何せ、私の頭の中にいるやつだからね。あんまり公平じゃないんだろう。
本当は、今ごろとっくに別な記事が公開されているはずだった。「雨とビリビリ」というタイトルの記事で、犬の名前と憧れについて書いた。我ながら〆のエピソードが好きで、書き終わったときには「よしよし」と思っていた。今夜二十一時公開で予約投稿を済ませたのが今朝の七時。会社に着くまでは気分上々だった。誤解を受けそうなので一応補足しておくと、会社には何もされていない。
小説を一万字書くよりも、エッセイを千字書くほうが難しいな。お昼を食べながらそう思った。予約投稿したものは何度か読み返した。問題があるとは思わなかったけれど、妙な気恥ずかしさがジワジワと出てきて結局今、これを書いている(もとの記事は消した)。
小説ではすんなり書けることも、ブログやエッセイでは書けない。そういうことが私にはよくある。照れや羞恥とも違う。多分、格好つけそうな自分をものすごく恐れている。現に「雨とビリビリ」は格好つけていた。格好をつけているわけだから当然、格好いい内容に仕上がっていた。そして、私はその「格好いい内容に仕上がった」という自意識に耐えられなくて、消した。小説なら平気なのに、ブログやエッセイに関しては「読んだ人にに格好いいと思われたい」というざわつきを少しでも自分の中に見つけると、もう、もう、本当に駄目になる。変な声が出て、手のひらは汗でベトベトになり、頭の中で「アウト!」の大合唱が聞こえる。そもそも何の審判なんだ。まずお前は誰なんだ。どこから来たんだ。何がしたいんだ。何も分からない謎の審判。こいつは絶対に「セーフ!」とは言わない。絶対に、絶対に、言ってくれない。「アウト!」以外言葉を知らないのかもしれない。何せ、私の頭の中にいるやつだからね。あんまり公平じゃないんだろう。
時間をかけて、何日もこねくり回して書くから格好つける余裕が出てくるんだろうと気づいた。だからこの連載は、そういうことができない状況で書くことにする。具体的には公開当日の夜に即興で書く。熟考はしない。あとから「失敗したな」と思っても消さない。読まれなくても落ち込まない。初期ルールはこんなもんでいいかな。
本当は、もう少し誰かのためになるものを書きたかった。私のまわりは冬が苦手な人が多くて、二月は特に元気をなくす。一日一回、二十八日間、読むと少しだけ気持ちがほぐれるような、そういう連載をするつもりだった。でも、その考えがそもそも格好つけていた。なんやかやと理由をつけて、何かを書きたかっただけなんだな。でもそこに「誰かのために」って理由をつけると「これは自分のためだけに書いていませんよ」感があるもんな。しかもあわよくば読んでもらえるしな。えー、ちょっとものすごい格好悪い。格好つけたのに格好悪い。泣きそう。格好つけるダシに他人を使うんじゃないよ。
それにしても世の中には格好いい人が多いよなあ。何気なく書いたブログやツイートがサラッと格好いい人に憧れる。格好つけなくても格好いい人になりたい。こんなこと考えているうちは、ずっと格好つけても格好悪い人のままなんだろうなあ。脳内の「アウト!」は無視すればいいけれど、目の前にいる格好よい人のことは全然無視ができないから困る。でも、格好つけるにもお手本はいるから、ずっと格好よいままでいて欲しい。そのまま、そのまま、よろしく頼む。