Ch.4.38:救援の士
イーブは頭の中の違和感を探った。
漠然と感じた何か。
記憶の中で抜け落ちたカケラを探した。
土塁の上から眺めた湖岸を見た時にも、心の襞が何かに触れた感覚があった。
湖畔に不自然に置かれた巨石があった。
外輪山の斜面から転がり落ちてきた痕跡があった。
ようやく思い出すと目を開けてアダセンを見る。
「ところで、ジョン殿は?」
もう一人の重要人物である。
単身この地までユメカを追いかけてきたのがジョンである。
無数の大ムカデとの戦いに苦戦していた時、転がってきた巨石によって命拾いしたのだ。
その直後に現れたのがジョンであり、今だからこそ、もしやと思うところもあった。
だがアダセンは、少し困惑したような表情を見せた。
「昨日はいたのですが、今朝から見当たらないのです」
「さては、ユメカ殿の窮地を嗅ぎつけたのかな?」
「イーブ様、そのおぞましい名の持ち主は何者ですか?」
「自称、ユメカ殿の駄犬」
「はっ。もしやそのせいで――」
エナが後頭部をさすった。
「どうかしたのか、エナ?」
「そいつを成敗しろと、頭の中でゴッドが囁きました」
思い詰めた表情のまま、エナは唐突に土室から駆け出してしまう。
イーブはサヒダをアダセンに委ね、すぐに追い掛ける。
エナは砦の兵士を避けながら迷わずに走り、地面に開いていた地下への階段を降りていく。
暗闇に入っても、エナの姿が分かる。
騎士服が少し光を帯びているようだった。
その光が霞むほどのまばゆい光が地下室を照らし出す。
エナが聖剣を抜いたのだ。
「悪しき結界よ砕けよ」
エナが聖剣を逆手に持って床石へと突き下ろす。
床石は砕け散り、さらなる地下が姿を現した。
エナは軽々と飛び降りる。
イーブはその高さに一瞬躊躇したが、覚悟を決めて飛び降りる。
エナの持つ聖剣に照らし出されたのは、床に描かれた魔法陣と、その中央に座るジョンの姿だった。
悠然と床に座り、手を上げて暢気に挨拶してくる姿には、大物感が漂っている。
エナは魔法陣の手前で立ち止まり、困惑の表情で見つめている。
「やあ。久しぶりだな二人とも。金髪碧眼美少女連れとは、おっさんも隅に置けないなあ」
「いやジョン殿、エナと会ったのは偶然だ」
「え? 人間? イーブ様、犬は?」
「ジョン殿はユメカ殿に駄犬と呼ばれているが、れっきとした人間なのだ」
「だ、騙されました? わたし――」
「そんなことより、ここから出してくれないか?」
「ん? 出られないとは?」
バシッ!
イーブが魔法陣に足を踏み入れようとして、見えない何かに弾かれた。
全身が衝撃で痺れる。
何が起きたのか分からず、驚いて目を見開いた。
「これは一体――」
「魔法結界だ。ディリアのヤツに、閉じ込められた」
「ディリア殿に? だが、ジョン殿がなぜ?」
「さあ、なんだろうな。もしかすれば、クリスティーネにちょっかい出したせいかもな」
「イーブ様。クリスティーネとは、どのような方なのです?」
「ディリア殿の弟子の魔導師で、かわいらしい少女だが、その実力はディリア殿に匹敵する」
「ではつまり、こいつは女の子に手を出したゲスなのですね!」
「違うって、エナたん」
「今、エナたんと呼びました?」
唐突にエナの眼差しが凍てつくように冷たくなった。
聖剣を持つ手に力が入っている。
嫌いな呼ばれ方というのが人にはあるが、そうなのかもしれない。
「あなたと、以前どこかで会いましたか?」
「他人の空似だろう」
「では、どうしてわたしの名を知っているのです。まだわたしは名乗っていませんよ」
「い、いやだなあ、イーブのおっさんがエナって呼んだじゃないか」
「はっ! そうでした。失礼しました。改めて名乗りましょう。わたしは聖騎士シーラ・デ・エナと申します。ですが、エナたんと呼ばれたのは、空耳ではありません」
「いやいや。オレはエナさんと言ったんだぜ」
「うむ。そう言ったように俺にも聞こえたぞ」
きょとんと目を見開いて、エナは首を傾げたがすぐにうなずく。
直情径行はあるが、本質として素直な少女である。
そのような純真さを持つ者に、無闇に人殺しはさせたくないとイーブは思うのだ。
「イーブ様がそうおっしゃるなら、わたしの聞き間違えでしょう」
「納得してくれたところで、結界を壊してくれよ。イーブのおっさんの剣ならできるだろう?」
「どうかな? まあやってみよう」
イーブは剣を抜く。
エナの聖剣と比べると、輝きが少し弱いようだった。
上段に構えて、振り下ろす。
だが、魔法結界に阻まれて、剣が弾き返されてしまう。
「すまない、ジョン殿。俺の一撃は全く通用しない」
「パワーダウンしてるのか?」
「ぱわあだうんとは?」
「魔力が尽きかけたようなものだと思ってくれ」
「ではイーブ様の代わりにわたしがやりましょう。レベルアップした【正しき神の裁き】なら、この悪しき魔法結界など一刀両断間違いなしです」
「おお、パツキン少女の技か、いいねえ」
「その言い方、昔誰かにも言われたことがあるような気がします」
「他人の空言だろう」
「思い出しました。そのゲスの名は、トゼ・ミツガ」
「オレはジョン。またの名を、便利屋エブリシン・オルオケだ」
「では、違いますね」
「納得ついでに、エナたんじゃ無理だってのも納得してくれ」
「神様の力は、絶対不滅ですから!」
エナが剣を大上段に構え、真っ直ぐに振り下ろす。
だが、同じように弾かれた。
「ん? ところでエナたんの剣、なんかいじったか?」
「はっ! 思い出しました。わたしの信仰心が足りないばかりに、悪魔のヤスラギ・ユメカに、刃こぼれさせられたのでした。そのせいで悪しき呪いがかかり、刃が鈍ったのですね!」
「刃こぼれはどうしたんだ?」
「悪魔のヤスラギ・ユメカが研いでくれたので少しはいい人かと思ったのですが、わたし、騙されました!」
「なら、剣を返して逆の刃でリトライしてみ?」
「それにどういう意味が――」
文句を言いながらも、エナが言われるままに剣をくるりと回し、気楽な素振りをするように振り下ろした。
ただそれだけの動作で、剣は魔法結界を斬り裂いた。
パンッと弾けるように魔法陣の輝きが消滅した。
「え?」
エナ自身が一番驚いているようだった。
聖剣の諸刃を交互に見比べている。
ジョンが「よっこらせ」と言いながら立ち上がり、魔法結界から出てきた。
「どういうことです?」
「押してダメなら引いて見ろって格言、知らないか?」
「知りませんが――」
「お陰で助かったぜ。それとエナたん、これから戦うときは、刃の斬れ味の違いを意識しろよ」
「はい。ですが、やはりあなたは『エナたん』と呼びましたね。結界のせいで音が変わって聞こえるのかと思いましたが、はっきりと聞こえましたよ!」
「嫌か?」
「いえ。嫌といいますか、悪しき思い出が脳裏をよぎるのです」
「そっか。そういう内側の問題は、自己解決してくれ」
イーブは思わず微笑んでいた。
ジョンという人物も、不思議な雰囲気を持っている。
人におもねることはしない。
隠し事は多そうだが、裏表がない雰囲気があるからこそ、ユメカは側に纏わり付くのを許しているのかもしれない。
「ところで我々は魔王城へ行くことにしたが、ジョン殿はどうする?」
「ん? ああ。なるほど、そういうことか。じゃあ、オレは先に行くことにする。ピンチなユメカを助けてラブラブ展開フラグを立てる千載一遇のチャーンスと見た!」
ジョンは倒れていた梯子に駆け寄ると、立ててあっという間に登ってしまう。
「あ、逃げましたよ」
「鼻が利く御仁なのだよ」
ジョンが行けば致命的な結果にはならないだろうと、なんとなくイーブには思えた。
不意に、エナの声が聞こえたのか上階からジョンが顔を覗かせた。
「お、言い忘れ。イーブのおっさん、日光浴した方がいいぜ」
声だけ残してジョンは頭を引っ込め姿を消した。
イーブには閃くように蘇る記憶があった。
「おお、日光浴か!」
「イーブ様は日光浴などしなくても、素敵な殿方です!」
「そういうことか」
エナの言葉は頭に入っていなかった。
イーブは亡き国王の言葉を思いだしていた。
太陽に掲げて祈りを捧げる。
【白金の閃光剣】を扱う前には、そんな儀式があると聞いたことがある。
道中機会があればやってみよう。
イーブもエナと共に梯子を登り、外へ向かう。
土室の外でアダセンたちが待っていた。
「今し方、ジョン殿が『お先に』と走って行きましたが――」
「そうか。これから俺も魔王城へ向かう」
「イーブ、ぼくも行く!」
サヒダが駆け寄って見上げてくる。
その決意は何から出たのか、見定めるようにイーブはその目を覗き込む。
生半可な考えや、中途半端な感情からなら、断固拒否する決意があった。
「殿下、危険ですぞ」
「でもユメカは、近くにいれば守ってくれるって約束してくれたよ」
「道中には魔獣もおりましょう」
それでもサヒダの目は、迷いに曇らない。
幼いながらも恋心が勝っているのか。
あるいは、どのような結果であっても見届ける覚悟なのかもしれない。
だが、連れて行けば確実に死の危険は増す。
返答に迷っていると、横に進み出てくる者がいた。
エナである。
「聖騎士であるわたしが同行するのです。魔獣など神様を恐れて尻尾巻いて逃げ出します」
サヒダの行く末がどうなるかは分からない。
ただ、未来の選択肢の中に王となる道は他の者よりも色濃く残り続ける。
時代の転換点を間近で目にする経験は、素養として必要なのは間違いない。
拒絶する口実はもう、見当たらなかった。
イーブは腹を決めた。
「ならば、共に参りますか――」
「ありがとう、エナ」
「どういたしまして殿下。真実を覆い隠す悪しき魔導師ならば、神様の御前に差し出さねばならないだけです」
エイキ少年が進み出てきて膝を突いた。
「殿下が行かれるのでしたら、私もお伴させてください」
「ダメだ。エイキは残れ」
「ですが、イーブ様――」
「自分の身を守れない者は連れて行けん」
「――わかりました。では、ここでお戻りをお待ちしています」
聞き分けのいい子である。
単に従順なだけなのか、身の程を弁えて納得しての返答なのかは、今後の言動で見ていくことになる。
それによって、サヒダの近習としての立ち位置が決まるだろう。
イーブがうなずくと、今度はアダセンが一歩踏み出してくる。
「私とオーズィキャがお伴致します」
「ありがたいが、この砦の守りはどうする?」
「副隊長のユーボンに、オデュンとイブナク、それにジョン殿が残してくれた魔術武具を使う工兵たちがいます」
「――それが最善か」
「それに、真実を伝えるには、当事者である私が語るべきなのです」
イーブは同意した。
あとは最大限速く魔王城へ辿り着く方法を採るだけである。
「アダセン殿、馬はあるのか?」
「三頭ほど――」
「いいえ、イーブ様。徒歩で参りましょう。そうせよと、頭の中でゴッドが囁くのです」
「分かった」
比較的平坦な場所であれば馬に乗った方が速いが、悪路や山岳地帯には弱いのだ。
加えて、草を食べさせ、大量の水を飲ませる必要がある。
それに、起伏の激しい山道を長距離移動するなら人間の方が適しているし、無理も利く。
結果として速く着く可能性はある。
意見を求めてイーブは見渡す。
アダセンが何か言いかけたが、すぐに口を閉ざした。
幼いサヒダの足で歩けるのかという不安があるのだろう。
だが、自分が馬代わりになればいいだけなのだ。
イーブはすぐに出発を決めた。
ジョンが本当に駄犬だった場合も念頭に置いての決断である。
取り返しが付かない事態になる前に辿り着けるよう、イーブは天に祈った。




