Ch.4.29:隠然の、魔導師
「うじゃうじゃと、邪魔くさいものだ」
ディリアは岩山の上に立っていた。
外輪山で切り取られた丸い星空を背負い、湖上の島の砦を見下ろしている。
約一〇〇人の兵士を島に渡すために、半日を費やしてしまった。
舟が破損して使えず、湖面に浮いていた丸太を集め凍らせて結合し、筏を作って渡したのだ。
多くの者が魔獣の襲撃を恐れて、より安全と思われる島に渡りたいと願ったからである。
加えてディリアは、漂う腐臭を消すため魔獣の死体を焼き尽くした。
想定外に魔力を使う結果になったが、疲れ切ったクリスティーネに無理をさせられず、師匠としての威厳を示せたのは良い結果だった。
とはいえ、島の上と言っても快適ではない。
砦の再建は完璧ではないのだ。
クリスティーネの魔法で岩を崩しアダセンらが魔石の力で強化された肉体を使って石垣を作ってはいたが、砦にある建物は掘っ立て小屋だけだった。
先に渡った五〇人が雨風防ぐ程度の小屋があるだけで、新たに渡った一〇〇人が寝泊まりする場所はない。
兵士たちは土塁に寄り掛かりあるいは地べたに寝転がり、各々の工夫で寝ている。
その様子が、いくつも焚かれた篝火の明かりに照らされている。
ただ、ディリアにとってそんな彼等は、既に邪魔な存在だった。
クリスティーネの足枷の役目は、もう不要になったからである。
戦力として劣る味方を守るために、敵であれば何者であっても躊躇なく魔法を使わざるを得ない状況を作る必要は、もうない。
ならば、足手まといは捨て置くのが最善である。
魔法を使うのに躊躇しないと、クリスティーネが決意を伝えてくれたからである。
本来あるべきクリスティーネに、ようやく戻った証拠だった。
「――が、油断はできぬ。念入りにせねばな」
これまでの計画と結果を振り返れば、ディリアの口からため息が漏れる。
計画の半分は満足し、残りは不満に思うからである。
クリスティーネの誓いには満足したが、魔人を攻撃しなかったのは不満だった。
アダセンら魔術騎士が愛弟子を守った結果には満足したが、何の変調もなく五人が無事でいるのは不満だった。
指示通りにクリスティーネが湖上の砦を守り切ったのは満足だが、一人の死者も出ていない結果は不満足だった。
魔人ユーストーマが愛弟子を窮地に追い込んだのは満足だが、危うく殺しかねない攻撃を加えたことには、不満を通り越して怒りが漲っている。
「やはり人間は愚かだ。魔人にしてやっても変わらぬ」
従順な者だけを選別しなければならないと、ディリアは思った。
自己満足に浸り己の栄誉を望む愚かな者は、処分するしかない。
秩序ある平穏を保つには、不確定要素となる個別の思考は不要なのだ。
それに、これ以上クリスティーネに悪しき思想が及ばないようにするには、直接指導して真っ当な人格を持ち適切な判断を身につけさせなければならない。
ディリアは腕輪の魔石に触れた。
魔石通信のためである。
「忠実なる僕、イコット・タムーヌよ」
「はい。我が主」
「奴の死に様を見て、どう思った」
「ユーストーマは愚かに過ぎました」
「その通りだ。奴は【迫撃の弾丸】を放ったのだ」
「あれは巨大ムカデを倒した者が再び現れた場合への備えとして、我が主が使用許可された武器にございました」
「そうだ。だが奴は、あろうことか我がクリスティーネに向けて放ったのだ。しかも、再び放とうとした。下手をすればクリスティーネは死んでいただろう」
「ですがそれを防ぐのを目の当たりにし、さすがは我が主の弟子であると感服致しました」
「だが、ユーストーマの罪は償えぬ。よって処罰した」
「当然の報いにございます」
「そうだ。そなたはユーストーマの愚行を他の者に告げ、身勝手な行動を慎むように釘を刺せ」
「かしこまりました」
「それと、私がこの地から離れたならば、魔獣部隊を率いて人間どもを殲滅せよ」
「仰せのままに」
「質問はあるか?」
「ございません」
「やはり、そなたは優秀だな。忠実にこなせよ」
「御意」
ディリアは魔石通信を切った。
ユーストーマには、複雑な命令をしたのもまずかったのだ。
愚かな者は、単純な命令でなければ理解できない。
その点イコット・タムーヌに命じたのは、単純明瞭にして、誤解しようのない内容である。
腕輪の魔石が明滅した。
留守を任せた者からだった。
緊急事態以外で連絡するなと命じたはずだった。
どうでもいいような話をしてくるようなら、処分しようとディリアは思った。
「何用か?」
「偉大なる我が主、ダショウ・ティンにございます」
「分かっている」
「失礼致しました」
「それで何用だ?」
愚かな話ならば処分すると、ディリアは声に殺意を込めた。
「愚昧なる僕をお許しください。我が主の指示は承知していますが、お知らせしておくべきと愚考した次第にございます」
「城に問題が起きたか?」
「城に近づく者がいます。赤毛の少女と白髪の老人にございます」
やはり来た、とディリアは思った。
あの城に向かう赤毛の少女など世界に一人しかいない。
高慢な者だからこそ不遜にして横暴なのだろう。
老人を連れていることが引っかかるが、道案内の老人を雇ったと考えれば不思議ではない。
「有能なる僕ダショウ・ティンよ。よくぞ報告した」
「滅相もございません。当然の義務にございます」
「赤毛の少女は、何もせず迎え入れろ。ただし、外には出すな」
「かしこまりました」
魔石通信が切れると、ディリアは笑んだ。
可能性は低いと考えていた事態だが、最も望んだ結末が紡がれようとしている。
明確な証拠を示せば、クリスティーネは確実に導ける。
「ふっふっふ。これで最後の仕上げは完璧なものとなる」
幸先の良い兆しが見えたと満足し、ディリアは本来の目的である瞑想を始める。
魔力を外世界から集め、魔法を使って浪費した魔力を魔石に注ぎ込むためである。
夜も更けた頃になると魔力が魔石に満ち、岩山を降りて砦に戻った。
多くの者は寝入っている。
起きているのは、交代で島内を見回る歩哨と、作業を命じられた工兵くらいである。
貴族たちは、後の方針を伝えるために使った、掘っ立て小屋を寝所として使っている。
島内で唯一屋根と床と壁があって風雨を避けられるのだが、それでも貴族たちは狭いだの同室は嫌だの不満を口にする余裕を持っていたのが厚かましい態度だった。
「不満を言いながら、いびきをかいておるとはな――」
この者達が明日から苦難に直面すると思うと、ディリアは愉快な気分になった。
まず、島にはもうほとんど食料がない。
水も足りない。
それらを確保しなければ、活路はないのだ。
湖の魚は、魔獣の死体を喰ったために、肉が臭くなり食べられるものではない。
木の実を採取するにも、一五〇人の腹を満たすには足りなすぎる。
敵地なので山を降りて食料を調達するには、略奪するしかないだろう。
唯一自給できるのは、水だった。
一日作業となるだろうが、魔獣がいなければ、外輪山の中腹にある湧き水を運べばいいのだ。
便利屋は湖水を浄化する仕掛けを作ったそうだが、クリスティーネの魔法を必要としたのなら、それはもう使えない。
明日、クリスティーネを伴い、魔王討伐に向かうと決めたのだ。
この砦で籠城し続けても、いずれ全滅するというのは、誰もが容易に想定しうる事態だった。
敵地の中で孤立し補給も期待できないからである。
助かるためには、魔王を倒すしかないとディリアの主張に、異論は出なかった。
だがどうやって、という疑問は出た。
魔獣相手に兵士たちはほとんど役に立たないのは明白な事実だからである。
そこでディリアは、クリスティーネと二人だけという完璧な少数精鋭で魔王を討伐すると宣言した。
砦に残る者達を魔術騎士にしたアダセンらに守らせると言えば、貴族たちは納得し賛成したのだ。
貴族たちは最も生き延びられる方法だと思っただろうし、アダセンらは貴族の意向に真っ向から逆らえない立場にある。
それで、方針は決まった。
ディリアは砦の中を歩いて回る途中で、魔法で作った土室の中を覗いた。
疲れて眠るクリスティーネの姿が見える。
かわいらしい寝顔に、思わず微笑む。
「私のクリスティーネ、今宵は存分に休むといい」
最後に、砦の装備を確認するために、立ち去ろうとして人の気配にギョッとした。
暗がりに、便利屋が立っていたのだ。
「そなたはいつから、盗人になったのかね?」
「盗人にはなってねえよ」
「現に盗み見をしておる。それに、私の魔法武具と魔石を勝手に持ち出したではないか」
「オレが受けた依頼は、あんたの荷物を前戦に運べということだった」
「そうだ。だが、半分だけ荷を降ろして勝手に持ち去ったのはそなただ、便利屋よ」
「カシーシ市まで運んだら、別働隊の荷物運びを追加で依頼された。だからここが最前線になった。降ろしちまった荷物の再積み込みは、依頼されてないからな」
屁理屈だとディリアは嗤った。
だが、弁明を聞いたところで運命の結末は変わらない。
「ふ、まあいい」
「なら報酬をくれ」
「勝手に私の荷物を使ったのに厚かましい奴め」
「お陰で助かったぜ」
「厚かましい奴。そもそも、水の浄化装置など誰に教わったのだね?」
「偶然の産物だ」
「アダセンらに与えた魔石もいじったとか?」
「あんたがあれを作ったなら、魔導師として二流だな」
「なに?」
ディリアは睨んだ。
素人に言われたくなかった。
失われた技術を調べ上げ、苦労して蘇らせた技術なのだ。
「リミッターも付けずに生身の人間に魔力を注ぎ込んだら、普通死ぬだろう」
「便利屋風情が、知った風な口を」
「魔導師風情が、偉そうな口を」
「あ?」
生意気で無礼な口をきく。
得体の知れない存在だった。
不確定要素は、これ以上野放しすべきではないと、ディリアは決断した。
「まあいい。それで、何か用か?」
「面白い物を見つけたんだが、あんたに見てもらいたくてね」
「何だね」
「ここの地下だよ」
「地下などあるのかね――」
「へえ。知らなかったんだな。まあ、見てくれよ」
便利屋を先に歩かせ、後を追った。
今は幸運の巡り合わせだと、ディリアは思った。
そこには、地面に板が乗せられている。
板を退かすと、石段があり地下へと続いている。
便利屋の後から降りていく。
真っ暗だったが、すぐに明かりが灯った。
便利屋が持っている魔石の光であるが、これも勝手に持ち去った荷物の一つである。
「なんだと思う?」
「単なる地下倉庫だろう」
「ここだけならそうかもしれないいが、この下がある」
「なに?」
「なんだ、知らないのか」
便利屋が屈むと、床石の隙間に手を入れ引き上げる。
闇に沈む穴が開き、更に地下に降りる梯子を便利屋が降りて行く。
ディリアは一瞬の思案で方針を定めて梯子を下りる。
だだっ広い空間だった。
「どう思う?」
「どうと言われても、分からぬものは分からぬなあ」
「魔王が作った物だと思うんだが、違うか?」
「知らぬな」
「ほら、見てくれよ」
便利屋は光の魔石を床に置く。
その光が床の溝に沿って流れるように広がって行く。
うっすらと魔法陣が浮かび上がる。
「ほう。魔法陣だな」
「やっぱり、魔法陣か」
「クリスティーネはなんと?」
「見せてない。あんたに見せた方がカネになると思ったのさ」
「そうか。賢明だな」
所詮はカネの亡者だった。
買いかぶりだったと、ディリアは笑む。
魔法陣の縁に歩み寄り、魔杖を床に突く。
魔杖に嵌め込まれていた魔石が光を放つ。
瞬時に魔法陣全体が輝き出し、中心の便利屋を囲うように光の壁が現れる。
便利屋は慌てて魔法陣の中心から出ようとするが、半透明の光の壁にぶつかってよろけた。
「なんの遊びだ?」
「投獄ごっこだよ」
「へえ。看守はオレでいいのか?」
「惚けた奴だ。牢獄の中に看守がいるとでも? そなたは囚人だ」
「らしいな」
諦めが早いのか、鈍感なのか、愚鈍なのか。
頭が悪いのだ。
ディリアは伝説として知られる名を持つ、便利屋を見た。
納得したのか諦めたのか、便利屋は魔法陣の中央にあぐらを掻いて座った。
「お前は、なんなのだ?」
「不屈のヒーローになり損ねた、鬱屈のヒーローだ」
バカげた答えに、ディリアは苦笑した。
「妙な言葉を使う。まあいい、お前は終わりだ」
真っ当な会話をする相手ではなかったのだ。
この地下室の存在を嗅ぎつけただけに、駄犬とは言われているが、鼻は利くらしい。
これだけでも、厄介者だと断言できる。
どこまで知ったのか確かめる必要もなく、処分するのが最善だった。
だが、謎が多すぎる。
仮に殺そうとして殺せなかった場合、問題はより悪化する。
死んでも死なない奴だとのクリスティーネの話を、冗談と済ませるのは不用心だった。
「よってここに捕らえ置く」
「殺さないのか?」
「そのためにはこの結界を解かねばならぬ」
「逃げ出せるとでも? 買いかぶりだ」
「脱出を試みないのか?」
「抜け穴があるのか?」
「ない。完璧な封印結界だからな」
「封印だなんて、どこぞの魔王にしてやるみたいな待遇じゃないか」
「光栄だろう?」
「オレは引きこもりじゃないんだぜ」
「相変わらず意味不明のことを言う。だがさらばだ。魔王を退治したら、次はそなたの番だ」
「別にオレは、順番待ちはしてないぜ」
「遠慮はしないで頂こう」
無駄に会話を続けていれば、調子が狂いそうだった。
ディリアは蔑むように鼻で嗤うと、梯子を登って魔法陣の部屋を出た。
地下倉庫に戻ると、入口となる床石を戻して封印して地上に戻る。
これで何もしなくても、便利屋は誰にも発見されず飢え死にするだろう。
翌朝。
水面に霧が立ちこめる中、島から岸に渡った。
島の工兵たちが夜通しの作業で仕上げた筏を使ったのだ。
見送りで筏に同乗したのは、アダセンと漕ぎ手のオーズィキャだった。
島に渡せなかった馬の手入れは、オデュンと何人かの衛兵が行っていた。
ディリアは彼等の働きに満足し、ひらりと馬に跨がる。
振り返って、クリスティーネを見る。
島に視線を向けていた。
「忘れ物かな、クリスティーネ」
「いいえお師匠様。ただ、ジョンの姿が見えないと思いまして」
「島を出る前に探したのですが見当たらず、伝言は残したのですが――」
「そうですか」
島を振り返って発したアダセンの言葉に、クリスティーネは視線を落とした。
少し気落ちした表情となったのを、ディリアは見逃さなかった。
あのような者を不用意に頼りすぎるのは、良くない。
すぐに断ち切るべきだった。
「これが奴の本性なのだよ」
「本性ですか?」
「軽薄で、自分勝手で、嘘つきで。私とクリスティーネが決死の覚悟で魔王討伐に行くことにさえ、微塵も関心がないのだよ」
「お師匠様がそうおっしゃるなら、やはりそうなのですね」
「では参ろう。魔王を討伐し世界に平和を取り戻すために」
「本当にわたくしに、できるのでしょうか?」
「私とクリスティーネが力を合わせれば、必ず成し遂げられる」
「はい」
クリスティーネは意を決したらしく、杖を地面に突いてふわりと馬の背に跳び乗る。
跳躍力があるように見えるが、魔法で起こした風をローブで受けて体を浮かせているのだ。
無意識で何気なくしてしまうだけに、才能の違いが妬ましくさえある。
ただ、その力も自由に操れる手の内にあるならば、自分の物である。
「ディリア殿、ご武運を」
「そなたらも達者でな。私とクリスティーネが魔王を討伐するまでの辛抱だ」
「心得ております」
「では、さらば」
永遠に、と思いながらディリアは馬を走らせる。
クリスティーネは乗馬には不慣れなため、手綱はディリアが握っている。
これで確実に、行くべき先へと導ける。
すべての未来は、手の内にあった。




