(2) ~ 深夜の西洋墓地にて
ぴゅう、と寒々しい風に全身を撫でられて、大輝は身震いしながら目を開けた。
「う、うう……なに、一体、何が?」
軽く頭を振って、周囲に視線を巡らせる。月が雲に隠れてしまっているため、あまり詳しい様子は分からないが、大輝の背よりもさらに小さめなシルエットが、いくつも点在しているのが見えた。
「墓場、のほう? 俺、いつの間に柵越えてたんだろ」
かち、と手に持っていたライトのスイッチをいじる。だが、ライトは沈黙したままで、大輝は思わず舌打ちをした。
「新しい電池にしておいたって言ってたのに……出海のやつ、俺のだけ使い欠け寄こしたな」
それでも捨てるわけにはいかず、役に立たないライトを持ったまま、大輝はとりあえず頭上の雲が晴れるのを待った。こう暗いと、迂闊に歩き出すことも出来ない。はあ、とため息をつきながら俯いて。
さらり。
……何か、感じたこともない妙な感触が、首筋を滑り降りた。
「おっ!?」
思わず鳥肌を立てて、大輝は茫然としながら、ゆっくりとそれに手を伸ばす。鎖骨の辺りを撫でてみると、存外あっさりとつかむことが出来た。
髪の毛、である。それも、ずいぶんさらさらとしていてたまに触ってしまうクラスメイトの女子達のものより手触りがいい。
「でええええええええっっっ!!?」
投げ出して、悲鳴を上げながら大輝はその場を駆け出した。とたん、大きな段差に足を取られて、びたんっと地面に身体を叩きつける。
「って、え?」
じんじんと痛む鼻先を押さえながら、大輝は自分が倒れ込んだ地面を手探りで調べた。少しざらざらとしているが、若干弾力の土である。あの時隣に見えていた墓地は、大体の道は石畳で舗装されていたはずなのに。
「え、ちょ」
ゆっくりと起き上がって、今さっきけつまずいたばかりの段差の方へも目をやる。高さは大輝の膝よりも少し上くらいで、階段と言うには少し高低差が大きすぎる。疑問符を頭上に浮かべながら、大輝は改めて立ち上がり、薄暗い周囲を見回した。点在していた墓石らしきものは、先ほどよりもずいぶんと小さく見えた。
「ちょっと、待てって。ここ……」
さあっと、大輝の動悸が収まらないうちにという最悪のタイミングで、雲の切れ間から月明かりが差し込み、世界を照らし出す。大きく目を見開いた大輝は、「嘘だろ」とだけつぶやいて、ライトを足下へと落とした。
彼の周りに広がっていたのは、およそ見たこともない、荒れ果てた西洋風の墓場であった。
※ ※ ※
あまりに唐突な目の前の光景に、意識を失いかけながらも立ち続けてしばし。
「………………はっ」
もう一度、身体を撫でてきた寒風によって身震いし、大輝はようやっと己の時間を取り戻した。
「待て、待て待て待て」
目を閉じ、目頭をぐりぐりともみほぐして、そのまま両手でぐいーっと頬をつねりまくる。うっすら涙を浮かべた状態で、もう一度目を開いてみるが、風景が変わることはない。Tシャツでいることが信じられないくらい、寒々しいこの世界。
「なんなんだ、これ」
じり、と後退して、ふと自分がもともといた段差の方を振り返ってみる。そして、すさまじく後悔した。段差だと思っていた場所は、そのまま長身の人間が一人寝そべれるくらいの広さがある、地面にぽっかりと掘られた四角い穴だった。しかも、ご丁寧にその隣に、穴をしっかりと覆える大きさの木の板と石版が重なって置かれている。
え、どういうこと?
「……俺、死んだ、て?」
あまりに不可解すぎるこの状況で、とうとう大輝の言語能力も崩壊し始めた頃。
ざしゅ、ざしゅ
まるでスコップで砂場を掘るような、軽い音が聞こえてきた。最初はやや遠くから、次第にゆっくりと、大輝の近くに。ただ、茫然自失としている大輝はそれに気付かない。
ざしゅ、ざしゅん!
音は、とうとう大輝の足下にまで近づいてきた。そこでようやく、大輝も奇妙な音に気付き、視線を下げる。
「な、ばあ!?」
地面から、手が突き出ていた。どこかのRPGでみたことがありそうな、どろどろっとした手首から上のモノが。それがわきわきと握ったり開いたりを繰り返しながら、大輝の足下でモグラ叩きよろしくな素早い移動を行なっている。
一気に全身の力が抜けて、大輝はその場にへたりこんでしまった。少し慌てた様子で、足下をうろちょろしていた泥の手も大輝から距離をとる。ぽかんと口を開いたまま、その手を眺めていた大輝は、一瞬のち酷い耳鳴りを覚えた。
「いって……!」
「……ブ、スカ~? ダイジョウぶ、ですか? 大丈夫ですか、ネクロマンサー!?」
ギィイーンという、大音量のハウリングのような耳鳴りが治まってくると、今度は自分以外の聞き慣れない声が聞こえてきた。どうやら自分のことを心配してくれているようではあるのだが、はて。
「…………まさか」
つぶやいて、大輝はゆっくりと泥の手に視線を向ける。大輝と目が合った(かどうかはわからないが)泥の手は、びくりと一旦動作を止め、ぐぐっと何か力を溜め込むような仕草をした。その次の光景に、大輝は本当に意識を手放したくなった。
するっと音も立てずに手の下から腕が伸び、肩が現れ、もう一方の腕も現れ、頭と上半身が現れて……最後はどこぞのホラー映画で見た『あれ』のように、両手で地面を押しのけながら、しっかりと下半身を引き上げた。『それ』は軽く全身を振って、意外と人間と大差ない素早さで身体を動かし、満面の笑みを浮かべた顔を大輝に向けた。
「あ、ネクロマンサー。いきなり倒れてしまってびっくりしました。お加減はいかがです?」
……表面の肉が腐り落ち、右の頬の骨が完全に露出した、ゾンビそのものの顔を。
「っぎゃあああああああああああああっっっ!!! ぞ、ぞ、ぞ」
「え?」
腹の底から悲鳴を上げて、尻もちをついたまま全力で後退し始めた大輝を、そのゾンビは大きく首を捻って眺めた。その拍子に、またぼろっと逆の頬肉も落っこちる。
「おやおや、まったく、これじゃースカルになっちゃうじゃないですか」
そういって軽く笑ったゾンビは、地面から落ちた肉を拾い、また頬にべちゃりとくっつけて、大輝の方を見やった。ガタガタと全身を震わせている大輝は、もう、言葉も出ない。
「えーっと、ネクロマンサー、ですよね? 封印の棺も開いてますし、雰囲気もまさにそうですし」
「ね、ネクロマンサーってなんだよ。俺は、ただの中学生だっ」
じたばたともがきながら、大輝はさらにゾンビと距離を置こうとする。その鼻先を、青白い光りがゆっくりと通り過ぎた。
「ひっ!?」
「ね、ネクロマンサー、私に驚くのは、まあ構いませんけど、さすがにホロウフレアまで怖がることはないじゃないですかあ」
そこいらじゅうに現れた、大輝の頭ほどの大きさの青白い火の玉。それらを示しながら、ゾンビは苦笑を浮かべて、ゆっくりと大輝に近づいてきた。
「うっあ、こ、ここ、ここはどこだ、どこだよっ」
「ここは忘れられた永久墓地。私たち『アンデット』の憩いの場所ですよ。そして」
大輝と三メートルほど間を開けたまま、ゾンビは答える。
「『アンデット』のリーダーたる死霊使いが生まれ落ちる場所! ……というわけで、改めまして始めまして、新たなネクロマンサー、我らがリーダー」
ぺこりと目の前で頭を下げたゾンビに、周囲を漂う火の玉、少しずつ影を見せ始めてきた異形の姿を見て、大輝は問答無用で理解させられた。全く持って、ついていない。
ここは、自分がいた世界ではないのだと、大輝はそう確信した。
※ ※ ※
「落ち着きましたか? ネクロマンサー」
なんとか根性で足腰が使えるようにし、距離を置いてくれている(大輝を気遣っているのだろう)ゾンビの案内で、大輝は墓地の中央からやや外れにある、陰湿な雰囲気をかもし出している一階建ての家へと連れてこられた。一部窓にヒビが入っていたり、壁にツタが絡まりまくっていたりしているが、特にオンボロというほどでもない。
「頑張って、みんなで手分けして整理していましたから」
ふふん、と鼻息を強くして、大輝の表情から読み取ったゾンビは誇らしげに答える。泥の擬態を解き、皮のずる剥けた手でドアノブを握り、ゆっくりと開いて大輝を中へ促す。
「どーぞどーぞ」
「……じゃあ、お邪魔します」
にこにこ笑顔のゾンビの示すままに、大輝は家の中へと入っていった。必要最低限の家具もそろっていて、とりあえず、大輝は入ってすぐの部屋に置かれていたダイニングテーブルの一席に座った。その正面にゾンビが座ると、わらわらとあの火の玉が部屋中を飛び回り始める。
「え、ええ!? なんだなんだ」
「慌てなくても大丈夫ですよ。新しいネクロマンサーが来てくれて、彼らも喜んでるんです」
無論私もね、と付け足して、ゾンビはさらに笑みを深めた。持ち上げられた左の頬肉が、またぷるぷると震えている。今にも落ちそうで、大輝は彼の顔を直視できなかった。
「な、なあ、そのネクロマンサーって言うのは、さ、やっぱり俺のこと、なのか?」
「そうですよー、他に誰がいるっていうんです?」
「ネクロマンサーになったヤツは、えっと、あなたたちのリーダーになるって言うのも本当?」
「はいはい~」
「……俺、人間なんだけど、いいの?」
「ええ?」
大輝の疑問に、一瞬空気が凍った。しかし、すぐさまゾンビがそれを打ち消す。
「そりゃ無いですよ。確かに身体のつくりとか、気配とかは人間そっくりですけど、あなたから溢れる力はまごうことも無き魔族のものです。ほらっ、そんなに素敵な黒髪も持ってますし! さらに黒い目っていうのも、なかなか珍しいですね」
「素敵な、黒髪?」
そこで、大輝はやっと自分の頭が平素よりも重たいことに気がついた。ぶんぶんと振り回すと、ばさばさと長いものが顔面に当たる。恐る恐る両手で頭を押さえ、髪を掴み、ゆっくりと離していく……胸の辺りまで髪の感触が途切れなかったことに、大輝は愕然とした。
「髪が、伸びてるぅっ!?」
いっそ気持ち悪いほど、クラスの女子の平均的な長さ以上まで伸びてしまっている。うわーきゃーと悲鳴を上げながら髪をむしろうとした大輝だったが、素早く腕にくっついてきた火の玉のせいか、一部分だけ金縛りに遭ってしまったかのような感覚に陥る。
「ちょ、な、ぎゃー!?」
「ネクロマンサー、ちょっと落ち着いてくださいよ、まったく。……そうだ、自己紹介とかすれば、ちょっとはのんびりできますかね?」
悲鳴を上げる大輝を見ながら、ゾンビは軽く手を叩いて一人話し始めた。
「私の名前はデルフェール。気軽にデル、とお呼び下さい。見ての通り、アンデット・ゾンビです。今あなたの手を押さえている火の玉たちはホロウフレアといって、一応それぞれに人格もあるんですよ~。まあ会話が出来るほど意識がはっきりしているものは、少ないですけど」
さあどうぞ、と言わんばかりに右手を大輝に向けるデルフェール。大輝は動かない両腕に憤慨しつつ、ややぶっきらぼうに答えた。
「熊谷 大輝。熊谷が家名で大輝が名前だから。十四歳」
「タイキ様ですね、って、十四歳って幼すぎじゃないですか!? てっきり十歳かそこらかと」
「……デル、あんた結構ストレートに人のコンプレックス指摘するな。ていうか十歳そこらは言い過ぎだろ!」
低い身長と垂れ目の効果で、下手に気を抜いた私服で町を歩くと未だに小学生に間違われることもあった大輝。デルフェールの一言で、同級生(八割方悪友)にさんざん言われた記憶が甦り、ホロウフレアの金縛りがなければ椅子の上で崩れ落ちてしまうかもしれないほど、大輝は脱力した。
「うっ、うっ、もーやだ。なんだよ、なんだよ……」
「いえ、だから、そのーさっきからいっぱい言ってるんですけどねー?」
とうとう泣き出してしまった大輝を見て、デルフェールやホロウフレアたちはわたわたと慌て始めた。とりあえず、デルフェールはホロウフレアたちにまだ大輝の身体を支えるように言って、自分はポケットからぼろぼろの布きれを引っ張り出し、それを右手にしっかりと巻き付けて、大輝に近づいた。
ぽす。
「泣かないでください、ネクロマンサー。泣いてるリーダーを見るのは私たちも悲しいです」
布で覆ったただれた手で、デルフェールも今にも泣き出しそうな表情を浮かべて、大輝の頭を撫でた。驚いたように顔を跳ね上げた大輝は、一滴、涙を目尻からこぼすと。
「ううううーっ!」
「わわっと?」
獣のように呻いて、目の前にあった虫食いだらけのデルフェールのシャツに掴みかかり、頭を預けた。泥で汚れているとか腐っているとか、そんなのはもうお構いなしだった。先ほどまで怖くて仕方がなかったこのゾンビが、とても温かな心を持っていると知ってしまったら。
ひどい臭いが移ってしまう、そう思って大輝を引きはがそうとしたデルフェールだったが、背中を丸め、全身を震えさせながら嗚咽を響かせるこの小さなリーダーの姿を見ては、そんなこと、できそうにもなかった。せめて崩れた肉が長い髪に絡まないようにと、布で保護した右手でゆっくりと頭をなで続けた。
前回のタイトルをミスったような……ま、まあ、初めてなので!(おい
というわけで、落ちてきました主人公。これから頑張って貰いましょう。
……誤字脱字を発見された方、報告していただけるととても助かります;