小説、書いてきてよかった! 大好きだ!!!
今日で最終回なので何か特別なこと書きたいなーって思ったりもしたけど、それって違うような気もしちゃって、結局「何を書こうかな」のまま突っ込んできちゃった。そもそも28日間連続更新っていうだけで私の中では超進化なんだよね。書き始めて三日目くらいで「いやこれ無理なのでは」って本気で思ってたし。多分二月の最初のほうのTwitterを探すと「何でこんなこと始めてしまったんだ」って頭抱えてる私がいるよ。本当、よくやりきった。偉い偉い(そうか?)。
雑記の最初のほうを何気なく読み返してみたんだけど、わずか一ヶ月前なのに今とは書き方がちょっと違うなって感じた。今の書き方がその頃に比べて良くなったのか、悪くなったのかは正直私では判断がしにくいんだけど、ただこうして書いている文章と自分との心理的な距離は間違いなく縮まっていると思う。一日に書いた雑記と、今日書いているこれでは、率直さがだいぶ違うよ。格好つけたくないみたいなこと確か最初のほうに書いたけど、いやそれ書いてる記事でも十分格好つけてるよ~って今は分かるよ。暴露すると、私この雑記って21時より前に書き始めたことがなかったんだ。でも23時には公開しなくちゃいけないから、最長でも二時間くらいしか書く時間がなかったってわけ。まして、意図せず今月は最初のほうにメンタルやられる出来事があって、そこからは気持ちの余裕がなかったら自分自身を飾る暇もなくてさ。時間の圧と気持ちの圧の両方から、気がつくとちょっとずつ本当の本音が絞り出されていたのかもしれないね。イメージはドモホルンリンクルだな。雑記(仮)を読んで私に失望した人がいるかもしれないけど、もしそうだとしたら私はちょっと安心するかもしれない。余計なもの、もうあんまり被りたくないんだ。ここから先は、せっかく最終回だし創作に関してちょっと突っ込んだ話をするよ。
もう知ってるよって人はいそうなんだけど、私、昔は他人のことをすごく気にしてた。書いた作品があまり読まれないことが死ぬほど恥ずかしくて惨めだった。私は万単位のお金を払ってすら絵を描いてもらえず逃げられることがある一方で、人気作家の知り合いは神絵師のほうから無償でいくらでも絵を描いてもらっているのを見て夜も眠れないほど悲しかった。評価されたいくせに、いざされたら「義理なのでは」って疑って、パンフに載っても「運が良かっただけだ」って卑下して、でも誰にも何の話題にもされなかったら苦しくて仕方なくてさ。パワースポットに行くたびに祈ってた。「神作家になりたい。上手くなって、無視されたり、適当に扱われない存在になりたい」って。取るに足らない自分が大嫌いだった。努力しても報われないかもしれないって怯えながら、何もしないのが怖くて頑張ってたところがある。よく「努力家だよね」「ストイックだよね」って言われてたけど、私にはそれが嘲笑に聞こえてた。「頑張ってるのに何にも成し遂げてない。変われない。結果も出せない。努力すること以外、何にもできない奴」だと自分をいつも殴ってた。あの頃にやってたことも、発言も、人付き合いの仕方も、いっぱい後悔があるよ。でも、実はあんまりそれを黒歴史だったとは思わないんだよね。
あの頃、私は何かを失うことが怖かったんだ。創作活動でいえば、友だちとか、フォロワーとか、読者とか、評価とか、自信とか、そういうの。失ったら二度と取り戻せないって思ってた。だからなるべく失いたくなくて、自分の世界につなぎ止めておきたくてさ。でも、それって無理なんだよな。自分も、他人も変わっていくんだから。でも、私はなくさないように一生懸命で、でもそういう必死さとか暑苦しさって、他人からしたら気持ち悪いし怖いよなってことが分からなくてさ。好きな人に嫌われたら原因について何ヶ月も悩み続けたし、新作が旧作より評価されなければ眠れないくらいに落ち込んだし、でもそういうのを出すのは格好悪いって思って我慢してた。今思うとあれは、格好つけたかったとか自分を大きく見せたかったのもあるだろうけど、それ以上に「なんだコイツ大したことないじゃん」って思われて、人が離れていったり、あるいは利用されたり適当に扱われたりするのが怖くて仕方なかったんだろうな。可哀想な奴だったな。自業自得だけどさ。
今はどうなのかっていうと、昔とそれほど自分が大きく変わったとは思ってないんだ。ただ、もう何かをつなぎ止めたいっていう気持ちはあんまりない。私の周りには今とても素敵な友だちがいて、私の作品をすごく大切に愛してくれる人たちも片手くらいはいてさ、私自身も自分と自分の作品を好きで、そりゃ色んな問題もあるけど、自分の世界を私は気に入ってる。でも、心のどこかでいつも「これはずっと変わらずあるわけじゃないい、今だけのものだ」って思ってる。そして、その「今」をなるべく大事に積みかさねてる感じ。友だちとはいつか別れるだろうし(だって私たちは極論いうと全員いつか死ぬ)、読者だって他に好きな作家を見つけたり私に飽きる日が来るだろうし、私だってここから死ぬまでの間には自分を憎む時期が何度もあると思う。どんなに素敵な「今」も、いつかは変わってゆく。でも、昔と違うところがあるとすれば、私はそれでいいって思ってるんだ。それより変化を恐れずにいたい。変わり続ける自分で、変わり続ける世界にいたい。失うって考えると怖いけど、代謝していると思えばあんまり怖くない。絶対的なものを持つことのほうが今は怖いよ。
何かをつなぎ止めようと思うと動けなくなる。変わることも怖くなる。それなのに、つなぎ止めようとしている対象は自分とは無関係に変わり続けて、離れていってしまうこともよくあって、ガチガチに固まった自分だけが同じ場所に取り残されちゃう。昔、尊敬する人と仲良くなって、その人とずっと友だちでいたいって思ったとき、ドンドン心が縛られていったことを思い出したよ。最終的には思ったことを言えなくなって、我慢の連続になって、相手が仲良くなりたいと思ってくれた「第一印象の私」を崩さないことばかり考えてた。でも、そういう奴って結局嫌われちゃうの。そりゃそうだ。いつも自分に対して萎縮して、ご機嫌取りみたいなことしてくる奴なんてさ。その人だけじゃないんだけどね、そうやってガチガチになってたのは。誰に対してもそうだった。最終的には、誰にでも緊張させて気を使わせてしまうような、面倒くさい卑屈野郎になっちゃってた。
面白いのはさ、そうやって人から好かれたいって思って、色んな人に気を使ってた頃よりも好き勝手やってる今のほうがよっぽど人に好かれるってことよな。一応断っておくと、別にそんな人気者ではないし、友だちは少ないし、多分嫌いな人には滅茶苦茶嫌われて悪口言われてるだろうし、そうじゃなくても大部分の人には空気扱いされてるんだけどさ。でも、何だろう、それでもあの頃よりずっと人に好かれてるなって思う。きっとこの人たちは、私がよほどのことをしなきゃずっと私を好きでいてくれるし、作品も愛してくれるだろうって思ってる。そーいうものが欲しくて、欲しくて、滅茶苦茶努力して、挫折して、心折れて、泣きながら「もう何にもするもんか。好き勝手にやってやる」って決意して、意地はって、好き勝手やって、そしたら気づいたら欲しかったものが手の中にあって、それが嬉しいけど、明日なくなっちゃったとしても私は多分、笑えると思う。そういう私にずっとなりたかったし、なりたかった自分を今生きてる。そしてそうなれたのは小説を書いて、そのことで悩み苦しんでのたうち回って、人に嫉妬して、自分を憎んで、考えて、書いて、恥かいて、喜んで、祈って、笑ってをくり返してきたからだって思うわけ。
だから、もし今とても苦しい人がいたとしても、それは絶対無駄にならないよ。焦らず、苦しいなら苦しんでいいし、辛がっていいと思う。全然悪いことじゃないし、いつか絶対にそれは何かしらになるからさ。ただ、その「いつか」って生き延びて、書き続けないと来ないんだよ。私なんか、ものすごく醜態さらして、格好つけて、いっぱい迷惑かけて、それでもみっともなく書き続けて、そしたら楽しくなってた。焦らずやっていけば、いつか何とかなる。
これからも、飽きるまで小説を書いて、最後まで変わり続けることを誓うぜ! 小説、書いてきてよかった! 大好きだ!!!