安心できる場所
「シフィーさん、少々よろしいでしょうか…………?」
「もう寝る所だけれど…………ええ、いらっしゃい」
肩まで被っていたシーツを脱ぎ、シフィーは目を覚ます。
日など疾うに沈んで、現在時刻は午前の三時。
睡眠を必要としないシフィーだからこそ起きていたが、他の者は通常眠っている時間だ。
「起きていてくださって助かりましたわ…………嫌に目が覚めてしまい、眠れないんですの」
「今日―――いえ、昨日は大変だったもの。直ぐに眠りに着けるほど精神図太い人間はそうそう居ないわ」
「そう、ですわよね…………きっとこれは、時間が経てば治る普通の事ですわよね………………」
ベッドの傍に腰掛けたミリスは、震える己の手を押さえ込む―――眠れず、震え。
シフィーはすぐさまその原因に気づく。
即ち、怯え―――数時間前決行され、即座に解決された此度の誘拐事件によって、ミリスは眠るという行為に怯えを抱いた。
目が覚めた頃、またどこか知らぬ場所に居るのではないか。
今度はシフィーも居らず一人、体を差し出さなければならないのではないか。
そして逃げ出す事も叶わず―――無限地獄の中で生涯を終えるのではないか。
そんな有り得ぬ妄想が、ミリスの眠りを妨げるのだ。
「ミリス、もっとこっちにいらっしゃい。おまじないをかけてあげる」
元々寝そべっていた状態から起きて座り―――真横にまでミリスを来させると、左手の甲を差し出させ、指を当てる。
「――――――魔力形式・9th」
「これは…………シフィーさん、刻印師だったんですの?」
「刻印師…………? 知らないわ」
「知らないだなんて、だってこれは刻印術の………………」
ミリスは途中で言葉を止める。
元々王権都市を知らぬ規格外の無知なのだ―――今更刻印術を知らずともおかしな話ではない。
シフィーは指先に魔力を集め、それをインクの様に薄く伸ばしてミリスの手の甲に刻印を描く。
魔力形式・9th―――それは、シフィーオリジナルの刻印術である。
魔力で描いた刻印によりそれぞれの効果を付与し、物を強化したり、劣化させたりなどして戦いに利用する。
今回描いた刻印の効果は、マーキング。
そのシフィーが意識すれば、いくら離れていようともその刻印のある場所をはっきりと認知可能であり、シフィー以外がその刻印を消す事は出来ず。
今後ミリスがどこにいようと、その身に何が起きればシフィーが駆けつけるという証である。
「はい完成よ。普段は見えない様に細工する事も出来るけれど、どうする?」
「このままで良いですわ―――見るたびに安心しますの」
「そう? それなら――――――」
気が緩んだのか、急激な眠気に襲われたミリスの身が揺らぐ。
咄嗟に受け止めたシフィーの慎ましやかな胸に顔を埋めてしまい―――急ぎ体制を直そうとするも、ミリスの頭はそのままシフィーに抱き抱えられてしまった。
「ごめんなさいシフィーさん…………」
「良いのよ、気にしないで」
「とても暖かくて、落ち着きますわ………………こういうのを、夢心地と言うのですね…………」
「落ち着くなら、このまま眠ってしまっていいわよ」
「シフィーさん…………助けてくださり、ありがとうございます………………とても、頼もしかったですわ………………」
薄れる意識の中で体温を感じ、鼓動の数を数えながら呟く。
ミリスの頭を優しい手つきで撫でてやりながら、シフィーは小さく相槌を。
少しずつ、ミリスの呼吸が静かになるのを感じる。
「シフィーさん………出会ってまだ日は短くとも…………私、貴女を好いて居ますわ………………」
「私もミリスの事、結構好きよ」
「意地悪ですのね…………」
気づいてか、気づいて居ないのか、意味を取り違えるシフィーに大して一言文句を呟いたミリスは目を閉じた。
母の胸に眠る赤ん坊の様に穏やかな寝顔で、恐怖など忘れ健やかに眠る―――手の震えは、すでに止まっている。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘
「シフィーさん―――父より、この様な物が」
あれからひと月が過ぎて―――全ての晩を、ミリスはシフィーと共にした。
相変わらず一人では眠れず、人肌を感じて初めて眠りに着ける状態が続き。
毎晩シフィーと話しながら、自然と眠りに落ちるのを待つ日々だ。
この日、ミリスは一つ手土産を持ってきた。
それはシュレディンガー領より送られて来た手紙―――一言目にはシフィーの名を、次には襲撃により結局碌な礼を出来なかったことと、アルカディアへと走らせた事に対する詫びと礼。
現在、シュレディンガー領では順調に復興が進んでいる―――この世界にはシフィーの前世の記憶にある世界とは違い魔導士という存在がおり、魔力由来の力で復興速度も段違いのもの。
シュレディンガー領は既に、ロロペチカ家からの支援もあってインフラの半数が回復。
住居の数も、そもそもの人口が減ったという事で足りている。
「どの様なお話がありまして?」
「今読んだ範囲では、この家のおかげでシュレディンガー領は何とかなっているとの報告ね。あとは………………ロジック、気が回る人ね」
続いて綴られた内容は、もう大丈夫だという事。
それはシュレディンガー領の状況ではなく、シフィーがこの家で待機している状況について。
自分達はもう大丈夫だ―――君は、君のしたい事をしてくれ。
要約して仕舞えば、そんな話だ。
「ミリス、明日この街を出るわ―――最後に貴方のお父様に、ロベリス・ロロペチカ侯爵に礼を言いたいのだけれど、時間を取り付けれるかしら?」
「明日…………その………もう少し、居て下さってもいいんですのよ? まだ街で案内出来てない場所が沢山ありますの…………! それに、私も………………」
「私がここに居る期間は、そのままロロペチカ家からシュレディンガー家への貸になる。それは私の良しとする所では無いわ。ねえミリス、頼めない?」
「シフィーさん………………分かりました、話を通しておきますわ」
引き留めに失敗したミリスはどこか悲しげな表情を見せながらも話を承知。
この日は共に眠る事もなく、少し話した後に自室へと返って行った。
翌朝―――シフィーはミリスの行動力に戦慄する。
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