第37話
自室に入ると昼食はすでに整えられており、アランは椅子を引いてくれた。
「アラン」
「はい、何でしょうか」
「何かあったら相談してちょうだいね」
「お気遣いありがとうございます」
間が一切開かずに返ってくる。
確かにいつもの笑顔と大きな差はない。
でもどこか無理をしているように感じてしまう。
「…ねぇ、私は脅すつもりもないし無理矢理言わせる気もないけれどさ」
「……」
「私、これでも王妃候補なの。外交術も一通り学んだのよ」
アランは何も言わない。
ただ先程まで慣れたように動いていた体が一切動かなくなった。
それでいい。
私の言葉、一挙手一投足が一種の抑止になればいい。
「安心しなさい。私はいつまでもあなたの味方よ」
「ありがとうございます」
変わらない笑みを浮かべるアランに、私は小さく息を吐いた。
今の私ではここまでしか進めない。
この日の昼食の味は、あまり覚えていなかった。
「今日の夕飯は用意しなくていいわ」
「え?」
「今日中に調べ物を終わらせたいの」
アランは私の言葉に目を見開いた。
きっとアランがこの屋敷に来てから私が食事を抜いたことがないからだろう。
ちなみに今までも抜いたことはないが、今日はお父様が不在だし問題ないだろう。
そのまま書庫の扉を閉めると、扉越しに「承知致しました」というアランのくぐもった声が聞こえた。
申し訳ないが、早急に終わらせよう。
大まかではあるが一通り読み終わった。
今度はこの知識を持った上で分かった状態で何周か読もう。
元々は挟まっていたメモと自分が作ったメモを机に並べてから読み返す。
新しい発見や単語についての考えられる訳をひたすらに書いていく。
「『獣人』…『特性』、『魔法』…『戦争』…『軍』……『王族』?…と、これは『毒』、だよね」
メモを参考に読むことで1週目よりも確実に読めている。
「もしかして、この本って…、」
1週目よりも早く読み終わった。
2週目で分かったことは、私はこの本を完璧に解読して読み込まなければならないということだ。
「これは獣人国___いや、レイウコットの歴史書だわ」
『レイウコット』とは獣人国の正式名称だった。
もう一度、最初のページから読み直す。
本にはレイウコットの成り立ちや王族に関しての情報が載っていた。
獣人と言えど、種族が違う生き物が同じ国の中で共生することは難しいだろう。
それでも国が成り立つ陰には、絶対的な王とそれを囲う優秀な幹部の存在があった。
近接部隊隊長
遠距離部隊隊長
参謀
外交官
特殊部隊隊長
情報管理長
単語としてはこの辺りまでしか分からなかったが、どうやら分野ごとの長が幹部として存在しているようだ。
でも、どうしてこの本が屋敷の書庫にあったのだろうか。
たしかレイウコットとの戦争以来、獣人に関する一切の書物が禁書扱いになっているはずだ。
何にせよ、私はこの本の内容__ひいてはレイウコットについて知る必要がある。
なぜなら、アランはこの国にいたのだから。
「…そうだ、お城なら禁書も保管されているはず」
明日、ダメ元でお城に行ってみよう。
嫌な予感に焦りが募ってしまう。
それを振り払うように頭を軽く振って本のページを捲るのだった。
「明日お城に行かれるのですか?」
夕食を取りお風呂にも入り終わった夜、髪を乾かしてもらいながら明日の予定をアランに伝えると不思議そうに首を傾げられた。
「そう。ちょっと用事があってね」
「私はご一緒しない方がよろしいのですよね。そのテオード殿下のこともありますし…」
「えぇ、悪いけれど明日は屋敷で人手が足りないところの手伝いをしてもらってていい?」
「承知しました」
アランは相変わらず微笑んだまま私の髪を整えてくれる。
「お嬢様の御髪は本当にお綺麗ですね」
「そう?」
「はい。羨ましいです」
自分の長い茶髪を触ってみる。
髪に関して特にこだわりはないが、アランの手入れもあってか状態は相当良いものだった。
ふと、鏡越しにアランの灰色の髪が目に入る。
「アランの髪も素敵よね」
「お褒めいただき光栄です」
緩く結ばれた長い灰色の長髪は今は肩に流されている。
「オイルは何を使っているの?」
「この国で売られているメンズ用のヘアオイルです。獣人国から持って来ようと思っていたヘアオイルは入国審査で没収されてしまいましたので」
「え?」
獣人国…?
そういえば、レイウコットという言葉をアランから聞いたことがなかった。
意図的に隠しているのだろうか。
でも、何のために…?
「?…えっと、獣人国からの持ち込みが相当厳しい審査にかけられるのはご存じでしたか?」
「あ、あぁ…それは知っているわ。ただ、まさかヘアオイルが没収対象だとは思わなくて…」
「そういうことでしたか。確か、使われていた香料が引っかかって没収されました」
アランの言う香料が何か分からないが、もしかしたら特殊な成分が含まれていたのかもしれない。
「でも、獣人国……ね」
「どうかされましたか?」
「いえ、何でもないわ」
とりあえず明日、お城の書庫でこれについても調べてみよう。
「終わりましたよ」
「ありがとう。じゃあ明日のこともあるから今日は早めに寝るわね」
「お休みなさいませ」
「お休み」
アランは丁寧に礼をするとそのまま部屋を出て行った。
「…うん、やっぱりおかしいのよね~…」
ベッドで仰向けになりながら呟く。
動作
笑顔
瞳孔や目の動き
言葉使い
尻尾の動き
耳の反応
今日のアランの全てに違和感を覚えてしまう。
完璧だった。
完璧すぎたのだ。
今までのアランなら、多少の感情の起伏は尻尾や目の動きに出ていた。
しかし今日はその動きを見せなかった。
それが顕著に表れたのは私が「夕食を用意しなくていい」と言った時だ。
目は見開いて驚いていたが、尻尾や耳の反応が少し遅れていた。
きっと特殊な訓練を受けた人でなければ気付かないほどの誤差だが、王妃候補の教育を受けた私は分かってしまった。
朝から疑念を抱いていたこともあり、それを見て今のアランの動きは表面上のものであると確信した。
裏を返せば、何かを隠している。
「あなたがその気なら私だって手加減しないわよ」
それは私なりの覚悟のようなものだった。




