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私との日々を忘れられないようにしたい。
肺に染みついたままのタールと同じように。
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「今日は俺が晩ごはん作るから食べにきて」
昼休憩中、たばこをふかす私に届いたLINEはそれだった。
いやじゃなければ、と付け加えられた言葉に、
最近彼から腫れもの扱いされている節を感じる。
それは先日、わたしが彼との関係を一方的に切ろうとした後からだった。
七夕の夜に初めて出会ってから3か月が経過し、
彼の部屋にまれにみられる私ではない女の影に、とうとう私がしびれを切らした結果。
ある日の早朝に起きたまま、深く寝る彼を起こすことなく衝動的に部屋を飛び出した。
帰ったの?というLINEに、うん、と短く返事をし、
その後自分が今は彼に会うつもりはない旨を伝えた。
そっか、とそのまま終わると思っていたけれど、突然そんなことをしないでいてほしいこと、
私がいなくなるのは寂しいと伝えられ、
結果的に彼との関係を切ることなくまだなんとなく続いているのだ。
お願いだから俺に会いに来てよ、さみしい、
衝動で飛び出した次にあったときに、私の背中に抱きついたまま彼はそう呟いた。
私にとっては予想外の出来事でしかない。
彼に執着されている覚えも、自分が必要とされている覚えもまるでなかったのだから。
けれどそれから、彼の言動はなんとなく変わっていった。
私の反応を気にしながらも、一緒にいるときに吸う煙草の本数が増えた。
よりスマホの画面を見ることも増えたし、本当に自分が必要とされているのが
甚だ疑問でしかないけれど、私の返信が遅れたりすると不安がるようにはなった。
そうして今日も、距離感を確かめられながら送られてきたLINEに、
わかった行くね、と短く返す。
彼の考えは微塵も推し量れないけれど。
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いつもと同じようにお酒を買ってから彼の家に行くと、もうちょっと待って、と笑いながら言われた。
「にんじん、買い忘れたから入ってない」
にんじんの入っていない肉じゃがを食べたことはないけれど、特に変わりはない気はした。
彼の料理に期待しているわけでもないし、
低く見積もってるわけでもない。
具材の煮える匂いを嗅ぎながら、美味しそうだねとつぶやいた。
30分ほど待ってから出てきたのは、わたしが食べたいと言った肉じゃがとポテトサラダ。想像より正しくそのもの、という感じであるし、なんならわたしよりうまいのでは、と頭の隅で考えた。
彼は大雑把に見積もって生きているわたしより、慎重で、堅実だ。
だいたいいくらぐらい、という金額に対し端数を切り捨てるわたしと、端数を切り上げる彼は対称的な気がした。
「えっめっちゃおいしいじゃん、
おいしすぎん?」
ポテトサラダを一口目に食べたわたしの口から、自然と言葉が漏れる。
彼はわたしの顔を不安そうに伺いながら、ちょっとはにかんで笑った。
「ほんと?はじめて作ったけど時間かかるね」
はじめて作った、という意味を少しだけ考える。
いつからこんな癖がついたんだろう。
十分すぎるぐらい美味しいよって言いながら、肉じゃがに手をつけた。
半ば肉じゃがというより、スープ状態にはなっているけれど、彼の感覚や味覚は正しくわたしのものと合った。
こういうところにズレはない。
五感を他人と擦り合わせる行為に、一体何の意味があるのか、自分でもわからないけど。
「ていうか、ねぇそれこの間言ってたやつ?」
彼が肉じゃがを口にしながらわたしに目を向ける。
指しているのはわたしの着ている、ふわふわとした触り心地のルームウェアのことだった。
「そうだよ、昨日届いたから着てきた」
季節限定で売り出されたこの服を予約して買うね、という話をしたのは先月のことだ。
深いグレーに、黒い猫の描かれたトップスを、袖を伸ばしながら見せる。
彼の目が少し輝いて、たぶん言いたいことはこれだろうなと思いながらわたしが口を開く。
「ふわふわしてるよ、触る?」
伸ばした袖の先を差し出すと、おそるおそる彼はその生地を撫でる。
いつも寝る時人のことを抱きしめるくせに、ベッドから出るとまるでわたしに対して他人行儀だ。
彼に触られることはなんてことないし、
こちらも構える必要なんてないのに、その不安がちな反応にいつも少し戸惑う。
「ふわふわ、気持ちいい」
いいな、と呟きながらまた食事に戻った。
と、思っていたらふと何気なく彼がつぶやく。
「もう、売り切れてるのかな、
男物ってある?」
その言葉に疑問を抱きながらわたしは購入したサイトを素早くスマホで開いた。
在庫はまだあるし、同じデザインのものはレディースしかないけれど、彼の体型的に同じものでサイズは合う。
「あるよ、レディースしかないけど、
大丈夫じゃない?」
スマホを眺めながら呟くと、
彼が小さくふーん、と返事をした。
「袖が、かわいいから」
ほしいなって。
少し伏し目がちになりながら放たれた一言に、わたしはちょっとぎょっとした。
それと同時にいつものポーカーフェイスを作ることも忘れない。
「いいんじゃない?」
何でもないことのように言うと、
彼も短く、うん、と呟いた。
同じ服がほしいだなんて、それはおそろいじゃん、と、思ったけれど言わなかった。
わたしにそういう意識があることを悟られたくなかったからだ。
彼もわたしも、人と服やものがかぶることを厭うタイプの人種だ。
だからまさか、かわいいからって同じものが欲しいと言い出すなんて1ミリだって思ってもいなかった。
もちろん彼が同じものを本当に買うとは思っていないけれど、そんなことを言い出したこと自体が驚きでしかない。
まだ湯気の上がる肉じゃがを食べながら、
わたしの中で、彼の意図するわたしの存在価値を考えあぐねていた。