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雑記(仮題)  作者: soo
10/28

私は絶対にイケてるお婆ちゃんになれる。だって、それが私の夢の一つで、そのために今できることを頑張ってるからね。

 チョ・ナムジュ著「彼女の名前は」を読み終わった! これは「82年、キム・ジヨン」で有名になった著者の2冊目の本で、ノンフィクションだったものを小説の形に直した連作短編集。読んでいて何度か胸が詰まるような、泣きそうになる瞬間が何度もあった。特に胸が苦しくなった話は「20年つとめました」と「ばあちゃんの誓い」、そして「また巡り会えた世界」と「十一歳の出馬宣言」の四本。それぞれの感想を書き始めたらとんでもないことになりそうなのでここでは割愛。ただ、素晴らしい読書体験だった。キム・ジヨンを未読の人にはそこから読んで欲しいし、既読の人はぜひこれも読んで欲しいな。

 この本はフェミニズム小説に分類されるんだけど、その内容は女性差別の話だけに留まらない本だと思う。そもそも性差別って、相手を意志をもった人間で、心身の性別はその後についてくるものだっていう認識が欠けているところから始まるんだと思う。これは自戒を込めて。私たちは、まず「私」なんだってこと。そして他人は「その人」なんだってこと。性別や人種その他の属性はその後に続く「私たち」のほんの一部でしかないこと。そしてこの世界は沢山の「私」の集合体であること。その上で、私たちは常に他の誰かの喜びにも、恐怖にもなり得るんだってこと。誰もが人を傷つけるし、傷つけられる可能性があるってこと。その自覚を失ったとき、社会は地獄と化すんだと思う(実際、現実の社会はわりと地獄になり果てている気もする)。


 とりあえず、私の地獄の話を今日はするよ。ツイッター見てる人は分かると思うんだけど、私は私の仕事をすごく大事にしてるんだよね。さっさと稼ぎきってセミFIREして、小説の執筆と読書と旅三昧の隠居生活をするって目標があって、そのためにはお金が必要なわけでさ。今の職場はその目標に関しても条件がいいわけです。残業代きっちり出るし、昇級もボーナスもあるし。福利厚生かなり手厚いし。業界としても先細らないしね。なにより前の職場でパワハラの一環なのか、とにかく上司から業績を否定されまくってきたので、正当に評価してくれるところが最高。今の会社で出世するために転職して八年、頑張ってきた。結果も出してきたし、評価もされてきた。それって私の人生にとってものすごく大切な幸福のファクターなんですよ。

 でもね、私に結婚して子どもを産んで欲しくてたまらない母にとって、私の仕事もキャリアも「そんなこと」になっちゃうんだって。そのあとに続く言葉は大喜利にしようか。何でもいいよ、否定の言葉なら。「よりもっと大事なことがある」とか「意味がない」あたりが正解に近いかもね。自分でいうのもあれだけど、私、わりと頑張ってるほうの社員なんだよ。でもね、そんなことなの。結婚しない、子どもを産まない独身の娘ってだけで、その他の部分は全部なかったことにされちゃう。何だかな~って空しくて、悲しくて、悔しかったよね。そりゃ、子どもを産んで育てるって立派だよ。すごいことだよ。でも、それが「一生懸命生きてる人」の絶対条件じゃないでしょってね。

 母はぶっちゃけ、就労経験に乏しい人なんだ。短大を卒業後、親戚のコネでちょっぴりOLやってたくらい。八重洲のOL時代を今でも自慢にするけど、三年もたたずに結婚して辞めたところまでが自慢話のセットなんだ。「女はクリスマスケーキなんていわれてたのよ」って、25歳までにゴールインできた自分が誇りっぽい。そりゃ、37歳の私なんて賞味期限切れどころか腐り果ててドロドロに見えるだろうけどさ。でも、別にそもそもケーキじゃねえし。私は超合金プラモなんで。

 で、結婚後は専業主婦を十五年くらいやって、私が中学生くらいから三時間ちょっとのパートタイムで働いてた。そのせいなのか知らんけど、私には「手に食をつけて食うに困らないようになれ」って口酸っぱく言ってきた。幼稚園生のときにデザイナーになりたいって言ったときも、中学でイラストレーターになりたいって言ったときも、高校で美術修復師の専門学校に行きたいって言ったときも、いつも「そんなんで食えない」って否定されまくった。やってみなきゃ分かんないじゃんって今なら思うんだけどさ。当時はね、私も洗脳されまくってたからね。「食えない夢は駄目なんだ」って思ってた。うわーもう他人の子どもなら見てるだけで泣きそうだよ。私が抱きしめて「そんなことないよ」って教えてあげたい。過去の自分じゃできないな~残念。ついでにさ、大学の時に出版社の企画で作品を送ったことがあるんだよ。イラストの。親元離れてたから好きに絵が描けてさ(実家にいたときは絵を描いていると取りあげられて破かれて、道具も何度も捨てられたんだな)、良いのが描けたから送ったの。そしたら編集者だって人が会いに来てくれた。色んな話をされて、アシスタントとして勉強しつつ本気でやるなら連絡をくれって言われた。別に大学を辞めるつもりはなかったよ。無理だと思ったし。でも、嬉しかったから母親に電話して話したら、そんときも「そんなこと」って言われたっけ。私はただ「え、凄いね」って言って欲しかったんだけどな。応援してくれなくていいから、頑張ったねって言われたかったの。私の好きなことで。まあ、他のことでも褒められたことなんてなかったんだけどさ。95点で怒られて、80点以下取るとぶたれたからね~中学までは。


 話がそれちゃったな。とにかくそんな感じで進学して、大学卒業して、ブラック企業で廃人になりかけて、生還して、今の会社に入ってさ。出世して金を稼ぐようになって、ようするに「食えるように」なったってわけ。でも今度はそれを「そんなこと」って言われるわけよ。もう何だかワケ分かんないよね。次から次に条件が出てくる。結婚して、子ども産んだら産んだで「そんなこと」って言われそう。地獄だよ、そんな生き方。他人が勝手にクリア条件を足していくゲーム。

 私は仕事が好きで、家事が嫌いで、家庭も子どもも欲しくない。しかも今の世の中、どんなホワイト企業だって出産と子育てのブランクを挟めば出世には必ず影響が出る。私はキャリアを失いたくないし、そもそも子どもを欲しいと思ったことが今まで生きてきて一度もないんだよ。いらないもののために欲しいものを手放せって、そんな馬鹿な話があるかい。

 って話をしたら、母は言うワケよ。「産んでみなくちゃ分からないでしょ」って。もう、ポカーンだよね。何いってんのこの人って感じ。意味がわかんない。そんな理由で子ども産めるかよ。「産んでみなくちゃ分からない」の意味分かってんのかよって。「欲しいか欲しくないか、産んでみなくちゃ分からない」ってことなんですけどって。欲しい人しか産んじゃ駄目でしょ。産んじゃって、やっぱり欲しくないってなった先には親にも子どもにも地獄しかないのに。あんた、それでも人の親かよって思った。いや、私の親なんですけどね。私が人間ならって前提がつくけど。 で、そこからは恒例の泥仕合。絶対に結婚させたい母と、絶対結婚したくない私の、エターナル分かり合えない不毛な話し合い。この上なく無駄でストレスフルな時間。心底いらねーって思う時間。一万円渡して黙っててくれるなら迷わず払っちゃうね。


 でもさ、その言い争いの中でこれが母の本音だなって思う言葉があった。それはこんなの。

 

「親になれば、あんたにも親の苦労が分かる」


 結局これなんだろーね、母の言いたいことって。私に分かって欲しいんだよな。自分はあんたを育てるのに大変だったって。だからあんな風にするしかなかったんだっていうことをさ。私に対する負い目を払拭したいんだろう。分かっちゃったら、もう、本当に「はああああ」って感じ。詳細は割愛するけどね。ちょっとかなりヘビーな内容になるから。まあ、親に殴られた傷が原因でプール授業に出られないことが何度もあったってことだけ言っとく。「プールあるから見えるとこはやめて」って中学になってからはお願いしてたこともね。

 母は、私に言って欲しいんだろうな。「色々厳しくもされたけど、お母さんのおかげで私は幸せになれました」って。腕に子ども抱いて、隣に旦那さんを立たせて、マイホームとか買って、庭にミモザの木でも植えてさ。エプロンつけて、微笑んで欲しいんだろう。お母さんは良い母親だったよって笑って言って欲しいんだろう。でもね~それは無理なんだ絶対。母のようになりたくない、とまでは言わないよ。そんな悪逆非道な人ではないし。ただ、私にとって家庭は長い間、そう、私が二度と自分の意に沿わないことはしないと決めて人生を立て直すまで、要するに八年くらい前だね、その瞬間より前まではずっと、家庭=地獄だったから。両親には何も話せなかったし、自由に生きていいなんて想像すらしたことがなかったもんね。いつ死んだっていいと思ってた。だから八年前に癌かもしれないって診断を受けたときも「これで死ぬなら、仕方ないか」と即諦めたくらいだし(ビックリするほど「死にたくない」って気持ちが湧かなかったんだな。死ぬならそれでいーやって思った)。


 多分理解されないことなんだろうけど、ようやく自分の人生って奴をえっちらおっちら生き始めた私にとって、自分だけでも人生には重すぎる荷物なのよ。他人、まして自分の子どもなんて到底背負えない。共倒れするならまだマシなほう。断言するけど、私は多分、自分の子どもを憎む。愛せないと思う。抱きしめるところをまるで想像できない。笑いかけることも、優しく話しかけることも。だってそんなこと、されたことないんだもん。罵倒と痛みのバリエーションは豊富なのに、母親に抱きしめられた記憶は全くない。愛してなかったわけじゃないんだろうけどね、私を。でも、私にとって親は恐怖と抑圧の象徴としてのイメージが強すぎるのよな。優しい親、なんてフィクションでしか知らない。それでも親になることがやりたいことならできるかも知れないけど、真面目に全く興味ないんですわ。むしろやりたくない。絶対やりたくない。

 親の大変さは一生分からないかもしれないけど、母という人の生き辛さや大変さには思いを馳せているんだけどな。大変だったんだろうなって今は思うし、憎んでいないし恨んでもいない。残りの人生、自分にはコントロール不可能なことはさっさと諦めて、それよりも自分の人生を生きてくれって思ってる。母は私に対しては多分、母が思う理想の母親になれなかったんだと思う。私と真逆の方法で妹を育てたのがその証拠だよ。母にとって私は、自分の失敗の象徴なんだろうな。そんな私がせめて良き妻、良き母になって、母親になることの大変さを理解してくれたら、なんかの帳尻が彼女の中で合うんだろうと想像してる。


 でもね、私が母を憎んでいないことだけで成功なんだって理解して欲しいな。私は生きてるし、自分の人生を愛してる。完璧ではないし、はたから見たらないないづくしに見えるかもしれないけど。でも、他人から素敵だと思われる人生より、自分で自分を素敵だと思って生きる人生の方がずっと良いと私は思うんだよ。私は他人なんて無責任だって知ってる。価値観は変わるし、人間は欲張りで、自分って存在は世界で一番付き合うのが難しい。でも、私はその難しいことを今、できてる(と思う。多分)。母から見て、まっとうな娘ではないかもしれないけど、まっとうな人間になる将来性は十分にあるんだよ。私は絶対にイケてるお婆ちゃんになれる。だって、それが私の夢の一つで、そのために今できることを頑張ってるからね。それだけで「自分の子どもはよく育ったな」って満足してくれないかなあ、いつか。


 そんなことを「彼女の名前は」を読んでいたら考えちゃった。暗い話しちゃったな。明日こそ何か楽しいテーマで書くよ。

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