Ch.4.31:邂逅の、美少女
クリスティーネは魔杖を構えていた。
イギャカ山の北側の尾根を降りるとその先は、山岳地帯が続いた。
急流沿いの山道を抜け平地に出ると、前を行くディリアの隣に馬を寄せる。
魔人の出現を待ち望んでいるのだ。
見つけたらディリアよりも先に魔法で攻撃しようと狙っている。
だが、魔王領だというのに、魔王城に近づいているはずなのに、現れなかった。
「気負ってはいけないよ、クリスティーネ」
「わたくしは、証明したいのです。敵であればもう迷わずに殺せると」
「私はクリスティーネを信じているよ。だがね、敵を殺さなくてはいけないという義務感を持ってはいけない」
「お言葉ですが、時間が経てばまた迷ってしまいそうで、恐ろしいのです」
「自然体だよ。馬を操るようにね」
「はい。お師匠様」
やはりディリアは優しい。
そして、教えは分かりやすい。
乗馬は初めてだったが、ディリアの助言ですぐにコツを掴めた。
馬の自然な動きに合わせて腰を浮かすだけのことだった。
同じように、目の前に現れた敵を、自ずと当然のこととして殺せばいいのだろう。
敵が何者なのか考えるまでもなく、ただ魔法で攻撃すればいいという意味なのだ。
真理は、単純だった。
あれこれ考え、敵の素姓がどうだとか、複雑に考えるのは愚者の行いなのだ。
なんだかんだと思い悩んで制約にがんじがらめになっていた重苦しい心が、解放された気分だった。
間違いなくディリアは素晴らしく、師匠として尊敬の念を抱かざるを得ない。
それだけに、少しでも理想に近づけるよう、魔王と戦う前に魔人を倒して証明したかった。
躊躇なく、敵であれば誰であっても倒せるという自信を持ちたかった。
ディリアからの視線を感じて、クリスティーネは顔を向けた。
「力を抜きなさい、クリスティーネ。すべては慣れだ。経験を積む必要がある。だが、急ぐ必要はないのだからね」
「分かってはいますが、早くお師匠様のようになりたいのです」
「焦ってはいけない。まずは私が見本を見せる。人間由来の魔人や巨人を私が魔法で倒したあとで、討ち漏らした魔獣や魔物をクリスティーネが倒しなさい」
「はい。お師匠様」
クリスティーネは本音を封じて、馬を下げた。
ディリアの指示に逆らった結果、失敗した現実を思い出したのだ。
ユメカを追いかけて、結果裏切られて騙されて腹部を刺された。
敵は迷わず滅ぼせという真理を捨て、人間であれば殺してはならないというウソを信じ込んだ結果、魔人を攻撃できなくなり窮地に追い込まれてしまった。
受けた攻撃に倍返しするどころか反撃しなかった結果、再三の敵の攻撃にさらされる事態に陥ってしまった。
ディリアの教えに従っていれば、そうした過ちは未然に防げたのだ。
もう、指示に逆らうのは止めよう。
ディリアの言うことが正しいのだ。
尊敬するディリアの指示に従い導いてもらえばいいのだ。
それだけで理想の魔導師になれる。
クリスティーネは、浅はかな自分の感情を捨てようと努力した。
「ところでクリスティーネ、別働隊を守るという役目はどうだったかね」
「正直なところ、思っていたよりも難しいことでした」
「難しい? 見事に守ったではないか」
「いいえ。お師匠様が魔剣を与えた五人の騎士と、ジョンがいたからです」
「便利屋が何をしたというのかね」
「魔剣と魔石の調整をしてくれました。そうでなければ騎士たちは死んでいたかも知れないそうです」
「それは逆だよ、クリスティーネ。便利屋は魔力による身体強化の度合いを弱めた。そのために、すぐに倒せる魔獣にも苦労するようになった」
「そうなのですか? ジョンの調整で、体の痛みが和らいだと言ってましたが」
「体が魔力に慣れるまでは痛むのだ。その段階を越えて体が馴染めば、もっと素晴らしい力を発揮できた。便利屋は余計なことをしたのだよ」
「そうでしたか――」
やはりジョンに騙されていたのだ。
正しいことを言っているように見せて、実際はウソだったというのは屈辱だった。
「お師匠様、一つお伺いしたいことがあります」
「何かね?」
「魔人が元人間だというのは、本当ですか?」
「それもあの便利屋から聞いたのかね」
「はい」
「それは事実だ」
「では、あの騎士たちも魔人になるのではないでしょうか」
「それはない。アダセンらは、騎士でありながら魔力感応のある希有な人材なのだ。魔剣の力を使いこなせたのが、その証拠だよ」
「魔剣は使い手を選ぶのですか?」
「誰でも使えるのなら、私が作った魔術武具を他の兵士にも与えていただろう」
「わたくしは、またしても騙されてしまったのですね」
「クリスティーネは幼い。狡猾な便利屋に騙されるのも仕方のないこと」
「ですが悔しいです。騙されたのも、未熟で愚かだったのも――」
「便利屋が真実の断片を語ったから、信じてしまったのだろう」
「真実も混じっていたのですか?」
「ある程度魔力を操れる者でなければ、魔力の悪影響によって体が変質し、魔人のような異形の存在生まれ変わってしまう。それは真実だ」
「あの騎士たちは、そうではないと?」
「当然だ。私が作り与えた魔術武具なのだからね。安全安心な道具だ」
「やはりそうですよね。お師匠様を疑うような考えを抱いてしまった愚かなわたくしを、お赦しください」
「許すよ、クリスティーネ。だが、これだけは覚えておきなさい。ウソで人を騙すには、まず信じてもらう必要がある。だから、相手がどんなに正しいと思えることを口にしても、疑わなくてはならない。人と出会ったならば、まず疑うことから始めなさい。簡単に他人を信じてはいけないよ」
「はい。お師匠様のお言葉を心に刻みます」
クリスティーネは一度は心を許した二人との出会いを思いだす。
子ゴーレムと肩を組んで現れたので信頼したが、裏切ってゴルデネツァイトを連れ去った。
ユメカとの出会いは敵対からだったが、マザーゴーレムの暴走を止めてくれ、ゴルデネツァイトを助けてくれて信頼するようになった。
だがそれも、人間を殺してはいけないというウソを信じさせるための演技であり、自分を殺すための策略だった。
絶対正義と信じこませ、実は絶対悪だったのだ。
「それでしたら、魔人になった人間を元に戻す方法があるというのも、ウソなのですね」
「誰がそのような世迷い言を」
「ジョンです」
「はっはっは。騙されたのだよ。私ですらその方法は知らない。そもそも、強大な力を求めて魔人になったのだ。元の人間に戻る必要はないし、戻れはしないのだ」
「やはり、そうでしたか」
「あの便利屋は、ヤスラギ・ユメカの飼い犬だ。飼い主のために、クリスティーネを騙していたのだ」
「そのせいでわたくしは、魔人にも巨人にも攻撃できませんでした」
クリスティーネは歯噛みする。
騙したジョンに、復讐をしてくればよかったと後悔した。
今度会ったなら、必ず復讐してやると心を決める。
「人を殺さないと決意したクリスティーネの心を縛り、魔人に襲わせてクリスティーネを殺そうという、策略だったのだよ」
「やはりそうなのですね。お師匠様が来てくださらなければ、危ういところでした」
「あの程度の魔人など、クリスティーネならば瞬殺だ。だが、人を殺してはならないという呪縛で心を縛り、クリスティーネの力を弱めた」
「なぜそのような回りくどいことを」
「クリスティーネの力を恐れているからだ」
「わたくしの力?」
クリスティーネは自分の手を見つめる。
ディリアの指導を受けて魔法が上達し、一人になっても魔導書を読んで習得した。
自分は誰よりも偉大な魔導師だと、自惚れていた。
だが、全力魔法で攻撃しても倒せなかったマザーゴーレムを一刀両断した存在を目の当たりにして、本当はすごくないのだと思えたのだ。
簡単に壊せないはずの【禁断の獄舎】を光に換えて消し去ってしまうし、【地獄の業火】も剣で消し去れる存在を目にして、到底敵わないと思った。
恐れられる要素は、ないように思えた。
「いずれ大魔導師になれる潜在力を備えたクリスティーネを、味方に引き入れたかったのだ」
「味方ですか?」
「湖上の砦を包囲され、連日連夜攻撃を受ければ、いずれクリスティーネは、殺さないようにしていた人間を殺してしまっていただろう」
「はい。そうなっていたでしょう」
「殺してはいけない人間を殺したという呵責に、クリスティーネは苦しむ。だが、その苦しみを癒すように、許すと言われたらクリスティーネはどう思う?」
「――救われた気持ちになると思います」
「そうだ。そうやって、クリスティーネの心を支配するのだよ」
クリスティーネは唇を噛んだ。
罰を与えて罪を赦すというのも、下僕のジョンを使った演技だったのだ。
赦しを与えるのがいいことだと信じ込ませようと、伏線を張ったのだ。
相手が罪と断定すれば赦されずに断罪されるなら、自分の正しさを証明するには、打ち勝って相手を屈服させ正しさを認めさせるしかない。
死刑にしようと迫ってくるなら、逆に相手の罪を糾弾して殺さなくてはならない。
だが赦される可能性を知っていれば、懺悔して赦されたなら、救われたと思い込んでしまっただろう。
「どうしてそこまでのことを――」
「魔王と呼ばれているが、その正体は悪魔か魔神だ。その悪しき者を倒す力を、クリスティーネが手に入れてしまうからだよ」
「それなら、わたくしを殺すべきだと思います」
「賢いね、クリスティーネ。その通りだが、殺せないのだ。クリスティーネは選ばれし者だからね。悪魔であっても殺すことができない。だから悪の道に勧誘し、味方に引き込もうとしたのだ。危うくクリスティーネも、取り込まれるところだった」
「それをお師匠様が助けてくださったのですね」
「そうだよ、クリスティーネ。だからその悪を討たねばならない」
「では、魔王城にいるのは?」
「この世の悪の根源。すべての元凶」
「――本当にあの人なのでしょうか」
クリスティーネには、まだ、違って欲しいと願う心があった。
純粋に信じてしまったすべてが、偽りだと知るのは辛かった。
でも騙していたのなら、当然罰を与えなくてはならない。
反省し悔い改めたなら罪は赦そう。
だが、明らかになった真実を裁定し、罰として悪を滅ぼさなくてはならないのだ。
「行ってみれば分かることだ」
「はい」
「だが気を付けなさい。もし、魔王城にその黒幕がいたならば、必ずクリスティーネを味方に引き込もうと優しい言葉を囁いてくる」
「気を付けます」
「そして騙されてはいけない。むしろその悪の勧誘を利用し、黒幕の自由を奪うのだ」
「はい、お師匠様」
「捕らえ、そして尋問をする。禍々しい力の正体を確かめなくてはならないからね」
「心得ました。魔王を捕らえたならば、真実を明かしてから裁きます」
「いい子だ、クリスティーネ」
「お師匠様のご指導のたまものです」
「それともう一つ、注意事項がある」
「なんでしょう」
「剣を奪わなくてはならない。あの剣は、我々にとって脅威だ」
「ご指示のままに致します。お師匠様」
「いい答えだ、クリスティーネ。すばらしいよ」
「お褒めにあずかり、光栄です」
「さすがは私の弟子だ」
ディリアが向けてくれる微笑みに、クリスティーネは安堵する。
道を進むと、山間の村があった。
すべて廃墟となっている。
しかも、死体がない。
あの人がやったなら、光りに換えて消し去れるので当然だと思えた。
さらに山へと登っていく。
高原に出た。
遠く、黒く輝く魔王城が見える。
高原には、大規模な戦闘が行われたような痕跡がある。
魔王城へ通じる道へと踏み込む。
だが、魔人どころか、魔獣も魔物も現れない。
常に集め続けている魔力を放つ機会が得られず、クリスティーネは苛立っていた。
「どうして敵は現れないのでしょう」
「油断してはいけない。これは罠だと思いなさい」
「はい。お師匠様」
高原のあちこちに、爆裂魔法が当たったような痕跡が見える。
あの人は魔法を使えるのだから、これもあの人の仕業だろう。
しかも無詠唱で発現できる実力がある。
剣で戦っていると思わせて、密かに未知の魔法を使っていたなら、魔物を光になって消え去った理由が説明できるのだ。
「ここでは何と戦ったのでしょうか?」
「魔王討伐に向かったアミュング国軍や魔術師だ」
「失敗したのですか?」
「魔王の力の前に、愚かな人間は全滅させられたのだよ」
「さぞかし弱い魔術師だったのですね」
「クリスティーネからすれば、皆弱い。だが魔王は目の前の結果だけを見て、人間など取るに足らぬと増長し、アミュング国への侵攻を開始したのだ」
「その時お師匠様は何もなさらなかったのですか?」
「山奥にいたので、気づかなかったのだよ」
「王宮魔導師となられたのは?」
「それは去年だ。魔王軍がアマタイカ王国に侵攻してきた後だ。このままではクリスティーネが危ないと考えた私は、魔王軍の侵攻の待ち受け、魔法で撃退したのだ」
「わたくしのため?」
「もちろんそうだよ。師匠としてクリスティーネは守る義務があるからね」
「感謝致します。お師匠様」
「なに、構わないよ」
「ですが、戻ってきてくださいませんでした」
「古来より、大森林の保護を条件に歴代の王とは密約を結んでいた。国が窮地に陥った場合には、助力すると。その約束のため、城に留まらざるを得なかったのだ」
「ではお師匠様がわたくしを置いて大森林を出て行かれたのは、どうしてです?」
「才能に溢れるクリスティーネが素晴らしい魔導師になれるように、準備をしていたのだよ」
「わたくしを放置したのは、なぜでしょう」
「違うよ、クリスティーネ。私はずっと見守っていたのだからね」
「そうなのですか?」
「当然だ。ただ、あれはクリスティーネの適性を見る、必要な試練でもあった」
「その試練に、わたくしは合格できたのでしょうか」
「まだ、合格ではない」
「――そうですか」
「だが、魔王を倒せば合格だ。ここで悪の根源を絶てば、世界に平和がもたらされる」
「はい。必ずやお師匠様のご期待に応えて見せます」
クリスティーネは意気を高く持ち、大地を踏みしめて道を進む。
魔王城に着いた。
正面の扉は開け放たれたままだった。
「罠のようだね。十分に注意しなさい」
「はい。お師匠様」
目が眩みそうなほど天井が高く幅も広い廊下を進む。
玉座の間が見えてきた。
するとディリアが立ち止まった。
クリスティーネも足を止め、振り返ってディリアを見上げる。
「クリスティーネよ、魔王の正体を確かめてきなさい」
「一人で、ですか?」
「そうだ。先入観なく見定めなさい」
「ご指示のままに致します、お師匠様」
玉座の間にクリスティーネは一人で入っていく。
自分の小ささを感じながら、奥へと進む。
いくつもの段を重ねた上に、玉座がある。
そこに、誰かが座っている。
それが魔王だと確信した。
赤い物を身に纏っているようだった。
ゆっくりと近づく。
そこに座る存在がどのような格好をしているのかを判別した瞬間、息を呑んだ。
やはり、という想いと、どうして、という感情がぶつかり合う。
心のどこかで、違うと否定する結果を望んでいた。
だが、一点の迷いも、目の前の光景を見て、消え去った。
肘掛けに突いた腕に頭を乗せ、長く赤い髪がその顔を覆っている。
魔王の玉座で悠悠と眠る、ヤスラギ・ユメカだった。
クリスティーネの心に怒りが沸き起こる。
騙された屈辱が、燃え上がる。
ただ、すべての理由、すべての真実が知りたかった。
魔王を殺すのは、ヤスラギ・ユメカの悪の行いをすべて暴いてからにしようと、決めた。




