759階 幻影
映像の中の男が一方的に私達に告げた内容に混乱する中、ダンジョンの奥底に潜っていたヒューイが姿を現した
すぐさまどこからともなく現れた聖者ゼガー様の手により治療が行われる。私も心配になり駆け寄るとかなり重症なのが見て取れた
左腕は肘から下を失い全身は傷だらけ・・・生きているのが不思議なくらいの状態に助からないかもしれないと心配になるがそこは回復のスペシャリスト聖者の力は凄まじく見る見るうちに怪我は癒えていく
だがヒューイは治療中に気絶してしまい傷が癒えたとしても話を聞く事は出来なかった
一体ダンジョンで何が起きたのか・・・ジットは・・・レオは一体どうしてしまったのか・・・まさかテレサや他の冒険者と同じように・・・
「っ!」
どうやらヒューイの出現で民達に拍車がかかってしまったようだ。声の大きさは一段階上がり近くの兵士に掴みかかる者達まで出始めた
このままでは暴動が起きる・・・張り詰めた空気が一気に破裂してしまいそうな状況下の中、突然一部の地面が盛り上がる
「聞け!皆の衆!妾はフーリシア王国国王スウ・ナディア・フーリシアである!!」
盛り上がった場所の上に人が立つ
その人・・・女王陛下はその姿から出るとは思えない程の声量で声を張り上げた。するとそれまで騒いでいた者達は一斉に黙り注目する・・・我が国の女王陛下に
「混乱するのは分かる!が、今は身内で揉めている場合では無い!此度の件は妾が責任を持って解決へと導こう・・・それまで苦労をかけるが妾を信じ暫し待っていてくれ!・・・必ず・・・必ず皆を無事街に戻すと約束しよう!必ずだ!!」
その姿を見ることなく一生を終える人がほとんどであるこの国の頂点に立つ国王・・・その国王の言葉は民の混乱を抑え信じさせるのに充分たるものであった
王の器など語れる立場ではないが紛れもなくあの方は王の器・・・ただ王の子に生まれて王になったのではなく王になるべくしてなったのだ
「ギルド長」
思わず私まで見惚れてしまっていると背後からゼガー様に声をかけられる
「あ、申し訳ありません・・・ヒューイは・・・この者は・・・」
「治療は無事終わりました。命に別状はないのですが失った腕は残念ながら・・・今は気を失っていますが暫くすれば目を覚ますでしょう」
「ありがとうございます・・・今は動かさない方がよろしいですか?」
「はい。出来ればこのままが良いかと」
「分かりました。では何人か兵士をここに・・・」
「それには及びません。目が覚めるまで私が観ていましょう。ギルド長は御自分のやるべき事をして下さい」
やるべき事・・・相手の意図が分かった状態でまた話し合いをしなくてはならない
いつ攻めるか・・・誰が行くかを
「それではお願いします。目が覚めたら私の元に来るよう伝えてくれますか?酷な話ですが聞きたい事が山ほどあって・・・」
「分かりました。伝えておきます」
傷が癒えたところでヒューイもかなり疲労が溜まっているはず・・・本来ならこのまま休ませてやりたいところだがそんな悠長な事は言っていられない状況だ
ヒューイの見て来たものは他の誰もが知り得ないもの・・・ダンジョンで一体何が起きたのか知るにはヒューイを頼るしかない
私はゼガー様に頭を下げると陛下達の元へと戻った
これから始まるであろう今後の対策についての話し合いに加わる為に
「早急に攻めるべきだ。時間が経てば経つほどこちらが不利になるのは明白・・・それがなぜ分からぬディーン!」
「既に準備を終えたから堂々と出て来たのでは?となれば焦って攻めるよりも準備を整え万全を期した方が得策だ」
「それだと住民の心が保たない・・・今は女王陛下の言葉に大人しく従っているが時間が経てばまた暴れ出すぞ?」
「その時はまた陛下にお願いすればいい」
「今回は女王陛下の言葉は届いたが次は分からんぞ?届かなければ内側から崩壊し終わる・・・万全を期すのは得策ではない・・・危険な賭けだ」
陛下達の元に戻ると意見が分かれた2人が言い争いをしていた
ディーン将軍の言い分も分かるしレーストの言い分も分かる・・・時間が経てば経つほど精神的に追い詰められてしまう・・・かと言って今の状態は万全とは程遠い・・・私達もそうだが兵士達も魔物と戦ったばかりだ疲労も溜まっているだろう・・・その状態でまた魔物と戦う事になれば十二分に力を発揮する事は叶わない
「それも分かっている・・・けどせめて行くメンバーのマナの回復は待つべきでは?途中でマナ切れなんてしてはシャレにならないからね」
「?何を言っているディーン・・・行くメンバーだと?」
「まさか君は総力戦でも挑むつもりだったのか?攻め込むのは少人数・・・少数精鋭で行く」
「バカか!街の状況を見ただろう?全体まで把握出来てないが魔物はかなりの数がいる・・・その数を少人数で突破し更にあの者を倒すと言うのか!?」
「そうだ。兵士はかえって邪魔になる。せめて中級・・・出来れば上級の魔物と互角に渡り合える者ではないとハッキリ言って足でまといだ」
「なっ・・・」
「これは戦争ではない・・・ダンジョン攻略だ。君はダンジョンに大量の兵士を注ぎ込むのか?レースト」
「・・・」
私もてっきり戦える者全てで攻めると思っていた。けど将軍はあくまでもこれはダンジョン攻略と言い放つ
「それにあの者の言葉を全面的に信じるのは難しい・・・ここは安全な場所だと言いつつ総力戦を仕掛けたら途端に手のひらを返し無防備になったこの場所に魔物を送り込んで来るかもしれない。また不安になる人達も出て来るだろう・・・だから兵士達はここの人達を守る為に配置し精鋭だけでダンジョンを攻略する・・・ちなみに我が国の宮廷魔術師殿が本気になれば一気に片がつくかもしれない・・・その時は街は廃墟になるが兵士を突入してたらそれも出来ないだろ?」
「そんなの無理に決まってるでしょ?バカ兄貴じゃあるまいし・・・それに出来たとしてもやらないわよ・・・ここにいる人達の恨みを一身に受ける気はないからね」
今の言い方だと街を覆い尽くすような大規模な魔法は使えないまでもそれに近い魔法は使えそうだな・・・となると兵士達がいれば逆に邪魔になってしまう・・・混戦になればなるほど魔法は使いづらいし・・・私はそこまで規模の大きい魔法は使えないから頭になかったがそう考えると少数精鋭も納得が出来る
レーストも剣を持っていることから近接アタッカーである自分を基準に考えていたのだろう。街に蔓延る魔物を一体一体倒して行くとしたら物量作戦で行く方がいい・・・少人数だと途方もない時間が掛かってしまうからな
「お主の言い分も分かるが今回はディーンの言う通り少数精鋭で行く。ベルフェゴール曰く我らを欺き兵士が空になった状態で魔物を送るような事はしないらしいが精神的に守ってくれる者がいなくなれば不安にもなろう・・・その不安が暴動のきっかけになりかねんしな」
「・・・ベルフェゴール殿はどうして魔物を送って来ないと言えるのですか?何か根拠があれば教えて欲しいのですが・・・」
戻って来た陛下の言葉で少数精鋭は確定した。しかしディーン将軍の言うように疑問が残る・・・もしかしたらこのベルフェゴールという男はあの男を知っているのか?
《・・・ヤツが人間を滅ぼす気ならこのような回りくどい事は必要ありません。人間にとってヴァンパイア以上に厄介なヤツですから》
「やはり知っておるか・・・何者だ?」
《『幻影』のフェンリル・・・魔族です》
魔族・・・まあそうだろうな。人では到底このような事は出来ないだろう。しかし『幻影』とは・・・
「ふむ・・・サキュバスではないのか?創造の力はインキュバスかサキュバスしか使えないと言っておったが・・・それともそのフェンリルがサキュバスを従えているのか?」
《フェンリル如きがサキュバスを従えるのは無理な話です。なぜフェンリルがサキュバスの力を使えるかは不明ですが従う事はないでしょう。決して》
「そうか・・・相手の意図は見えたが戦力までは見えずじまい・・・それでも一歩前進だな。やる事は単純明快・・・奪われた街を取り戻すだけだ。してあの魔族・・・フェンリルは強いのか?まあ魔族が強いのは知ってはおるが魔族の中でも力の差はあるのだろう?」
《そうですね・・・実力的には下の下と言ったところでしょうか》
「なに?」
《フェンリルは少々特殊でして・・・対人間特化とでも言いましょうか・・・ヤツの能力である『幻影』は魔族や魔物には効果がありません。効果があるのは人間だけです》
「その『幻影』という能力はどういうものなのだ?魔族や魔物には効かず人には効くなんて都合のいい能力があるなぞ不思議でならん」
《『幻影』とは対象に幻を見せる能力です。簡単に言うと人間は起きながらにして夢を強制的に見させられる能力です》
「夢・・・そう聞くと何だか微妙な能力だのう・・・」
《そうですか?人間にとってはかなり脅威的な能力と思うのですが・・・何せ過去にインキュバス様があまりにも危険過ぎてフェンリル自体を封印した程ですから》
「なに?」
《例えば今の状況と昨日までの日常・・・望むとしたらどちらですか?》
「・・・それはもちろん昨日までの日常を望むが・・・」
《つまりそういう事です》
「・・・もう少し分かりやすく教えてくれ」
《・・・アナタは距離が同じだとしたら平坦な道と急な坂道どちらを選びますか?》
「??それは平坦な道に決まっておろう。誰もが平坦な道を選ぶと思うぞ?」
陛下の答えた通りだ。誰もがその場合は平坦な道を偉んだろう。先程の質問も同じく昨日までの日常を選ぶはず・・・どちらの質問も楽・・・と言うか普通か困難かを選べと言われているようなもの・・・困難を選ぶ者など極わずかだろう。もしかしたらいないかもしれない
それくらい当たり前の質問をされ困惑する陛下・・・しかし横で聞いていた宮廷魔術師様は何かに気付き顔を上げた
「そういうこと?」
「・・・賢いフリはよせシーリス」
「何よ賢いフリって・・・多分だけどこういう事でしょ?『昨日までの日常と平坦な道は幻』」
「なぬ?」
「しかも選んだ本人はそれが幻とは気付かない・・・そうじゃない?ベルフェゴール」
《はい。フェンリルの『幻影』に掛かった人間は幻を見ます。その幻は現実に沿った非現実であり人間に沿った非現実なのです。それ故に幻と気付かず・・・または気付いたとしても抜け出せない・・・もし抜け出してしまえば待っているのは困難と理解しているからです》
「そういう事か・・・では魔族や魔物に効かない理由は?そもそも効かぬのか?それともお主達は進んで困難な道を進むのか?」
《我ら魔族と魔物は残念ながら人間の持つ想像力に欠けています。頭に思い描いたりせず現実を見るのです。なので我らの前には常に一本の道しか存在しません》
「なるほどのう・・・逆に人は想像する・・・このような道があったら良いとかこの方法があるとか・・・それを上手く利用され幻を現実のように見せられる・・・当然自分の思い描いた道なので現実と思い込みたくなる訳だ」
確かにこの先に困難な道があるとしたら考える・・・もっと楽な道はないか、と。その考えを利用され見せられたら・・・誰もがその道を選んでしまうだろう。私もあの時・・・ダンジョンで黒い大狼に会わない現実があったとしたら・・・何がなんでもその現実にしがみつくはずだ
《私はくらった事がありませんしくらったとしても何も起こらないでしょう。しかし人間は違います・・・くらえばそこから脱げ出すのは難しいでしょうね。もし人間に天敵がいないのならば・・・あのフェンリルこそが人間の天敵かも知れませんね》
「・・・ひとつ聞きて良いか?」
《何なりと》
「今は幻か?それとも現実か?」
《・・・どちらの答えにせよアナタの望み通りかも知れませんよ?もしくは・・・そこのアナタの幻かも知れません》
そう言ってベルフェゴールは私をチラリと見た
冗談ぽく聞こえるが決して冗談ではないのだろう
おそらく幻を見せられても現実と変わりないのだ
今この瞬間が現実なのか幻なのか・・・それを確かめる術はない。もしかしたら今この瞬間が潜在的に私が望んでいる瞬間かも知れないのだから──────




