ。ていうか、危ないからどっかの部屋にいたんじゃないの?」
「つまらなかったので、かくれんぼの続きしてました」
「我慢しろよっ」
にぱ、と笑って手をあげるレイをたまらなくいとおしいと思いつつ、タイキは苦笑しながら「お仕置きチョップ!」と言って、ごく軽い手刀をレイの額に下ろす。目をぱちくりさせたレイは、それでも笑ってその手にしがみついてきた。
「やっぱり、タイキに触れます! タイキ、ゆうれいじゃなかったんですね」
「いや、あのときは幽霊だったんだけどさ、間違いなく」
「タイキ、幽霊ってどういうことです?」
「あー……説明面倒だから、それ後回しで」
デルフェールの問いかけに、片手を振って答えたタイキだが、一向に腕を放す気配のないレイを見下ろし、ん? と彼の顔をのぞき込む。
「レイ?」
「タイキ、次はタイキがかぞえるばんです」
「……かぞえるって」
「僕はタイキをみつけました。だから、次はタイキが僕をみつけるんです! かくれんぼ、とってもたのしいですから」
そう言われて、気づく。この幼い王子は、今この場がどういう状況か理解していない。しているはずがない。
ただ、タイキと遊びの続きをしたかったから……タイキを探していたのだ。
「……レイ、ごめん。あそびの続きはなし。今日はこれでおしまい」
「えっ、なんでですか?」
とたんに、レイの顔がくしゃっと歪む。その頭を優しくなでながら、タイキは穏やかな笑みを浮かべた。
「俺、自分の家に帰らなきゃ。俺にもお迎えが来てくれたし」
「おむかえって、この人たちですか? タイキ、もう帰っちゃうんですか?」
レイはぎゅっと口を引き結ぶと、すでに潤み始めている青い眼で、さらに問いかける。
「こ、こんどはいつ、会えますか? いつ、遊んでくれますか?」
「レイ……」
タイキはそれに答えず、そっと膝を伸ばす。と、周囲の人間や、魔族達が、自分とレイのことをじっと見つめているのに気がついた。やっべえ超注目されてる! と内心慌てながらも、なんとなく思いついたことを口走る。
「ま、はっきりとはいえないけど、みんなが仲良くなって、俺が堂々ここに来られるようになったらかなー」
なんてね、と続けようとすると、レイは満面の笑みを浮かべて、それはもうきらっきらした目で答えた。
「じゃあ、今度は僕が、タイキをきちんとしょうたいします! 僕とタイキは、なかよしですもん!」
「ちょっ、レイ声でかぁっ!?」
そう宣言したレイに、タイキは慌てて口を塞ぐようなジェスチャーをする。が、背後でデルフェールが盛大に吹き出したのを察知して、振り返った。すると、他の方向からも吹き出す声が聞こえる。見れば、ロスティスラフやゼフィストリーが口元を押さえており、ヴァンパイアも数名苦笑めいた表情を浮かべている。
反対に、人間達はそれこそ魂が抜けたような、呆然とした様子だった。レイの実母でもある王妃は、ようやくレイが言った言葉を理解すると、白目をむいてその場に倒れ込んでしまった。
そんな人間たちの中で、異なる反応をしたのが、もっとも魔族たちに近い場所に立っていた国王とデイジーだった。二人は、どちらかというと魔族たちのような苦笑を浮かべている。
「レイ、レイリーズ、お前も大きく出たものだな」
「ちちうえ?」
「あ、そうだ、えっと、はい息子さんお返しします」
タイキは一番レイを預けるのに適任な人物と考えると、わきの下を支え持ち上げた少年を、ひょいっと軽い調子で国王に差し出した。国王は目を点にしながらも、そっと息子を受け取り、抱きかかえる。
「……思えば、こうしてお前を抱くなど、赤子だった頃以来か……」
「わー、ちちうえ、ちちうえだー」
嬉しそうに首に抱きつく末の王子に微笑んでみせる国王に、「なんか親子仲は悪くなさそうだなー」とずれた感想を抱いたタイキは、傍らに立つ自分の側近の気配を感じ取る。
「デル?」
「……フォリアル国王、失礼いたします」
「な……」
デルフェールがにっこり笑いながら口を開くと、国王やそばにいたデイジーまでもが目を見開いた。タイキとしては、デルフェールがしゃべっただけで一体どうしたのか、と思ったのだが。
「……なぜ、ゾンビが、人の言葉を解する?」
(え、それ)
どういうこと、と聞きかけたタイキだが、デルフェールは視線を王子に向けると、軽く目を伏せ、右手を胸に、左手の人差し指と中指を自身のあごに添わせ、頭を下げた。
「レイリーズ王子、貴方に最高神レファイのご加護がありますよう」
それは、祝詞。
神に仕える人間が、この世に生まれ出でた人間に向けて授ける、この世界の誰もが知っている、一番簡単な祝福の言葉。
初めて聞いても、それが魔族の口から出ることはおかしいのだとタイキでもすぐにわかった。なにより、魔族の口から『神の加護』なんて台詞、出てくる方がおかしい。
事実、祝詞を受けたレイはともかく、国王とデイジー、それに比較的近くにいた重鎮や兵士達は頭を押さえていた。神官の中には「ありえない」とつぶやいて卒倒する者まで出る始末である。
「はい、あなたからの祝福、確かにうけとりました。ありがとうございます」
そういった言葉も受け慣れているだろうレイは、笑ってデルフェールに答える。それに対し、デルフェールもまた一礼で答えた。とてもゾンビとは思えない、滑らかさで。
ここで、完全に魔族側の毒気が抜かれたのか、ロスティスラフが盛大なため息をついた。「ややこしいものだ」とかなんとか言いながら、彼はタイキとデルフェールを手招く。
「ふん、他のヤツらが惚けてるうちに、我々はタイキを連れ帰らせてもらう。その首が繋がっていること、幸運に思え」
「去り際になんで喧嘩口調なんだよ!? でもありがと!」
またロスティスラフの腹をばしばしと叩いたタイキは、だがすぐにロスティスラフが身をかがめて耳打ちをしてきたので、動きを止める。
「だが、あの王子……なかなか見る目がありそうだな?」
言うと、赤い光が魔族達の周囲に浮かぶ。それはくるくると回転しながら輪を作ると、少しずつ範囲を狭めてきた。
「……そこの騎士、デイジーといったか」
「は、はい」
「女性騎士ということは、神官補佐でもあるのだろう。彼らの周辺の神気を払ってやれ。帰りやすいようにな」
「……わかりました」
命じられ、デイジーは目を閉じ、両手を捧げる。その動きを見ていたヴァンパイアたちは、転移術発動のため他の動きができない主に代わって迎撃しようとしたが、それをデルフェールとゼフィストリーが止めた。
「攻撃のようでは、ありませんよ」
「身体が楽になっていくわ……神気が薄れてる」
デイジーが広げた両手に神気が集まっていくと、魔族達の周囲の神気が目に見えて減っていった。それに反比例するように、赤い光の速度も上がっていく。こちらの補佐をしているのだと、ロスティスラフは目を見張った。
赤い光が魔族達に触れ、光がはじけようとしたまさにそのとき。
「また、会いましょうね、タイキ!」
国王の腕の中、レイが手を振った。それに気づいたタイキも、笑みを返して。
「ああ!」
そして、魔族達は王宮の中で、ただの一滴も血を流させずにいなくなった。
※ ※ ※
光が消え、人々が冷静さを取り戻し始めると、王宮はとんでもない大騒ぎになった。
レイリーズは侍従や神官達に囲まれ、そのまま清めの儀を受けることになった。あれだけ魔族と近づき、言葉まで交わしたのだ。きっと一週間は神官に囲まれた生活を送ることになるだろう。
倒れた王妃は、他の侍従や近衛たちが運び去っていった。今回の件で、王妃が握る一部の命令系統も見直さなければ、本当に魔族に国を滅ぼされてしまうと思った国王は、こめかみに指を当てる。
「ヴァンプを前にして、よく生きていたものだな……」
「陛下」
呼ばれ、振り返ってみれば、騎士団長のヨアヒムが跪いていた。彼はなにやらもごもごと口ごもっていたが、やがてはっきりとした言葉を吐き出し始める。
「あの、いえ……ネクロマンサー、は」
「ああ、ずいぶん、人間じみたものだったな。魔族とは思えなんだ」
びくりとヨアヒムの肩が震える。不敬を承知で顔をあげると、国王は苦笑を浮かべていた。
「どうやら、魔族の世界にも改革が起こりそうではないか?」
そう言って、先ほど目の前で繰り広げられた信じられない光景を思い返す。
ヴァンプに張り手をくり返しながら、叩き潰されることなく対等に接していた小さなネクロマンサー。あの場には、アンデットの他にもデーモン、ヴァンパイアの姿があったし、彼がゼフィと呼んでいた女性体の魔族は、そのどちらでもなさそうであったから、おそらく人の姿に化けられるビーストの上位個体だろう。
そう考えると、あの場にはネクロマンサー一人のために、すべての種族が集まっていたことになる。
人との無益な争いを拒む、小さな最上級魔族。
ひょっとして、と、国王の脳裏に夢のような情景が、浮かんで消えた。
第二のほのぼの要素、再登場。
……地の文を『レイ』か『レイリーズ』かで迷ったのですが、タイキがいない場面だけとりあえず、一瞬レイリーズにしてみました。
最初の自己紹介がレイだったので;
ここらへんは自分もだいぶあやふやになってきました。
さて、そろそろフィニッシュ!