(18) ~ 王都への道のりにて
タイキにとって初めての『旅』は、全身を鎖や枷で拘束されたまま檻の中に転がされ、馬に引かれていくという最低最悪の形で実現していた。
最初に意識が戻ってから、同僚に「ジェル」と呼ばれていた騎士以外にも、隙あらばと無抵抗なタイキに暴力を振るっていく生き残りの騎士たちは着実に増えていった。中には、その命を自ら投げ出す形になった神官の友人らしい魔法使いまでが、団長や上級騎士たちの目を逃れてタイキの元へ訪れた。
飲まず食わずで早四日。しかも日に三回はそれぞれ別の人間によってリンチを受けるタイキの体は、しかしそれでも生きていた。最早泣き叫ぶ体力もないのだが、魔族に転生しその性質を受け継いだためか、普通の人間よりは少しばかり傷の治りが早いのだ。もっとも、傷が治ったところですぐにリンチを受けて骨を折るなど、ある意味無限の責め苦を負わされているような、残酷な状況ではあったが。
そしてその四日目の夜。ネクロマンサーの状態を確かめると突然言い出した団長の命令で、タイキを閉じこめている檻にかけられていた分厚い防護布が取り払われた。
「……おい、どういうことだ。明らかに衰弱しているが」
「は、はあ……どうやら、下級騎士たちが、その、」
しどろもどろに報告を続ける第一隊長以下、上級騎士の中でも下級騎士から昇進したばかりの面々を見て、副団長が深いため息をつきつつ簡潔にまとめる。そして頭を下げた。
「申し訳ありません、こちらの監督不行届が原因かと。下級騎士たちで、結界において同僚を失った者を筆頭に、拘束中のネクロマンサーで憂さ晴らしをするという行動がちらほら見られまして……見張りを立てたり、私自身が取り締まるなど対策は行なっていたのですが……当の見張りまでそれに参加するようになり」
「結構、状況は分かった。……が、妙だな」
「妙、とは?」
ヨアヒムが檻の中でぐったりとしたまま、身動き一つしないタイキを睨みながらつぶやく。それを副団長が耳聡く拾い上げ、問い直した。
「結界から出たためか……おい、この際だ、罰することはしないと誓おう。これに攻撃を加えたときの状況を知っている者は前へ出ろ」
罰しない、という台詞と、ヨアヒム自身の落ち着いた声色に誘われてか、ばつの悪そうな表情を浮かべた騎士が数名名乗り挙げてきた。
「す、すいません、近くに身動きできない魔族がいるなんて……その……」
「言い訳はいい。私が欲しているのは情報だ」
「は、殴る蹴るといった行為ならば、あれにダメージを与えられるようなのですが、刀剣や魔法の類になると、薄い結界のようなもので阻まれてしまうんです」
「だけど、しばらくすると殴ったり蹴ったりもできなくなることがたまにありました」
「え、そうなのか?」
騎士たちの間でも、ああだったこうだったと情報が錯綜する。大まかなことを掴んだヨアヒムは、口々に言い合う騎士たち(上級騎士も一部混ざっていた!)の数に眉根を寄せる。
「確かに、多いな……」
「……予想より遙かに、申し訳ありません」
「いや、いい。私も罰さないと示してしまったからな」
小さくヨアヒムが溜息をつく。と突然騎士の一人が、檻の方を見て悲鳴を上げた。
「だ、だ、団長!!!」
「っ!?」
そのせっぱ詰まった様子に、慌ててヨアヒムと副団長が振り返ってみれば、騒ぎで目を覚ましたのか、焦点の合っていない目で宙を見つめるタイキが上体を起こしていた。よくよく見てみると、拘束具が一部消え去っている。
「魔法部隊を呼べ!!! 大至急だ!!!」
ネクロマンサーが活動を開始したと判断したヨアヒムは、近くにいた騎士たちに厳戒態勢をとらせた。先ほどの通達で檻のそばにまで騎士たちを集めてしまったため、人間の壁ができあがり、魔法部隊の面々はその向こう側に取り残されてしまっているのだ。
周囲がどたばたと騒動になっている間、騎士たちの間から何となくタイキに目をやっていた、あの女性騎士は、彼の口が僅かに震えていることに気がついた。なんらかの術を発動させようとしているのか、と警戒した彼女は、上官に報告しようとするもその上官が騒ぎに紛れて見つからない。仕方なしに、単身こっそりと檻のそばへと近づき、耳をそばだてた。
(もし、聞くだけで効果のある術だったら……その時は、その時ね)
背筋を冷たい感覚がはい上がる。
だが、檻のそばで彼女が耳にしたのは、なんの術の詠唱でもない……名前のようだった。
「でる……ほろ……ぜふぃ……りじぇ……りっぱーさん、……でる」
かすれた声で、そればかり繰り返している。女性騎士は困惑した顔で、改めてタイキを見た。
(こうしてみると、本当にただの子どもにしか見えないけれど……)
と、彼女が眺めている間に、また拘束具の一つが砕けて空中に溶け消えた。だから物音がほとんどしなかったのか、と納得した瞬間、バトルアックスを抱えて檻に突進してくる一人の騎士の姿が見えた。彼女が反射的に飛び退いたところで、彼は檻の隙間からタイキめがけて斧を振るう。
「ジャスタスッ!!」
ヨアヒムの怒声と、ジャスタスという騎士の振るった斧がタイキに届かないまま床板に穴を開けるのは、ほぼ同時だった。
「団長、もういいでしょうよ。これだけ弱ってりゃ、いくらでも殺す方法はあります。ここは魔族の住処の結界じゃあない、地上ですよ。ただ最上級魔族だから、ちいっとばかし死ににくいだけでしょう」
ボサボサの髪と髭に埋もれかけた、いっそ山賊といった方がしっくりくるような彼の顔には、時折揺れ動く漆黒の刺青が見えた。魔族に呪われた人間であることを示すその刺青を片手で撫でて、ぎり、と爪を立てる。
「我慢ならないんですよこんな化物とおんなじとこの空気吸ってるなんてなぁっ!!!」
「魔法部隊の人間が揃うまで待て、余計な刺激をするなっ!!!」
ジャスタスが再度斧を振り上げる。ヨアヒムは舌打ちをして、自身の剣を抜き払い彼に迫った。
だが、彼らの行動よりも、ずっと早く。
かたん
「「「……っ!?」」」
ヨアヒム、ジャスタス、女性騎士はそろって息を呑んだ。
斧を振り上げた体勢で静止しているジャスタスの目の前に、ふらりとタイキが近づいたのだ。そして、最後の拘束具である手枷が砕けたところで、タイキはじろっとジャスタスの顔を睨みつける。
「……邪魔」
満身創痍のタイキの目には、ところどころ赤黒いものが混じっている灰色の煙が、ジャスタスを取り巻いているように見えていた。その煙は時折ケタケタと笑いながら、ジャスタスの体に触手めいた体の一部を突き刺している。見ているだけでも醜悪なその光景だが、なによりもタイキが感じたのは。
(なにこれクサイ)
だから、追い払った。これ以上自分にストレスのかかるようなものは、徹底的に排除しておきたかったからだ。
睨みつけられ、あまつさえ邪魔と言われたジャスタスは一瞬で顔を怒りに染め上げるが、一拍置いて魂も何もかも奪われたかのように放心した表情を浮かべた。
「あ、え、おお?」
「……どうした、ジャスタス」
彼の背後から剣を突きつけているヨアヒムは、唐突に彼の放つ殺気が霧散したことに、内心首をかしげた。問いかけにも、反応がない。不審に思って肩に手を伸ばしかけた、その時。
「きゃ」
女性騎士が悲鳴を上げる。ジャスタスの体から、灰色の影がぶわりと飛び出してきたのだ。ヨアヒムは影に触れる寸前の所で後ろに飛び退り、警戒する。他の騎士たちも、行動をし始めたネクロマンサー以外に現れた新たな未知に恐怖しながら、それぞれの得物を構える。
と、飛び出した影は苦しげに身をよじると、シュアアアア……と空気の抜けるような音を立てて消え去ってしまった。煙が消えると同時に、それを見上げていたジャスタスもその場で尻餅をつく。完全に毒気を抜かれた様子の彼を心配して近づいた女性騎士は、その顔をのぞき込んで驚きの表情を浮かべた。
「ジャスタスさん、刺青が……!」
「何?」
彼女の言葉に、ヨアヒムが剣を抜いたままジャスタスのそばへ近づく。同じように顔をのぞき込んで、絶句した。つい少し前まで存在していた、人間にとって忌まわしいものでしかないあの刺青が、きれいさっぱりなくなっていた。
「どういう、ことだ?」
ヨアヒムはジャスタスを回収するよう騎士たちに命令を下しながら、檻の中を見やる。
何か行動を起こしかけていたネクロマンサーは、どこか満足げな表情を浮かべて、その場でくるりと丸くなって穏やかな寝息を立てていた。
※ ※ ※
その日の夜。魔法部隊の面々によって新たな枷を施されたタイキは、しかしずっと快適な夜を過ごしていた。昼間のあの出来事のあとから、酒に酔った勢いでこの檻に進入してくる騎士がいなくなったのだ。
それでも今まで受けた傷が痛むのだが、これはまあおいおい治るだろうとこの四日間の間で学んでしまっている。
(なんか、お腹空いたとも感じなくなってきた……)
ひたすらボーッとしながら檻の中で横になっていると、きい、と音を立てて檻の戸が開かれる気配がした。条件反射的に、タイキは肩を強張らせる。
(また、なの?)
「……どうして」
しかし、聞こえてきたのは罵声ではなく、純粋な疑問の声。
恐る恐る見上げてみれば、ずいぶん前にここを訪れた、あの女性騎士の顔があった。
「どうして、彼を助けたの」
「……助けた? 誰を」
疑問の意味が分からず、タイキは女性騎士に問い返す。彼女は、まさか返答があるとは思っても見なかったようで、目を大きく見開き、逡巡する様子を見せたが、やがてあの時と同じようにタイキの頭のそばに膝をつく。
「昼間、あなたを攻撃した騎士です。彼の呪を解いたのは、あなたでしょう」
「……ジュ、って何?」
ああもう、と言って、女性騎士は頭を押さえた。
「あなたたち魔族が、人間に施す呪いでしょう!」
「あー、魔族の一部だったんだ、あれ。どおりで気色悪いと思った……」
「きしょ……!?」
女性騎士は、タイキの台詞に思わず言葉を無くす。あまつさえ自分の同類に、気色悪いなどと言うこれは。まるで人間の子どものような反応を返すこれは。
本当に、魔族なのだろうか?
「……変なの」
「あ、堅苦しーの、無くなった」
素になってつぶやけば、タイキが耳聡くそれを拾い上げて、にぱ、と笑みをこぼした。
「……………………つくづく、魔族らしくないわね。本当にネクロマンサーなの?」
「うん、みんなにはそう言われてた。あんまり実感なかったけど」
答えて、タイキは目をつむる。
「さっきの、答えになるかわからないけど……あの男の人が来たとき、なんかすごくクサかったんだ。で、半分寝ぼけてたし、邪魔くさいなーって思ったから、出てけって言った。それだけだよ」
「……はあ」
女性騎士は、もうそれしか返せなかった。
それからしばらく、互いに一言も発さない沈黙の時が流れたが、そろそろ見張りの交代があることを思い出した女性騎士は、ゆっくりと立ち上がる。
「行っちゃうの?」
と、足下で転がったままのタイキが、寂しげに尋ねてきた。
「仕事があるのよ、私にも」
「ふーん、じゃ、頑張ってね」
呑気すぎるタイキの言葉に、女性騎士はスッ転びかけた。
「……っ、まったく、あなた本当に魔族か人間か、はっきりしなさいよね」
ぶつぶつと愚痴のようにこぼした彼女の台詞に、目をつむりながらタイキが律儀に返す。
「人間だったよ」
「……え?」
「俺は人間だった。けど、気づいたら転生とかしてて、ネクロマンサーなんかになってた。……今は魔族なんだろうけど、俺は昔、人間だったよ」
タイキはそっと目を開ける。振り返った彼女の顔を見て、ちょっと困ったように眉根を寄せる。
「お姉さん、変な顔」
「……デイジー、よ。私の名前」
今度は、タイキがきょとんとする番だった。未だに複雑そうな表情を浮かべている女性騎士、デイジーは、小さく溜息をついてそのまま檻から出て行く。
ぴったりと布を掛け直され、ほとんど真っ暗になった檻の中、タイキは二、三度彼女の名前をつぶやくと、一人笑って目を閉じた。
ほんの僅かに浮上。お姉さんの名前、ようやっと出せました。
ただ、ちょっと無理があったなあ……。ジャスタスさんが初お目見えで、地の文でばっちり紹介されちゃってるのに、デイジーさんこの会話のためだけに、今まで女性騎士で無理矢理通してたんだもの。
違和感があれば、前の話から直します。ではでは。