800階 ベルフェゴールVSフェンリル
教会内部
《こんなものですか・・・フェンリル》
払うホコリもないのだがベルフェゴールは燕尾服の裾を手で払うと呟く
《クッカッカッ・・・流石はベルフェゴール・・・ワシではやはり歯が立たぬか・・・》
倒れていたフェンリルは起き上がるとよろけながら椅子に腰掛け笑みを浮かべた・・・だが
《大人しくロウニール様を解放し忠誠を誓うべきですね。慈悲深い主ならば飼ってくれるかもしれません・・・今まで通りダンジョンで》
《・・・》
ベルフェゴールの言葉を聞きそれまでの表情を一変させる
思い出すのは薄暗いダンジョンの中・・・特にやる事も課せられず目の前を素通りする魔物を眺める日々
さながらそれは巨大な牢獄
《・・・『飼ってくれる』だと?・・・よし決めたぞベルフェゴール・・・貴様を飼って同じ思いをさせてやろう・・・ワシが味わった屈辱の日々を貴様も味わうが良い!あの憎きヴァンパイアと共に!》
《ヴァンパイア?》
《忘れたか!インキュバスに命令されたヴァンパイアがワシをここに・・・そうだ・・・シュルガット・・・彼奴もだ・・・ワシがこの大陸を統べるまで・・・いや、永遠に飼ってやる・・・このフェンリル様がな!》
《なるほど・・・そう言えば確かにヴァンパイアが・・・しかしどうやって飼うつもりですか?アナタではワタクシは疎かヴァンパイアやシュルガットにすら勝てないでしょう。それともまだ望みがあると?ワタクシが知識の『探求』を望んでいるとはいえアナタがサキュバスと同化するまで待つ気はありませんよ?》
《・・・クッカッカッ・・・愚かな・・・愚かなりベルフェゴール!ワシが何の準備もなしに貴様の前に身を晒すと思うか?》
《・・・なるほど・・・臆病者と名高いアナタの事ですからもしやと思っていましたが・・・》
《臆病ではない・・・慎重なのだ。それにしてもあまり驚かないのだな》
《少なからず興味はありますから・・・魔族が魔族と同化するとどうなるか・・・是が非でも知りたいとは思いませんが知れるなら知りたい程度でしょうか》
《・・・その言葉・・・後悔させてやろう・・・貴様の辞書に刻んでおけ・・・この世界には知らない方が良い事もある、と》
《あまりハードルを上げない方がいいですよ?そうしないとワタクシが落ち込みますので》
《クッカッカッ!ガッカリはさせぬよベルフェゴール・・・見せてやる・・・これがサキュバスと同化したワシの力だ──────》
教会から少し離れた場所
「シーリス!離せ!」
「ダメよ!どうせまた戻るとか言うんでしょ!」
「当たり前だ!2人を見殺しになど出来ん!」
妾の腕を掴む力が緩むどころかいっそう強くなる
あの時、妾は戻ろうとした・・・逆方向に逃げているはずのゼガー達が立ち止まり勇魔人と対峙しているのを見て戻ろうとしたのだ
だがシーリスは妾の腕を掴みそのまま教会から逃げるようにディーン達のいるダンジョンの方向へと走り出した
止まるよう告げる妾の言葉を無視して無言で・・・走り続けたのだ
「シーリス!妾を民を見殺しにする愚王にする気か!」
叫びめいいっぱい力を込めて引っ張るとようやくシーリスは歩みを止めて腕を離した
「・・・お主が行かなくとも妾は行くぞ・・・」
「勝手に行けばいい・・・そんなに愚かな王になりたければね」
「何を・・・逆だろうが!このままおめおめと逃げては・・・」
「逆?国民がそれを望んでいるとか思っているの?たった2人の民を献身的に救出する王・・・さぞかし美談になるでしょうね・・・アタシとしてはそんな王様なんて願い下げだけどね」
「なに!?」
「人数の問題じゃない・・・これが10人だろうが100人だろうが関係ない・・・何故自分達が犠牲になってまで助けようとしたのか考えない愚かな王なんてこっちから願い下げって言ってんの!」
「・・・」
「いい?耳の穴かっぽじって聞きなさい!王は民を助ける為に存在するんじゃない!導く為に存在しているの!どう導くかは王によって変わる・・・領土を広げようとする王がいれば贅沢したくて重税を課す王だっている。そんな中で心の底からこの王で良かったって思える王が現れたらアタシだって命を投げ出してでもその王を助ける・・・それが未来に繋がるから」
「・・・」
「あの2人は・・・少なくともゼガーはアンタに未来を見た。この国が良くなる未来を。だから命を投げ打ってアンタを助けた!もしここでアンタが戻って殺されたらその気持ちを踏み躙る事になる・・・それが分からないの?」
「・・・」
「いい?王のアンタが偉そうに出来るのは民を導く義務があるから・・・誰もがアンタの言う事を聞くのはその言葉が理想の未来に繋がっていると信じているから・・・他の誰にも出来ない・・・バカ兄貴にだって出来ないことをアンタなら出来ると思っているからこそ自らの命すら賭ける価値があると・・・そのアンタが感傷に浸って命を捨てるなんて他の誰が許してもアタシが許さない!」
・・・こやつの言う通りだ。妾の・・・王の責務はそれだけ重い。妾が死ねば他の誰かが王になる・・・だがそれだけではない・・・妾の意思を継いでくれる者でなければまたあの過ちを繰り返してしまうかもしれん
聖王国と胸を張って言える国・・・その思いを念頭にこれまでやって来たものが全て水の泡となりまた毒王国などと揶揄される事になるなど死んでも死にきれん
「・・・すまぬ・・・一時の感情で愚か者になるところだった」
「分かればいいのよ分かれば・・・それで?行くの行かないの?」
「・・・この流れでそれを聞くか?」
「それがね・・・今しがた事情が変わったの・・・アタシ達2人で戻るのは死にに行くようなものだけど・・・貴女を守れる人が一緒なら話は別じゃない?」
「なぬ?・・・まさか・・・」
振り返るとそこにはこちらに向かって走って来る騎士の姿が・・・
「ディーン!!」
「陛下!何故このような場所に?・・・もしや私達の元へ?」
「少しばかり込み入った事情がある・・・走りながら話すぞ・・・教会に向かって、な──────」
「勇者の魔人・・・そんなものが・・・」
「確定ではない・・・が、そう思って挑んだ方が良いだろう。下手したらフェンリルより強いかもしれぬ」
本当に勇者ならば魔王を倒せる程の実力の持ち主・・・魔族であるベルフェゴールやフェンリルをも超える力があったとて不思議ではない
「しかし可能なのでしょうか?」
「何がだ?」
「普通従属させるには相手より強くならなければ出来ないとばかり思っていました。もしフェンリルが自らよりも強い者を従属させる事が出来るのならばベルフェゴール殿も危ういのでは?」
確かにそうだのう・・・魔族が魔人になる事はないが従わせる事は出来るだろう・・・もしベルフェゴールまで敵になってしまったら手に負えぬぞ
「・・・とにかく今は勇魔人を倒す事を優先しよう。あれだけの強さだ・・・フェンリルを討伐出来れば消えていなくなるならともかく残って暴れられたらかなわん」
「そうですね・・・必ず仕留めましょう・・・必ず・・・」
ディーンは言わぬがゼガー達が絶望的な状況なのは分かっているのだろう・・・仇討ち・・・そう言わぬのは僅かながらも希望があるからだ
生きていて欲しい・・・だが・・・
もう教会は目と鼻の先・・・逸る気持ちとは裏腹に足が鈍るのが分かる。着いてしまえば知る事になる・・・知らねば希望に縋れる事を・・・
「陛下!少しお下がりください!先に私が出ます!」
教会を取り囲む壁の切れ目に差し掛かる。出た時同様鉄扉は開かれ我らを拒もうとはしていなかった
先ずディーンが、続いてシーリスが中へと入ると2人とも入ったすぐの所で足を止めた
結果は分かっていた
だが奇跡よ起きてくれと願っていた・・・叶わぬと知りながら
寄り添うように横たわる2人・・・死を疑いようもない程傷付けられた2人を見て感情が抑えられなくなる
「・・・おのれ・・・」
「ゼガー殿・・・ミケ殿・・・」
「・・・」
勇魔人は2人の傍におらず教会の前でまるで何事もなかったかのように佇む
その姿を見て更に怒りが押し寄せるがそれに気付いてかディーンは妾の前に手を伸ばした
「先ずは私が・・・」
それ以上の言葉を飲み込むとディーンは剣を抜き一直線に勇魔人に向かって行く
「貴方が勇者だろうとただの魔人だろうと関係ない!死して罪を償え!」
これまで見た事がある中で最速の剣が放たれる。もしやこれで決まるでは・・・そう思った矢先に勇魔人はスっと剣をディーンの剣に合わせると激しい金属音と共に空気が揺れた
「くっ!・・・」
攻撃を仕掛けたはずのディーンの方が苦悶の表情を浮かべその場から飛び退く。そして苦々しく呟いた
「・・・陛下・・・シーリス殿・・・お逃げ下さい」
「ディーン!」
「この者は・・・私の手には負えません・・・魔族・・・いえ・・・それ以上です」
ディーンにしてそこまで言わしめる程とは・・・
「逃げる?どこに逃げるって言うのよ・・・ここにフーリシア王国最高戦力が揃っているって言うのに!」
シーリスが杖を勇魔人に向けると石の槍を無数に放った
そうだ・・・『至高の騎士』と宮廷魔術師・・・その2人が止められぬ魔人がこの世に放たれたらこの国はどうなってしまうと言うのだ
「・・・シーリス殿・・・」
「スウも逃げない・・・もちろんアタシも・・・効かないなら何度だって放ってやる・・・マナが続く限り何度だって!だから貴方も諦めず戦いなさい!」
「・・・諦めた訳ではありません・・・ただ守れながら戦う自信がなかっただけです・・・」
「別に貴方に担がれて来た訳じゃない・・・自分の意思で来たの!だから守るなんて思わないで全力で行って!・・・スウが死でもその時は『愚かな王が死んだ』でいいから!」
良くない
まあ確かにあれだけ言われてここに来たのだ・・・自己責任だし守られるつもりは毛頭ない
だが・・・妾がここにいて足を引っ張るくらいなら・・・
「妾も加勢する・・・少しくらいは役に立つであろう?」
死して愚かな王となってみせようぞ!
「え?邪魔」
「おいっ!」
「実力は認めるけど邪魔になるだけ・・・出来れば隅の方で目立たないように応援しときなさいよ派手子は」
「煩い!妾だって少しは・・・」
「だから実力は認めてるって。ただアタシと同じくらいの魔法使いでもアイツ相手じゃ・・・・・・・・・アタシと同じ?」
突然手を止め考え出すシーリス・・・何を考えているか分からぬが手を止めればディーンが・・・
「何をしておるシーリス!・・・くっ、やはり妾が・・・」
「待って!マナを無駄使いしないで!」
「こっ・・・無駄使いとはなんだ!無駄使いとは!」
「違うの・・・もしかしたら・・・っ!?」
シーリスの言葉を遮るように教会からけたたましい音が鳴り響く。それと同時に教会の扉が破られ人影が地面に転がった
「・・・」
絶句とはこういう事を言うのだろう
その人影はあろう事か我らの希望・・・ベルフェゴールだったのだから絶句しても無理はない
「まさか・・・そんな・・・」
《これはまた随分と減らされたものだ・・・まあ減ったのならまた増やせばいい・・・どうせ失敗作ばかりだったしな》
ベルフェゴールに続いて教会から出て来たのはフェンリル・・・いや、フェンリルだったものだ
声は同じだが見た目がかなり変わっていた
髪は黒かったのだが白く染まり、顔付きも目付きの鋭さが消えどこか柔和とさえ感じる
フェンリルで間違いないのだが・・・雰囲気からして全くの別物に思えた
《・・・フェン・・・リル・・・》
「ベルフェゴール!・・・なっ!?」
立ち上がろうとするベルフェゴールを見ると胸の辺りが大きく凹んでおり口から血を流していた
人なら確実に致命傷に至るであろうその傷がフェンリルの強さを物語る。魔族の下位とされる魔人でさえかなり強靭な肉体を有している・・・その魔人よりも更に強靭な肉体を持つ魔族のベルフェゴールに一方的にこのようなダメージを与えるなど人には到底不可能だ
それ程までに強いのか・・・いや、間に合わず強くなってしまったのか・・・
《・・・やられました・・・ヤツが臆病者と知りつつこの体たらく・・・申し訳ありません》
「?・・・どういう意味だ?」
《ヤツは・・・準備を終えていたのです。おそらく事が始まる前に既に・・・時間稼ぎと思われる事をしていたのはただただ実験の為・・・》
間に合わなかったのではなくフェンリルの掌の上で弄ばれていただけだと?
確かに奴はこの街を大陸の縮図とし抗う人間を演じろと言っていた。まさかそう言っていた本人も演じていた・・・そういう事なのか?
《申し訳ありませんが少々お目汚しを・・・失礼します》
そう言うとベルフェゴールの頭から捻れ曲がった角が生え、体が巨大化していく。これがベルフェゴールの真の姿なのか?
「姿形など気にしている場合ではない・・・存分に暴れよベルフェゴール。・・・さて、我らも応えぬといけんのう・・・シーリスよ」
「・・・」
「シーリス?聞いておるのか?」
「ちょっと黙ってて!」
「・・・」
我らはフェンリルとは相性が悪い・・・となればせめて邪魔にならぬよう、そして邪魔されぬよう勇魔人の相手をせねばならぬというのにシーリスはどうしたというのだ?
「ベルフェゴール殿が戦っている中、我らが逃げる訳にはいきませんね」
「ディーン・・・倒せるのか?」
「はい・・・と答えられないのは心苦しいですが『至高の騎士』という過分な名を頂いている以上倒せるとは言えないまでも時間稼ぎくらいはしてみせます」
フェンリルは劣勢になればおそらく勇魔人をベルフェゴールに仕向けるはず・・・そうさせない為にも我らで何とかそれを止めねばならぬ。情けない話だがディーンの言う時間稼ぎくらいが関の山・・・だが
「心苦しく思うことはない。これは歴史上最も意味のある時間稼ぎとなるだろう・・・共に世界を救おうぞ・・・ディーン!──────」




