Ch.1.5:美少女と、占裏
エセ占い師だと、ユメカは直感した。
敵意は感じない。
無意識に剣の柄を握っていた右手を用心しながら下ろす。
敵対する気がないとの意志が伝わったのか、ふっと、老人の白髭の口元が緩んだ。
老人から感じられる圧力が少し和らいが、念のため、左手は鞘に添えたまま気を引き締める。
「どうかね、占いは」
ユメカは警戒した。
裏通りの占い師はそもそも怪しいのだ。
人を不安に陥れ金銭を奪い取る悪徳商売人でしかない。
それらしい服装を整えているが、物事すべてまず形から入るものだからそれは当然である。
占い師というのは、他人の人生を裏読みし、奇をてらうように予想を裏切り絶望を裏返して希望を示すフリをする。当たると信じ込ませるために心理学を用いて些細な事象を当てて見せ、言葉の真実味を裏打ちしてみせる。こういう連中の心には、信じる者は勝手にバカを見て金を貢ぐ虜であると、裏書きされているのだろう。
人は見た目で十割とはよく言われている。
その法則によれば、老人は怪しさ満点である。
「いらない」
「お嬢さんはお美しいから、無料だよ」
「美少女よ!」
ユメカは条件反射で認識の訂正を求める。
「ふぉっふぉっふぉ。そうじゃのう」
老人はニヤリと笑みを浮かべた。
「どうかね、美少女さん、無料じゃよ」
「余計にいらない」
ユメカは会話を断ち切り、歩き出す。
タダより高いモノはない。
無料をエサに引き込んで、興味を煽ってから続きは有料とするのは常套手段なのだ。
撒き餌に食いつく魚は網で一網打尽にされる。
話を聞けばネギを背負った鴨に見られてしまう。
「なら、金貨一枚でどうだね」
ユメカは足を止め、向き直った。
「面白いね、おじいさん」
「そうかい?」
「タダだと言っておきながら、金貨一枚にするなんて、その落差が面白い」
「聞くも自由、聞かぬも自由、払うも自由、払わぬも自由だ。好きだろう、自由というのは」
「それ、聖言教?」
「似たようなものだが、違うな」
「ふうん。で、何の用?」
少しだけユメカは興味を抱き、一歩老人に近付いた。
それに、世の中にはクーリングオフという制度がある。
この世界では通用しない概念でも、ユメカにはそれを押し通す力がある。
強迫めいた請求をされても、拒否すればいいだけだとユメカは考えている。
「今は混沌の時代、しかしながら時折時代の変革の兆しとなるシンギュラリティが現れる」
やはり詐欺師だとユメカは老人をにらんだ。
「シンギュラリティって、特異点って意味だっけ? 時々英語を使って簡単な話を小難しくして偉ぶる人がいるけど、あんた、それ?」
「ふぉふぉふぉ。そうかのう。どうかのう。あれかのう」
老人の惚けた態度に呆れたと、ユメカは息を抜いた。
「へんなジイさんね」
「よく言われるのお」
「それより、裏の酒場がどこにあるか、知らない?」
「どこかのう、あっちかかのう、そっちかのう。う~ん。どっかにあるじゃろう」
白髪の老人は言葉とは裏腹に、指の向きで裏道をどう曲がるのかを示してくれている。
「ありがとう。じゃ、そういうことで」
ユメカは右腰に吊した袋の中から戦利品の金貨を一枚取り出すと、テーブルの上に置いて老人に背を向ける。
「美少女さん」
「なに?」
ユメカは振り返る。
「あなたはあなたの道を歩むと良いぞ」
ユメカはニヤリと微笑む。
「あったりまえじゃない。あたしは美少女の道を行くのよ!」
「ほう」
老人は目を見開いた。目を覆うほどに長く伸びた白眉から、七色に輝く水晶のような目が見える。不思議な雰囲気の老人だが、悪のオーラは感じないと、ユメカは微笑みを残した。
「じゃあね、縁があったらまた会いましょう」
ユメカは手を振って歩き出す。
「美少女さん、これを――」
「ん?」
振り返ると、キーンという甲高い音がして、何かが弧を描いて飛んでくる。
反射的に掴み取る。
手を開くと先程渡した金貨があった。
「美少女さんの前途を祝して」
「そう。ありがとう」
変な老人だと思いながら手を振って、ユメカは酒場へと向かった。
もともと、お金をもらう気はなかったのだ。
美少女と話したかったのだろう。
美少女と話せば、皆活力が湧いてくるものなのだ。
世の中はそういう風に決まっている。
ユメカは裏通りの街路を歩く。
老人が指し示した通りに路地を曲がると、酒場があった。
扉を開けて中に入ると、むっとした臭気に思わず息を止めてしまう。
充満する酒気と男臭さには慣れることはないだろう。
飲んだくれが集う世界だった。
ざっと見渡して、テーブルは十二卓。
客数は三十人くらいで男が多い。
女性もいるが美少女はいない。
ユメカは場慣れした足取りで正面のカウンターの真ん中に座った。
奥に立つマスターが驚きを隠し、怪訝そうな顔を見せた。
美少女の登場に見とれているのだと、ユメカは微笑む。
「マスターいつもの」
横座りのままカウンターに右肘を突き、手の甲に顎を乗せると、小太りのマスターを見る。
長い赤毛が垂れ下がり、ユメカの顔の半分を覆った。
「お嬢さん、初顔だね」
マスターは苦笑している。
ユメカは髪を掻き上げながら座り直して正面を向く。
両肘をカウンターに置き顎の下で手を組む。
「マスターは、モグリよね?」
「お嬢さんは、問題児かね?」
「絶対正義のあたしに向かって、言う言葉かしら」
ユメカはため息をつくように上目遣いでマスターを見る。
「それは失敬」
マスターは肩をすくめて、誤魔化すように洗ったグラスを拭き始める。
場末の酒場にもガラス製品が出回るほどに量産されるようになったのだ。
ユメカはポケットから偽大金貨を一枚出してマスターに見せた。
「それより、これ、使える?」
「噂に聞く新しい大金貨だな。だが、うちじゃ使えないよ。役人との取引用だな」
「役人と?」
「昔の大金貨より、使っている金が少ないのさ。誰ももらいたがらないから、税金として収めるために使うくらいだ。両替屋行っても、金貨八枚分だな」
新しい大金貨の偽物が出回った結果、価値が下がったのだろうとユメカは思った。
この世界は金本位制なので、金の量で価値が決まる。
通常の金貨は純度の高い合金である。
大金貨は、信用通貨として国が金貨一〇枚分の価値を保証することで成立する。つまり、初めから金の含有量が少ないのだ。それを改鋳によってさらに金の含有量を減らしたところに偽物が出回り、より価値は低く見なされたのだ。
「二割減なんて、冗談でしょう?」
「それだけ扱いに困る。隣国との取引で使えば大損するからな」
「ふうん」
「お嬢さんがそれをどこで手に入れたか知らないが、噂では偽物も出回っているらしい。騙されたのかもしれないよ」
「これは、本物?」
「国の紋章、六螺旋水滴を斜めから見て、角の生えた動物があれば本物だって話だ」
マスターの口ぶりからは、まだ偽物を見分ける方法を知らないようだとユメカは悟った。
「なら、これは本物ね」
「そいつは幸運だね。だが、町で使うなら両替してもらうしかない」
「でも二割損するのね」
「金貨一〇枚分の物を買うなら額面通りに使えるよ」
「そうなんだ。悪銭が良貨を駆逐するほどには、まだ流通してないのね」
「どういう意味だい?」
「知りたい?」
ユメカは微笑を向け、暗に情報の対価を求めた。
「また別の機会に。で、お嬢さんはいくつだい?」
「あら、美少女に年を聞くなんて、失礼じゃない?」
「未成年者に酒は出せない決まりでね」
「そんなルール、誰が作ったのよ」
「お嬢さん、知らないので?」
「何を?」
「満二十歳未満の人に酒を飲ませると、魔王が来るって話ですよ」
「それ、迷信よ。でも、安心していいよ。あたしは絶対無敵の美少女だから。魔王が来ても追い返してあげるわ」
ユメカはクリスティーネから徴収した金貨の入った袋をカウンターの上に置いた。
袋の口紐をゆるめ、中から金貨を一枚つまみ上げて中に落とす。
ユメカ基準では、金貨一枚は十万円の価値になる。
マスターの視線が金貨を追って上下する。
文無しではないという明確な表明により、マスターの応対能力が向上したようだった。
「それだけお強いなら、是非魔王を討伐して欲しいですね」
「害虫だって、世界の全体から見れば役に立っているのよ」
「こりゃあいい。魔王を害虫呼ばわりとは。お嬢さん、気に入った。まあ、大ぴらには言えないんですがね、ナイショということでしたら、お出しできますよ、バッカス入りを」
建て前と本音があるのだ。
目の前でお金がちらつくと、欲する本心が顔を覗かせる。
大人の世界のセオリーである。
「誰がお酒って言ったのよ。あんなのはアル中の自堕落成人が飲む物よ」
「ですが、理人は、むしろ少量の酒は健康にいいと言ってますよ。若い時分から嗜み馴らしておけば、悪い道にも堕ちないと」
「そんな屁理屈信じるの?」
「はっはっは」
マスターは笑うと顔を近づけてきて囁く。
「お嬢さん、ここは酒場だよ。酒がダメなんて仮に思っていても、言えないだろう」
「必要悪ってこと?」
「理人も言っている。時に真実を隠すことで、救われる人もあるって」
「まあ、そうよね、大人って」
納得した訳ではないが、ユメカは理解している。
世の中すべてダブルスタンダードなのだ。
人間の遺伝子のように、二重螺旋構造で成り立つ倫理と規律は表裏が回って入れ替わりながら、世界は紡がれている。清濁併せ飲む器量が必要だと某政治家は言っていたが、それはつまり悪を認める表明である。そんな腐った大人を見て世界が嫌になった頃を思い出してしまう。
「だからあたしは、絶対正義なのよ」
「それはすごいね、お嬢さん。で、何にするんだい?」
戯言と判断して勝手に納得するマスターには、まだ理解してもらうには時期尚早なのだとユメカは頬笑む。
八周目は始まったばかりなのだ。
ユメカは微笑んで先程知った裏メニューの名を声にする。
「ブラック炭サーン!」
言った瞬間、マスターの表情が青ざめる。
怯えるように視線を泳がせた。