第35話
オレンジ色の温かな光に包まれて城に向かう馬車を見送り、私はようやく一息ついた。
「……疲れた」
思わずそう呟くと、一緒に見送りをしていたメイドたちが労いの言葉をかけてくれる。
「それにしても、テオード殿下の仰った『例の女性』とはどなたのことなのですか?」
「アランのことよ」
「アランさんですか!?」
近くで話を聞いていたメイドが驚いたように声を上げる。
「女性と見間違えますかね?」
「でも髪が長いから一瞬分からないわよ」
「確かにそうね」
井戸端会議のようなものが開かれるが私には話に加わる元気は残っておらず、自室に戻るために歩き始めた。
いつもはアランが常に傍にいてくれるが、今日は誰もいない。
前まではこれが当たり前だったのに、随分と寂しいと思ってしまう。
帰ってきたら色々な土産話を聞こう。
今はそれを楽しみにしながら、今日はゆっくり休むことにした。
翌日、お父様もアランも不在ということで久々に探検を兼ねた散歩しようと屋敷内を朝食後から歩き回っていた。
家にいる時は基本自室で本を読んだり、屋敷の裏にある広い庭で訓練をしたりと滞在場所に偏りがあった。
屋敷内の大きな模様替えはないものの家具が新調されていたりと、少しずつではあるが変化しているのを感じる。
「そういえば、書庫もしばらく行っていないわね…」
昔から本を読むのは好きだったのだが、王妃候補の教育もあり与えられたものを読むことが多かった。
アカデミーに通っている時は図書室がお気に入りの場所だったが、休学中の今はそこを利用することも難しい。
行ってみるのもいいかもしれない。
抑えきれない好奇心と期待を胸に、長い廊下を歩いていく。
「ここが確か…」
見覚えのある重厚な扉をゆっくりと開ける。
ギィ……という音と共に埃っぽい匂いが鼻をつく。
薄暗い室内を見渡すと、壁一面にびっしりと本が並んでいる。
懐かしさに胸を弾ませながら、ゆっくりと足を踏み入れる。
「この部屋に入るのはいつぶりかしら…」
一歩ずつ歩みを進めながら、本の背表紙を見て回る。
幼い頃は難しい文字が読めなかったため、絵本や童話などしか読むことができなかった。
しかしこの歳になれば大抵の文字は読めるし、異国の言葉も多少ではあるが読むことができる。
アカデミーの図書室では見たことない本も何冊かある。
また時間のある時に読もうと、とりあえず気になった本を引き抜いておく。
どれぐらいそうしていたのだろうか。
廊下で誰かが私の名前を呼んでいることに気づいた。
「ん?どうしたのかしら」
何度も呼ばれることに違和感を覚えて扉を開けると、物凄く驚いた顔のメイドと鉢合わせた。
「リディア様!こんな所にいらっしゃったのですね!」
「えぇ、ちょっと気分転換に。どうしたの?」
「もうすぐ昼食のお時間でございます」
「あら、もうそんな時間なのね。ちょっと待って頂戴」
思っていたより時間が経つのが早かったようだ。
急いで書庫に戻り、取り出した本を抱えて部屋を出る。
「すごい量ですね」
「つい楽しくなってしまったの」
「お持ちしますよ」
「ありがとう、なら半分頼むわ」
そう言って抱えていた本をメイドに半分手渡した。
そのまま自室まで運んでもらう。
「それにしても、お嬢様は本当に本がお好きなのですね」
「そうね。小さい頃からずっと読んでいるわ」
「こんなに分厚い本を読まれるなんて…今持っているだけでも20冊は軽く超えていませんか?」
「何冊かは数えていなかったわね。気になった本を手当たり次第抜いていたから」
そんな話をしていればいつの間にか自室についており、扉を開けてくれたメイドに礼を言う。
昼食はすでに用意されており、本を空いている机に置いてから椅子に座る。
いい匂いに一度空腹を意識してしまえば、途端に鳴り始める自分の胃袋が憎い。
あっという間に完食して紅茶を飲んでいれば、メイドが声をかけてきた。
「午後はお出かけになられる予定はありますか?」
「いいえ、特にないわ」
「分かりました。では、何かありましたらお呼びください」
どうやら午後からの予定を聞くために声をかけただけだったようで、それだけ聞くとすぐに食器を下げて退室した。
アランなら傍にいてくれるのに、なんて思ってしまう。
前まではこれが普通だった。
寧ろ、他の家と比べてもこれが普通だろう。
きっと彼が珍しいのだ。
それでも誰かが傍にいてくれるだけで確かな安心感があった。
「早く帰ってこないかしら」
思わずそんなことを呟いてしまう。
折角の休暇だというのになんてことを願ってしまっているのか。
寂しいという気持ちを振り払うように先ほど書庫から持ってきた本を手に取るのだった。




