そりゃ、面白かったとか、好きとか、泣いたって言われたら滅茶苦茶嬉しいんだけどね。
最近読んでいる本は池波正太郎著「食卓のつぶやき」というエッセイなんだけど、これがものすごく面白くて好きな本だった。扱っているネタやエピソードも魅力的だし、食べ物や人物の描写も素晴らしいし、あと何より世界を見つめる視線に静謐さを感じる。大きな流れを、じっと優しく見つめているような印象。さすがだなあ、と思っちゃった。いや、何目線だよって言われそうだけど。
私生活の諸々で私の中の創作回路がどうもダメージを受けちゃったらしく、ちょっと前まではちきれんばかりにあふれていた「書きたい欲」が最近あんまり主張してこない。ストレスって良くないんだなあと真面目に思い知った。何かを作り出すためには、ある程度の余裕が必要なんだろうな。少なくとも私の場合はって話なんだけど。どんなときでも自分は書かずにはいられない人間だっていうのは、どうも思い込みだったみたい。思考力が落ちるレベルのストレスがかかると、さすがの私も小説が書けなくなるんだな。今後はより一層、ストレスに気をつけていきたいわ。まあ、今の状態もそう長くは続かないだろうしね。多分。そうあってくれ!
部屋の片付けをしていたら去年の年末に製本した「鉄のカナリヤ」の見本誌が出てきて、思わずちょっと読み直してみたんだけど、何かすごく一人で「良い本作ったな」って思っちゃった。自分の作品に対してこういう気持ちを持つことって今まであんまりなくて、だからすごくビックリしちゃったんだけどさ。でも、本当、我ながら良い本を作ったなって思う。そして、そう思えたことが嬉しいなっても感じた。過去に作ってきた本だって多分それなりに良い本だったと思うし、カナリヤが突出して出来が良い本だってわけでもないはずで、だから本当に「何でこの本はそう思うんだろう?」ってすごく不思議。私が変わったのか、作品が今までと違うのか、それとも地球が変わったのか?
何にせよ、嬉しい。一応、ウェブ小説を書き始めて今年で十年目に入ったんだけど(その間、年単位で休止期間とかあるから正確には十年ずっと書いてたわけじゃないし、そもそも遅筆だからマジでただ年月だけ経っちゃった感じするわ。恥ずかしいな)、心から「これは良い作品を書けた」って思えたのは初めてなんだよね。今までは「これって良い作品だよね?」って周りに確かめたいような、それで「良かったよ」って言われたら「だよね~よかった私の勘違いじゃないっぽくて(でも、もしかしたら気を使って言ってくれただけで本当はそう思ってないかも。そうだったら恥ずかしいな。勘違い乙じゃん自分)」とかなんとか、そういう変にこじれた気持ちがあったんだけどさ。でも、今回は本当、外の声があんまり気にならないの。そりゃ、面白かったとか、好きとか、泣いたって言われたら滅茶苦茶嬉しいんだけどね。そういえば、感想に対する嬉しさの感じ方もちょっと前とは違ってきたかもしれないや。前は、嬉しいんだけど調子に乗らないようにしようとか、謙虚にしようとか、あんまり喜びすぎたら痛いかなとか、そういうことを考えてた。あと「こんなに私を喜ばせてくれたんだから、私も何か返さなきゃ。相手の作品を読んで感想を送るとか、そういうことしたほうがいいのかな」って悩んだりとかね。今思うと横っ面引っぱたいて「目を覚ませ、馬鹿!」って言いたくなっちゃうな。面倒くせえ奴だよ、自分のくせに。
カナリヤは全然完璧な作品ではないし、特にランキングに入るでもなく、ポイントがバカスカ付いているわけでもなく、人気はないし、おまけに冬コミで売れた数は一冊だけなんだけどさ。でも、私はこの本を作れたことがすごく嬉しくて、親馬鹿って言われそうだけど、この本が現実に存在していることがすごく幸せなんだ。この気持ちって何なんだろう。自信とか自惚れとかそういうものとはちょっと違う気がするんだ。初めて本当に「やりきった」本なのかも。ずっと書きたかった話でもあったし。「書けて良かった」って大の字で寝転がっているような気分。悔いがないんだ、全然。
こういう気持ちでいつも書けたらいいんだけどな。とりあえず元気が戻ってきたら書きたいモノをまたヒッソリ書きます。次回作は海の怪物が出てくるお伽話風のBLを連載するよ~! 夏くらいまでに載せるのが目標です。その前に夏コミどうしようかなあ……うむむ。