578階 エモーンズ
正直私もまだ心の整理がついていなかった
あの後から呆然と部屋の隅を眺める日々・・・隣に彼が居る事に気付いたのは正気に戻った後だった
正気に戻った時・・・目の前にはファーネ・・・私の肩を掴み涙を流しているのを見て『何を泣いているの?』と咄嗟に呟いた
彼女は私をそのまま抱き締めワンワンと泣いた
何故彼女は私を抱き締め泣いているのかその時は分からなかったが自然と私の頬に涙が伝う・・・そしてようやくそこが私の部屋で隣に虚ろな目の彼が居ることに気付き全て思い出した
この部屋で・・・私は・・・
アレは『絶望を知れ』と言って私のお腹に手を当て・・・激しい痛み・・・その後に下腹部から流れる血を見てアレが何をしたのか何が起こったのかを理解した
私はアレの言うように『絶望』を知った
深い・・・とても深い悲しみと共に
彼に助けを求める反面、私は『来ないで』と心の中で叫んだ
もし彼が来てしまったら・・・私は同時に2人の愛する人を失ってしまうから・・・
幸か不幸か彼は遅れてやって来た
そしてその彼もまた壊れてしまう・・・現実を直視出来ず壊れてしまったんだ・・・
現実逃避・・・それは自らの身を守る唯一の術・・・私達はそうやって生き繋いだ
だけどそれはただ生きるだけの手段
決して前には進みない応急処置・・・心が癒える事などもうないというのに時間だけが過ぎていくのをただただ生きていた
その私を強引に引き戻したのは目の前で泣くファーネ
彼女は何日も何日もかけて私の心に呼び掛け私を現実へと引き戻してくれた
そして私は彼に対して彼女がしてくれた事をした
現実に引き戻す・・・彼と共に歩むと決めたから・・・彼が進まないと私も進めないから・・・
そして目覚めた彼・・・だがまだ半分寝ている状態だ
ふとした拍子に彼はまた現実から逃避する
足踏み状態・・・その状態から抜け出すにはケジメをつける必要があった
数日前に依頼した墓石・・・その墓石に名前を刻み決別する・・・会えなかった我が子と・・・私達の子と決別し前に進むのだ
彼は名前を刻んだ後、悲しい笑顔で私をデートの続きへと導いた
それはおそらく前に進む為の準備・・・まだ彼は一歩も前に進めてないのだから・・・
「・・・随分とまあ・・・人が増えたもんだ」
「そうね・・・かなりの人がこの街を訪れ住み着いているらしいわ・・・きっとこの街が気に入って離れたくないのでしょうね」
「だからか・・・俺を見ても反応が薄いのは」
「以前から住んでた人ならともかくあなたの顔はほとんどの人が知らないでしょうね。ずっと街に居なかったし」
「・・・全て終わったら居るようにするよ」
「・・・そうね・・・私の居場所があなたであると同時にあなたの居場所は私だから・・・当たり前の事を当たり前にするだけ・・・それが難しいのは分かっているけど・・・」
「・・・にしても見られ過ぎじゃないか?」
「?」
「人の奥さんをジロジロと・・・目を潰してやろうか?」
「やめて・・・それに私だけを見ている訳じゃないわ。あなたも見られているわよ?」
「え?もしかしてイケメンになった?」
「髪のボサボサ・・・目の下に酷いクマ・・・無精髭を生やして服は何日着てんのってくらいヨレヨレ・・・物乞いがこんな美女と歩いてたらそりゃ目立つわよ」
「そんなに?・・・帰ったら風呂入って髪と髭を切るか・・・」
「髪は結ってあげる。ついでに髭も剃ってあげる」
「・・・一緒にお風呂に入って?」
「それがお望みなら・・・旦那様」
「まるでメイドのような・・・そう言えば長い間メイドしてたもんな・・・久しぶりにサラのメイド服が見たいかも」
「別にいいけど他の人には見せないわよ?公爵夫人がメイド服を着ていたって広まったら恥ずかしいし」
「確かに・・・新たな文化が生まれそうだ」
「新たな文化?」
「普段着ることのない服を着て楽しむ・・・みたいな?」
「・・・面白そうね・・・あなたも着てみたら?」
「メイド服を?」
「・・・それだけはやめて」
そんな取り留めのない会話をしながら街を歩く
こうして2人っきりで街を歩くなんていつぶりだろう・・・何をする訳でもなくブラブラとするなんてかなり・・・
「おぉ!?」
そうよね・・・街を歩いていればそうなるわよね・・・特にこの街では
「・・・ダン・・・それに・・・ペギー・・・」
正面からダンとペギーが連れ立って歩いており彼を見たダンが驚きの声を上げる
ペギーは・・・どんな表情をすればいいか困った様子だ・・・2人もまた私達の身に何が起きたか知っているようだった
「・・・ちょっと付き合え」
しばらく何か考えた後、ダンは顎でクイッとある方向を指しその方向に歩いて行く
ペギーは慌ててダンについて行き私達は・・・
「ロウ?」
「あ、ああ・・・アイツなんで怒ってんだ?」
不思議そうな顔をして頭を搔くとロウは渋々彼のあとについて行き私もそれに従った
ダンはおもむろに店に入ると4人がけのテーブルに座りその横にペギー・・・そして正面に私達が座る
「とりあえず酒を4人分」
「おいダン・・・一体・・・」
「お前は黙ってろ・・・話は酒が来てからだ」
店員にお酒を注文するとダンは無言で腕組みをしてじっとお酒が来るのを待っていた。私達もそれに合わせて一言も喋らず待っているとしばらくしてそれぞれの前にお酒のコップが並べられる
ダンはそのまま無言でコップに手を取り酒を飲み干すと店員に空のコップを見せもう一杯要求した
「・・・3ヶ月か・・・」
コップを置き呟くダン・・・その期間はあの時から現在までの期間を指す
「3ヶ月?何が?」
「お前の・・・いや街の時間が止まった期間だ」
「街の時間?」
「チッ・・・お前が呆けていた時間だよ!」
「え?・・・え?」
どうやらロウは本気で理解が出来ないみたい・・・そうよね・・・私もファーネに聞いた時は信じられなかったし・・・
「お前・・・っ!・・・違った・・・お前は30年もの間ずっと寝てたんだよ!」
どうやらダンはロウニールの様子を見て騙せると思ったのだろう。自失していた期間を30年と偽る・・・それはさすがに・・・
「そうか・・・だからお前こんなに老けて・・・」
「ふ、老けてねえ!どこが30年もんの顔だ!」
「ペギーは変わらないな・・・ダン・・・どんまい」
「てめえ!上等だぶっ飛ばしてやる!」
「店で騒ぐなみっともない・・・それでも町長の息子か?・・・ああ、元息子か」
「もっ・・・くそっ・・・おい!酒とツマミジャンジャン持って来い!」
どうにか怒りを抑え店員に怒鳴り注文するダン。どうやら気心が知れている店のようで店員も『あんまり飲み過ぎなさんなよ』と言いながらもお酒を次々に運んで来る
結局会話らしい会話はほとんどせず、運ばれたお酒を無言で飲み続ける4人・・・傍から見たらかなり異様な雰囲気かも
そんな時間がしばらく続き急にそっぽを向いたダンがポツリと呟く
「・・・行くのか?」
「何処に?」
「だから・・・・・・だよ!」
「聞こえないな・・・はっきり言えよ」
「やり返しに行くかって聞いてんだよ!」
「やり返し?・・・ああ・・・行く」
酔っ払い同士の何気ない会話・・・けどロウが最後の言葉を発した際に店の中全体がヒリつく・・・誰に向けたでもない殺気・・・普段殺気とは無縁の人達までギョッとした顔をして彼を見ていた
「・・・そうか・・・いつ行くんだ?」
「いつ・・・すぐだ」
「すぐじゃ分かんねえだろ?こちとら準備が必要なんだ」
「?・・・何言って・・・」
「・・・俺様も行くって言ってんだよ・・・暇潰しにな」
「・・・お前にはやる事があるだろ?」
「何があるってんだ・・・別にダンジョンなんていつでも潜れるし組合も解散したし・・・」
「お前が街を離れている間、誰がこの街を護るんだ?」
「・・・チッ!警備もそっちの仕事だろ・・・それを押し付けやがって・・・」
「仕方ないだろ?信頼出来る奴が他にいないんだ」
「おっ・・・そ、そうか・・・」
クスッ・・・何だかダン・・・嬉しそう。ロウは・・・相変わらずだけど
暗く沈んだ瞳・・・その奥にある怒りを何とか押し殺そうとしている。あの瞳の奥の怒りが消えて以前の優しい瞳の彼に戻るのはいつなのだろうか・・・いやそもそも戻るのだろうか・・・
その後はまた無言でお酒を飲み続け、酔いが完全に回って来たところでお開きに・・・勘定はダンが払い4人で店の外に出るといつの間にか外は真っ暗になっていた
すると不意にペギーが背中に抱きついて来て・・・そのまま何も言わず数十秒が経過する
男2人は何も言わず空を見上げペギーが私を離すと同時に解散となった
「・・・飲み過ぎちゃったね」
「・・・ああ・・・」
少しフラつきながら屋敷へ向かう
すると目の前から見慣れた人達がこちらに気付き歩み寄って来た
ジケット、ハーニア、マグ、エリン・・・4人の冒険者パーティー・・・ロウの学校の同期の者達だ
「よぉロウニール・・・今平気か?」
「平気に見えるか?」
「見える見える・・・ちょうどダンジョンから出て来て腹減ってんだ・・・寄ってかね?」
ジケットが親指を立てて向けたのはギルドに併設するように建つ『ダンジョン亭』・・・冒険者御用達の店だった
つい先程ダン達とお酒をしこたま飲みツマミもそこそこ食べた後・・・さすがにお腹は膨れており食事はキツイような・・・しかもダンジョン亭は味も良いが量も多い。ここはまた今度と断って・・・
「ああ」
ええ!?・・・私もう入らないよ?・・・でもお店に入って注文しないでみんなの食べてる姿を見てるだけっていうのも・・・
「へい肉肉定食お待ち!」
結局頼んでしまった
にしてもこの量・・・冒険者の時はペロリと食べてたけど今見ると・・・ハア・・・しばらくモッツさんに言って量を減らしてもらわないと・・・
「・・・顔が赤いけど飲んでたのか?」
「ああ・・・ダンとペギーと」
「そっか」
結局会話はこれだけだった
みんな無言で食事を済ませ食べ終わったら解散・・・ただそれだけだったのによく見ると彼の瞳の奥にある怒りは少し収まったような気がする
「さて腹も膨れたし帰って風呂に入って寝ようか」
「そうね」
「明日から忙しくなるし」
「・・・そうね」
「そう言えば風呂で髪を・・・うん?なんで髭は剃るけど髪は切らないんだ?」
「・・・前にね・・・ラルの髪を切ってあげた事があるの・・・それでね・・・右と左のバランスが・・・とか色々やってたら・・・」
「なるほど・・・失敗した訳か」
「ラルは短くなっても怒ってなかったけど・・・それから髪を切るのはトラウマなのよね」
「なんでまたラルの髪をサラが?」
「・・・切ってあげたかったの・・・いずれ」
「なるほど・・・ね」
それから2人して無言で歩く
隣を歩いていると互いの手が触れ自然と手を繋いでいた
そして屋敷に着き彼は立ち止まると屋敷を見上げ呟いた
「聞かないと・・・」
「何を?」
「師匠の・・・最期を──────」




