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  Ch.4.34:緊縛と、美少女

 どれくらい眠っただろうか。

 人の気配を感じてユメカは目を開けた。

 黒い小さな影が見える。


「やはりオネ――あなただったのですね」


 声に聞き覚えがある。

 意識がはっきりと目覚めた。

 黒のローブにフードを被り、身長に不釣り合いな長い魔杖を持つ姿。

 クリスティーネだった。

 傷が癒え元気になった姿を見て、ユメカの心は喜びに弾む。


――あれ?


 ただ、ここにいる理由が分からなかった。

 大蛇に襲われていた兵士の話では、王子が暗殺される前に別行動していたと聞いていた。

 なにがどうなれば魔王城まで来ることになるのか、分からなかった。


 それに――、


 クリスティーネが「あなただった」と言った意味がわからない。「オネーサマ」と呼ぼうとして「あなた」と言い直した心には、何があるのか。

 ユメカは知りたい衝動にかられたが、尋ねるのが恐かった。


「黒クリちゃん、どうしてここに?」


 喜びと疑問が交わる困惑の中、ユメカは立ち上がっていた。

 玉座に立てかけていた剣が床に滑り落ちる音が、二人しかいない魔王の玉座の間に響いた。

 グラビティーソードが落ち、床石にひびが入る。

 ユメカは修復できない痛みに不安を抱く。

 転落しないように気を付けながら、玉座の段から降りようとした。


「魔王を倒すためです」


 クリスティーネから発せられた冷たい声に、ユメカは足を止めた。

 どうして魔王を倒そうとしているのか、分からない。

 それでもクリスティーネと会えたのは嬉しかった。


「そうなんだ。でも、無人だったよ」

「ですが、今は戻ったようです」

「え? どこに?」


 ユメカは見渡すが、他に誰もいない。


「どこまで惚ければ気が済むのでしょう」

「どうしたの? 黒クリちゃん?」

「わたくしの名は、クリスティーネ・シュバルツです」

「知ってるよ。だから、あたしの黒クリちゃんだよ」

「人の名を変えて操る魔術だったのですね」

「どうしちゃったの?」

「あなたが、本当の魔王――だったのですね」


 明らかに何かが違う。

 間違った認識を植え込んだ存在がいるのだ。

 つまり洗脳。

 思いつく相手は一人しかいない。

 師匠による洗脳なのだ。

 ディリアへの怒りが燃え上がるが、ユメカは冷静さを保とうとする。


「違うよ。あたしは絶対正義の美少女剣士だから」

「では、聖騎士殺しも正義だと言うのですか?」

「あたしは殺してないよ」

「それでしたら、わたくしを突き刺したのはなんでしょう?」

「あたしの背後から何者かが何かを放ったのよ」

「曖昧な言葉ですね」

「あたしにもよく分からないの。でも――」


 ユメカは玉座の階段を降り、クリスティーネに近付く。

 だが、ユメカは一〇メートル手前で、足を止めた。

 クリスティーネから拒絶する気迫が感じられたのだ。


「ねえ、ちゃんとお話ししよう。何か誤解があるんだよ」

「そうですね」

「だから、もっと近くで」


 ユメカの目の前で小さな爆発が起きた。

 クリスティーネが放った、極小にした爆裂魔法だった。


「近付かないでください」

「どうして? 近くで目を見て話し合わなきゃ、心の距離も縮まらないわ」

「そうやって魔法でわたくしの心を操るのですね」

「そんなことしないし、してないよ」

「では、身の潔白を示してください」

「どうすればいいの?」

「あなたの剣が、脅威なのです」


 ユメカは左手で腰を探ったが剣はなく、外していたのを思い出した。


「グラビティーソードなら、玉座のところに置いてきちゃったよ、だから――」


 バン!


 近付こうとしてまた、警告の爆裂魔法が目の前で弾ける。


「近付かないで!」

「どうして? 剣は持ってないんだよ」

「なにをするか分からないあなたが、自由に動けるのが恐いのです」

「分かった。だったら、どうすればいい?」

「あなたの自由を奪わせてください」

「うん。いいよ。黒クリちゃんになら。したいようにして、いいよ」


「では、【禁断の獄舎(ヘルプリズン)】」

 ユメカが立つ周囲の石床から無数の鋼鉄の格子が伸びてユメカを閉じ込める。


「これでいい? だったら、話をしよう」

「いいえ。まだです」

「今度は何をするの?」


「呵責を縛る戒めの鎖となり、自由を奪え。

 【緊縛の連鎖(マインドチェーン)】」


 魔法によって生み出された鎖が床と天井から伸び、ユメカの手足に巻き付く。

 鎖に引っ張られたユメカは、【禁断の獄舎(ヘルプリズン)】の中で吊される。

 両手足が上下に引っ張られXの字のように吊された。

 爪先がやっと床に付く状態である。

 少しでも休もうとすれば、手首に全体重が掛かり、鬱血してしまうだろう。


「こんなことまで――」


 ユメカの心が軋む。

 クリスティーネとただ話をしたいだけなのにここまで恐れられている。

 屈辱的な体勢にさせられたことよりも、こうしなければならないと思われているのが悲しい。


「よくやった、クリスティーネ」


 ユメカの心をざらつかせる低い声が、玉座の間に響き渡る。

 カツンと床に魔杖を突く音が響き、ローブ姿の人物が入ってきた。

 王宮魔導師ディリアである。

 瞬間、ユメカの心に怒りが燃え上がる。


「やっぱりあんたが黒幕か!」


 ユメカの怒気が空気を震わせるように響き、玉座の間に反響する。

 クリスティーネを絶対に助けるという約束は守ってくれたようだが、事実を隠し偽りを吹き込んだのだ。

 ディリアによって魔王認定されたのだとはっきりした。

 ユメカは手に絡みつく鎖を引きちぎろうと藻掻くが、強固な鎖はびくともしない。

 鎖が手首に食い込み、血がにじみ出る。


「見なさいクリスティーネ。この凶暴性こそ魔王の証拠だよ」

「はい。お師匠様」

「ディリア! あんたは黒クリちゃんを洗脳したな! それでも師匠か。黒クリちゃんの心を縛るな。解き放て!」


 クリスティーネが二歩、あとずさった。

 その怯えた表情を見て、ユメカはあの時の状況との類似性に気づいた。

 聖騎士に襲われた森でクリスティーネと遭ったときも、思い返せば怯えた顔をしていた。

 ユメカは背後に現れた黒ローブの男を睨み、そいつに向けて声を荒げたつもりだった。

 だがクリスティーネの視点で見れば、自分が言われたと思ったのも仕方のない状況だった。


――あたしのせいか。


 元伯爵騎士やディリアも、クリスティーネがケガをした瞬間を見てはいないのだ。

 ユメカが犯人にされてしまう理由はそこにある。


「クリスティーネよ、魔王の言葉は人の精神を支配する。まやかしの言葉を遮断しなさい」

「はい。お師匠様」

「ディリア、そうやってあんたは、黒クリちゃんを洗脳したのね」

「魔王ヤスラギ・ユメカよ。いつまで白を切るつもりだ」

「あたしは魔王なんかじゃない。それが事実よ」

「だが、そのお前が示した事実は、お前が魔王だと指し示している」

「違う!」

「この魔王城で魔王の玉座に座す者など、魔王以外に誰がいるというのかね」

「誰もいなかったからちょっと座ってみただけで――」


 浅はかな行為だったと、ユメカは悔いる。


「ほう。では、保護者がいないからと、クリスティーネをたぶらかしたのかね」

「違う!」

「ならば誰もいないからと、世界の支配者になろうとしているのかね」

「どうしてそうなるの! 話が飛躍しすぎよ!」

「だが、聖騎士を惨殺しクリスティーネを殺しかけた事実は消えない」

「違う。あんたもいたよね。あたしは聖騎士を殺してないって言ったよね」

「目撃者はいないのだ。何とでも言える。ただ、幸いにして私が騎士を連れて駆けつけたので、お前はクリスティーネを殺せなかった」

「違う! 黒クリちゃんをケガさせたのは、あたしじゃない。多分あの魔術師よ」

「いいや。お前は正体と罪がバレるのを恐れ、架空の魔術師を創出し無実を装ったのだよ」


「違う! 聖騎士と戦ったのは事実だけど、それ以外はしてない!」


「ならば、お前にとってクリスティーネは何なのだね」

「あたしの大切な友達だよ」

「瀕死の重傷を負ったのに、お前は無関心だった」

「違う! 心配したよ。けどあたしには治せなかったし、それにあんたが治癒魔法をかけてくれたでしょ!」

「事実の断片を使って誤魔化すのかね。もしお前がクリスティーネを心配していたなら、なぜ立ち去った。クリスティーネを見捨てるようにお前は立去ったではないか」

「あんたが黒クリちゃんを助ける代わりに、あたしに黒クリちゃんと二度と会うなと言ったんじゃないか!」

「私は引き留めた。クリスティーネが意識を取り戻すまで側にいてくれと」

「そんなこと、あんた言わなかったよね!」

「なぜムキになって否定する? お前はクリスティーネを守ると誓ったが、それはウソでクリスティーネを傷つけた」

「違う! あたしじゃない」

「だがお前はクリスティーネが瀕死だというのに、真犯人を捜すと言ってクリスティーネ見捨てて去ったのだ」


「ウソつき! あんたはウソつきよ」


「そうやって最後に責任を転嫁する。自分の嘘がバレそうになると、先に相手が嘘をついたと糾弾することで、自分への疑惑を躱すのだ。あくどい所業だ」

「違う。あたしはウソをついてない」

「ならば、魔王ではないというなら、お前の力はなんだ」


「あたしが絶対無敵美少女剣士だからよ!」


「絶対無敵? そのように鎖で縛られていながら、絶対無敵というのか」

「そうよ」

「聞いたかね、クリスティーネ。鎖で吊されているのに無敵だと嘘を言う」

「でも、仮に鎖をちぎっていれば、それが魔王の力の証明だというつもりでしょう?」

「まさか。そこまで悪辣ではないよ。絶対無敵だというなら、その力を是非示して欲しい。魔王ではないと、それが証明になる」

「――できないわよ」

「できない?」


 ディリアはわざとらしく大げさに驚く演技をしているようだった。


「そうよ。今はできないわ」

「ならば、嘘つきということだ。無敵ではないのだからね」

「無敵の意味を履き違えているのよ、あんたは!」

「ならばあの、剣かな?」


 ディリアの視線は玉座の置かれた段の上に向けられた。


「あたしの剣に触るな!」

「はっはっは。どうやら、図星らしいな」


 ディリアが玉座への道をゆっくりと歩き、鎖に繋がれたユメカの脇を通り抜け、玉座への階段を上って行く。


「この剣か。どれ」

 ディリアは持ち上げようとするが、持ち上げられない。

 当然だとユメカは想った。


「では、ゴーレム生産」

 ディリアが呪文を唱える。

 床に敷き詰められた石が砕けて積み重なり、人形になった。


「持ち上げなさい」

 ウガガア。

 ゴーレムがグラビティーソードに手を掛けるが、持ち上げられない。


「ええい、魔力が足りぬのか」


 魔杖から魔力を注ぎ込む。

 ゴーレムは回りの岩を砕いて柄を握り、更に力を込める。


 バキン、バキバキバキ。


 腕が引きちぎれてしまった。

 加えた力に対して、腕の強度が足りなかったのだ。


「バ、バカな」


 ユメカはちらと玉座の方を見る。

 ディリアが動揺している。

 ゴーレムなら、どんな重い物でも持ち上げられると考えていたようである。


「どういうことだ」

 段を荒い足取りで降りて来たディリアが、鉄格子の前に立った。


「あたしの剣だから、あたしにしか持てないのよ」

「そのような原理、ありえん」

「事実を目の前にしても、受け入れられないのね」

「違う。そうではない。秘密だ。力の秘密があるはずなのだ。それを言え!」

「だから言ったじゃない。あたしが、絶対無敵の美少女剣士ヤスラギ・ユメカだからよ」

「そのような戯れ言、いつまで言えるかな」

「真実は、永遠に真実よ」


 ユメカはディリアを直視する。

 徐々にだが、ディリアの悪辣な精神が見えてきた。

 逆にこのまま精神的に追い込めば、偽りを剥がせるかもしれない。


「ならば、懲罰の鞭を使おう」

 ディリアがローブの内側から、柄に魔石が嵌め込まれた鞭を取り出した。


「悪趣味ね」

「どれ」


 ディリアが振り上げた腕を降ろした。

 鞭の先端は鉄格子の間を抜けた。


 ビシッ!


 鞭が唸り、ユメカの腹部に当たる。

 服が裂け、肌が露出する。

 通常の鞭よりも速すぎてユメカは無敵の盾イージスを思い浮かべるのが遅れた。


「美少女を鞭打つなんて、どこの変態だ!」

「美少女? 違うだろう。これは魔王に与える懲罰なのだよ!」


 鞭がしなった。

 瞬時にユメカはイージスを発動する。

 光の盾が、鞭が弾く。


「おや、今度は弾いた。なぜだ?」

 ディリアは首を傾げている。


「これが、あんたのやり方?」

「世界を滅ぼす魔王に対しては、これでも手ぬるい」

「お師匠様――」


 クリスティーネがディリアを見上げる。

 分かってくれたのかとユメカは期待したが、その表情は違った。


「そうだねクリスティーネ。この者に悔い改めの機会を与えようというのだね」

「はい。オ――。あの人はわたくしに、人を赦すようにいいました。ですが、罰が必要だとも言ったのです。真実を明らかにして罪を認めるなら、罪は赦すべきです。ですが、その行いに見合う罰を与えなければなりません」

「そういうことだ、魔王。クリスティーネの寛大さに感謝し、魔王と認めることだ」

「罰? 罰ってなによ。その前に罪を明らかにすることが先でしょう」

「クリスティーネをたぶらかした。それがお前の罪だ」

「それは、あんたの罪だよ、ディリア」


 幼いクリスティーネの心を弄び束縛し悪へと引きずり落とそうとするディリアを、唸るように歯を食いしばり、にらむ。

 だが嘲笑で受け止められてしまう。

 ユメカは徒労感に襲われ、虚しさに溺れそうになった。

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