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雑記(仮題)  作者: soo
9/28

相手がどう考えているか、何を言いたいのか、自分はそれをどう受け止めているのか、どう感じているのか。そういうことを考える冷静さは大抵、会話の後に後悔と一緒にやってきてたなって思う。

 いつもは夜の十時くらいにこれを書き始めて、大体一時間くらいで書き終わって予約投稿して就寝というスタイルなんだけど、今日はいつもより早めに書き始めたのでちょっと余裕があってのんびりした気持ちで書いてる。余裕って大事だね。特に私はマルチタスクが苦手なこともあって、余裕がない状況でシングルマルチ関係なくタスクをこなす状況にストレスを感じるっぽい。もともと情報処理能力が低いし、記憶力もあんまり良くないからね。学生だったころは勉強がそこそこできた方だったから自分のことを「頭が良くない」と思ったことはあまりなかったけど、今はどっちかというと「頭が悪い寄りの人類なのでは?」と疑っている。IQテストとか受けてみようかな~なんてね。


 手帳のマンスリーに今年から「気分シール」を毎日貼ることにした。お天気マークを模したデザインのシールで、一番良い=虹で、一番悪い=雷のついた暗雲というデザイン。どっちかというと一番悪い時って雷というよりはただただ暗闇だし、怒りよりも絶望とか悲しみの感情が強いから、雷雲って私の中ではちょっと違うような気もするんだけどさ。でも、幸いなことにまだ雷雲は使ってないので、それを使うような日がどういう気分なのか私の中で正解はない。

 シールは虹から赤いお日様、オレンジのお日様、お日様と雲の一番から四番目の良いを示すシールがわりとガンガンなくなっていたんだけど、ここ三日くらいはずっと雨雲を貼り付ける羽目になってしまった。理由は、雑記の最初の方に書いた「お見合い」のせい。正確にはお見合いそのものというより、結婚して欲しい母と結婚したくない私との間で、わりと不毛な口論が小規模に勃発しているせい。もう、本当にすごく憂鬱で、仕事に没頭して何とかやり過ごしている感じ。仕事してて良かった。忙しくて良かった。そして雑記を書いてて良かった(ツイッターでは「何でこんなこと始めたんだ自分!」とか言ってたのに、舌の根も乾かぬうちにお前……って私も思います)。


 私の母に限らず、私がおそらくもっとも強烈なストレスを感じることのひとつに「相手の話を聞く気がない人と対話をする」というのがあってさ。これは、もう本当に避けられるなら一生避けたい。人生で遭遇する機会を一回でも多く減らしたいってわりと本気の本気で思ってる。これ、本当にすごくすごく嫌じゃない? 時間の無駄だし、無駄に傷つくし、得るものは何にもない。そもそも相手にこちらの意見を聞く気がない以上、一方的に殴られるだけの会話になる。でも、そういう人って口で言葉を発して相手を黙らせるか、相手から恭順や謝罪を引き出すこと=コミュニケーションだと思っている所があるんだよな。そのくせ、自分の欠点や考えの矛盾、あるいは関係ない話題を持ち出していることを指摘されると逆ギレしたり、トンチンカンな暴言を吐いたりしてくる。そういう人と話をするときって録音して後で聴き直してもらって、もう少しちゃんと話をしませんかって提案したくなるよね。やらんけどさ。そういう人って自覚よりずっと冷静さを欠いていて、その場の感情任せで喋ってんだろーし。


 私は人と真剣に話をするとき、どちらかというと今は相手にまず喋らせて、じっくりその内容を聞いて考えることが多いんだけど、昔からそうだったわけじゃなかったなってふり返ると思う。昔の私(といっても五年くらい前までだから、わりと最近だわ)は、とにかく「私の言うことに納得させたい」って気持ちが先走ってた。大嫌いな話し方をするほうの人間だった。対話ができないほど極端ではなかったし、相手が話しているときに遮って反論したり、他人の話の腰をくり返し折るような真似こそしなかったけれど(対話ができない人は本当にめっちゃこれをやる)、相手が話しているときは反論の糸口を探して耳を傾けていた。

 相手がどう考えているか、何を言いたいのか、自分はそれをどう受け止めているのか、どう感じているのか。そういうことを考える冷静さは大抵、会話の後に後悔と一緒にやってきてたなって思う。失敗をいっぱいくり返して、どうにか今のようになれたけど、それだって全然まだまだ足りない。それでも訓練をくり返してようやく、ようやく頭に血が昇ったときカウントバックする習慣が身について、少しはマシになったかな。なってたらいいなあ……(カウントバック=暗算で百から三ずつ引き算をし、ゼロになるまでカウントするというアンガーマネジメントのテクニックのひとつ)。


 人類全員がそうだってわけじゃないだろうけど、私は自分をふり返ると、とにかく「自分のことを分かって欲しい。認めて欲しい」って気持ちが強いと、対話ができない人になる気がする。コンプレックスが強かったり、自己肯定感(あんまこの言葉好きじゃないんだけど、この場合は多分適切だと思うから使うわ)が低いときって、相手が「同意してくれない」ってだけでものすごく辛かったりするんだよね。別に「同意はしないけど、あなたの考えは認めるよ」ってことが多いし、考えを変えろって言われたわけじゃないこともあるのにね。そして「同意する」っていうのも、たまたまある問題について同じ意見を持っているってだけで、認めてくれているとか、味方しているとか、好いてくれているとかでは全然ないのにね。

 分かって欲しいって思えば思うほど、人間って分かりにくくて面倒くさい存在になっちゃうのかもしれないな。そして、自分を分かってもらうためにはまず相手の話をちゃんと聞くことが一番近道な気がするよ。話を聞けば、伝えやすい言葉だとかタイミングだとか、そういうことも掴みやすいし、そもそも自分の話を聞いてくれない人に興味や好感を持つ人のほうが珍しいし。知りたいって思ってくれない人のことなんて、知りたくないもんだよ人間。イソップ童話とかにありそうだなこれ。


 共感の時代、なんて言われてるけど、それを重視しているうちは寂しい人ばっかりの世界になっちゃいそうで怖い。共感なんてされなくてもいいよ。ただ、あなたと違う私を、あなたと違う生き物なんだ、だから違うのが当たり前なんだって思って欲しい。違う体に、違う魂が入っていて、違う環境で育ち、ときには違う時代を生きてきた、その違いを一緒に楽しんでいきたい。分からない、だから気になる。だから話を聞かせて欲しい。同意はできないかもしれないけれど、あなたがどんなことを考えているのか知りたい。近しい人とはお互い、そんな関係でいたいなあ。

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