第42話
部屋に着くとソファーに倒れ込むように座る。
内容が内容なだけに、使用人は誰も入室を許可していなかった。
「リディア、まずは紅茶でも飲んで落ち着こう」
「……ありがとうございます」
温かい紅茶を一口飲むと、ほんの少しだが心が落ち着いた気がする。
それを確認してからお父様はゆっくりと口を開いた。
「行ってしまったな」
「…はい」
「分かっているとは思うが、まだ断定はできないから期限である1週間は様子見をしないといけないからな」
お父様の言う通りである。
しかし、その可能性が僅かなものであることも分かっている。
「リディアはどうしたい」
部屋にお父様の声が響く。
「……私は、…」
その声に答えられるほど綺麗な想いではない。
言い淀んでしまった私の心を察したように、お父様は真剣ながらも優しく笑った。
「素直に思ったことを言いなさい」
お父様はどこまでご存知なのだろうか。
不安を感じる反面、今言わなければならないと思った。
「私はアランを獣人国__いや、レイウコットから連れ戻したいです」
部屋は水を打ったように静かだ。
少し間を開けてからお父様は口を開いた。
「それはアランがスパイでも変わらないか?」
「やはりご存じでしたか」
お父様は静かに頷いた。
アランはレイウコットから派遣されたスパイだ。
その疑いを持ったのは初めて会った時だった。
何となく感じた違和感と勘。
王妃候補の教育として人の嘘を見抜く訓練も受けていたからか、アランが何かを隠していることはすぐに分かった。
「アランが常にループタイを身に着けていたことを覚えていますか?」
「あぁ、緑色のものだろう」
「そうです。アランはそれを使ってレイウコットと通信していたのだと思われます」
「通信?」
「魔力を感じることができるようになってから、アランのループタイに本当に微量ながら魔力を感じていました。恐らく魔法石が組み込まれていると思います」
「ということは、情報の持ち出しが目的だったのか?」
「私の予想ではありますが、それで間違いないかと」
お父様は考えるように顎に手を当てて目を伏せた。
それからすぐに首を傾げる。
「だが、我が家に重要な情報なんて置いていないだろう。盗むことができる情報に限りがあるのではないか?」
「きっと事前の計画では、王妃候補である私の執事としてお茶会などに同伴することで城に侵入し、城に保管されている機密情報を盗む計画だったのでしょう」
しかしアランは一度しか城の敷地に踏み入らなかった。
その1回は倒れた私の迎えだったため、城の中で自由に動くには不向きなタイミングだった。
それらのことから考えられる最も有力な説は…
「アランは意図的にレイウコットからの命令に背いていたと思われます」
お父様は鋭い眼光のまま先を促す。
「…その根拠は?」
「アランは城に踏み入らないだけでなく、屋敷内でも常に私と一緒にいました。本当に命令に従うのならばもっと距離を取り、隙を見て動くはずです。実際、数えきれないほどそのチャンスはありました」
「…たしかにアランが1人で行動しているところはほとんど見なかったな」
お父様も同じように思うのか、何度か頷いた。
「きっと今回のアランからの休暇申請は、レイウコットから帰還命令があったからでしょう」
「そうだな。且つ、アランはもう帰ってこないだろうな」
お父様も、アランから休暇申請が出た時点で覚悟はしていたのだろう。
一度もこうしてアランについて言葉に出して話し合ったことはなかったが、口振りや反応からして気づいていたに違いない。
「それでも好きだったのか?」
お父様は急にそんなことを問いかけてきた。
何のことを言われているか分からず、首を傾げる。
「えっと…何のことですか?」
「アランに対しての感情だよ」
お父様はようやく紅茶に口をつけると柔らかな笑みを浮かべた。
その視線に耐えきれなくなり、視線を外す。
「最初、お父様にお伝えしたアランと婚約したいという申し出は『スパイを逃がさないため』という動機でした。そのため、恋愛感情は一切ありませんでした」
「……」
「しかし、彼と同じ時を過ごすことで段々と彼の内面が見えてきて…今は、彼にどんな感情を抱いているのか私自身も分かりません」
自分の手を見つめる。
そこには何もないはずなのに、何故かアランに触れた時の温かさを思い出した。
「ちなみに使用人やテオード殿下によると、私の人間味が増した理由にはアランが深く関わっているらしいですよ」
私の言葉にお父様は小さく笑い声をあげた。
「いい傾向ではないか。確かにアランが来てから随分と明るくなったな」
2人と同じことを言われてしまい、何とも言えない気持ちになってしまったのは仕方ないだろう。
それからお父様の話を聞いた。
どうやら仕事の関係で、獣人国がレイウコットという国名なのは元々ご存じだったらしい。
だからレイウコットという国名に動揺しなかったのかと、今更ながら合点がいった。
アランについては執事として採用する時点でスパイかもしれないと怪しんでいたが、レイウコットの歴史に明るいだけでなく、魔法も使えて礼儀正しいということで採用したらしい。
「…危険性をお考えにならなかったのですか?」
「リディアの目を信じていた節もある。まぁ、明らかに反逆的な行動が見られたら警備隊に突き出していたがな」
優しい笑顔のままとんでもないことを言うお父様に苦笑いしか返せなかった。
「まぁ何にせよ、1週間は様子見をするように。今の段階で動くのは早計だからな」
「分かりました」
ここからが本番と言っても過言ではない。
これからどうやってアランを連れ戻すか。
私が身に着けるべき能力は何なのか。
私が知るべき事実はどこに隠されているのか。
考えなければならないことは山積みだ。
「とりあえずこの機会を生かしてテオード殿下とお茶会をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「…どこで?」
「勿論、邪魔が入らない我が家で」
お父様は私の意図を読み取ったのか、呆れながらも首を縦に振ってくれた。
 




