Ch.4.25:鬱積の雨
王宮魔導師ディリアはナバイチャ山の山頂にいた。
シャビア・シティーの北十五キロほどにある、低山である。
東はイギャカ山の裾野に繋がる段丘があり、西はすぐにイーノット川となる。
北方の魔王領域を単独で偵察した帰り、再び立ち寄ったのだ。
夕日に照らされる南方平原を、ディリアは見渡している。
「やはり、ここがいいようだな」
「では、いよいよ実行に移しますか、我が主」
木立の影に立っていた異形の者が、姿を現した。
額に一本の角があり、発達した筋肉を隠しきれない鎧を身につけている。
背中には幅広で大きく湾曲した刀を背負っている。
魔人である。
「従順なる僕イコット・タムーヌよ、計画通りだ」
「それは楽しみです」
「力を得れば、使いたくなる。だが、溺れるでない」
「ほどほどにいたぶるつもりにございます」
「そなたはほどほどが好きなようだな」
「過ぎたれば潰え、至らざれば満たされず」
「その通りだ。愚かな人間どもを南方平原に封じる。それが目的だ。過つな」
「御意」
配下が姿を消すとディリアは山頂の平場に戻り、馬に乗って下山する。
イーノット川の流れと土手の具合を確かめながら、南へと向かう。
シャビア・シティーの市壁の外に着いたのは、夜が更けてからだった。
周囲の様子が変だった。
夜だというのに騒々しく、松明の火が慌ただしく動いている。
近づくと、衛兵に見咎められた。
「私は王宮魔導師ディリアだ。通しなさい」
すると陣の奥から白髪の男が近づいてきた。
「これは失礼致しました。王宮魔導師殿。ウビイ・ヒチュコ男爵にございます」
「ほう、ヒチュコ男爵の部隊でしたか。評判は聞いているよ」
「このような田舎貴族をご存じとは、博識に恐れ入ります」
「世辞はいい。それより、何があった?」
「よく分からないのですが、オットー・オイガ伯爵閣下が兵を引き上げたようなのです」
「解放軍の指揮官だぞ、なぜだ? 殿下は?」
「殿下は市内にいるご様子。どうも状況が掴めません」
嫌な予感にディリアが警戒心を高める。
唐突に鬨の声が沸き起こった。
市壁の外側に布陣するこの部隊の、さらに外側からだった。
「何事だ。【闇夜の照明】」
ディリアが魔杖を鞍上から高く突き上げる。
魔石がまばゆい光を放ち、周囲を照らし出す。
襲い来る者達の姿が見えた。
魔王軍の旗を掲げている。
兵士が身につける鎧は、元アミュング国軍の物である。
降伏したのになぜとの疑問は同時に、市外に出ていた残兵ならありえる結論を出す。
「ええい、愚かな!」
ディリアは魔杖を構えて意識を集中する。
「世界を包みし大いなる根源たる力、我は今それを欲する。
無辺の彼方より我が元に集りて我が力となれ。
我は命じる。
大気に満ちし怒りの炎よ、無数の矢となり放たれよ。
【煌めく火箭】」
魔法陣が輝く中、空に向けて魔杖を振ると、虚空から魔法火箭が現れ、闇夜に襲い来る敵へと降り注ぐ。
驚き慌てた敵兵が逃げ出していく。
「ディリア殿、庁舎の塔に光が見えます」
男爵の声に振り向けば、黄色い光が見えた。
聳える市壁の上に突き出た、行政庁舎にある尖塔の上からである。
明らかに魔石の輝きであり、救援を求める色だった。
「何かが起きた。付いて参れ」
ディリアは馬を走らせた。
魔杖の光で道を照らし、市壁の北門へ向かう。
門は閉ざされている。
開門を叫ぶ前に、市壁の上から矢が降り注いでくる。
魔杖の光を見て攻撃してくるなら、明らかに敵である。
ディリアは魔杖を振って魔力の流れを導く。
「世界を包みし大いなる根源たる力、我は今それを欲する。
無辺の彼方より我が元に集りて我が力となれ。
我は命じる。
まばゆき閃光を放ち、悪しき魂を浄化せよ。
【輝く光弾】」
光り輝く魔法陣が描き出される中魔杖を振り下ろす。
まばゆく光る球が城門へと放たれる。
きらめく光が夜闇を昼間のように照らし、轟音と共に門は市壁と共に飛び散った。
市壁の向こうに布陣していた敵兵がわらわらと逃げ散る。
彼等が向いていたのは、内側だった。
中の者の逃亡を防ぐための構えだった。
それが背後の門が魔法で爆破され、総崩れとなったのだ。
「殿下は?」
無事なのか。
どこにいるのか。
疑問を抱きながらも馬を進めると、向こう側から向かってくる集団があった。
先頭の一騎が抜け出して来る。
王子の身辺を守る近衛騎士の隊長だった。
ディリアは男爵に停止するよう告げる。
馬を寄せてきた近衛騎士隊長の表情は、険しかった。
「やはりディリア殿でしたか」
「一体何が起きたのだ」
「殿下が斬られ、暴動が起き、アミュング国軍が攻め入ってきました」
「どういうことか」
「詳細は後ほど。まずは殿下を安全な場所へ」
遅れて馬車が近づいてくる。
そのさらに奥から、アミュング国軍の兵士が追ってくる。
議論している暇はないと、ディリアは馬首を返した。
「北のナバイチャ山へ向かう」
すぐに男爵が配下に道を開けるように指示をする。
ディリアが外に向かって馬を走らせる。
遅れずに近衛騎士隊長が並ぶ。
直後に王子を乗せた荷馬車が追いついて来る。
馬を並べて荷台を魔杖の明かりで照らす。
俯せに寝かされた王子が横たわっている。
王子の体が振り落とされないように支える近習の少年と目が合った。
不安と期待の眼差しを向けられたが、この場で治癒魔法をかけている余裕はない。
「私に続け!」
ディリアは魔杖の光を掲げ、目印となって北へと馬を駆る。
敵も導いてしまうが、味方を迷わせる訳には行かなかった。
「近衛は追撃を食い止めます」
並走していた近衛騎士隊長が道を逸れて反転していく。
ディリアは後方を振り返る。
何騎かが追撃してくる敵に向かっていく後ろ姿が見えた。
ただ、いつまでも後続の状況を気にしている余裕は無かった。
下手に止まれば、後続に押しつぶされてしまうだろう。
とにかく早く山に登れば体勢を立て直せると、夜道を急ぐ。
暗闇だが、数日掛けての調査が役に立つ。
記憶の地図を頼りに、北の低山を目指す。
途中小川などで道を曲がる場所は、光を放つ魔石の欠片を投げ置いて後続の目印にする。
駆けに駆け、ようやく山に辿り着いた。
登山道の手前で脇に退き、魔杖を振って行く先を示す。
男爵率いる部隊も遅れるほど隊列は乱れていた。
全員が騎馬でないからである。
「急いで山に入れ」
ディリアは魔杖の光を振って後続を招く。
山道に馬車が入らないため、馬車を護衛して駆けてきた騎馬兵が馬を降り、王子を乗せた板を担架として担いで、登っていく。
先頭集団が山に入ると、ディリアはその後ろから馬を乗り入れる。
一旦山頂に至ると馬を降り、男爵に立て直しを指示し、南方を見晴らせる縁へと向かう。
だが、闇夜のため蠢く影はなんとなく分かるだけで、敵味方の区別はできない。
「世界を包みし大いなる根源たる力、我は今それを欲する。
無辺の彼方より我が元に集りて我が力となれ。
我は命じる。
大気に満ちし怒りの炎よ、無数の矢となり放たれよ。
【煌めく火箭】」
なるべく遠くへ、散発的に魔法火箭を放つ。
火箭の炎が闇夜に弧を描いて降り注ぎ、地平を照らす。
浮き足立つ敵兵と、間隙に体勢を立て直して撤退する味方の動きが見える。
ディリアは狙いを定め、もう一度魔法火箭を放つ。
虚空に帯状に魔法火箭が現れ、裾野に迫ったアマタイカ王国軍の兵の後方へと降り注ぐ。
続けてディリアは、再度魔杖を天へと突き上げる。
「【自動化連射】」
新たな魔法陣が展開し、【煌めく火箭】が繰り返し放たれる。
次々と降り注ぐ火箭を前に、追っ手も追撃を諦め後退していく。
ディリアは嗤った。
「愚かな人間どもめ!」
何もせずに火箭を生み出し続ける魔法陣の輝きを見上げる。
ほろ苦い記憶が蘇る。
この自動化魔法をクリスティーネに教えようとしたが、驚いたことに彼女は無尽蔵に外世界から魔力を引き込みつづけ、同じ効果を実現してしまったのだ。
だから、教えなかったし、教える必要を感じなかった。
合理化と効率化を目指して編み出した自動化魔法が、陳腐に思えたからである。
「だがクリスティーネのやり方では、魔力を操り続けねばならぬ」
結局は自分が発明した自動化魔法の方が優れていると、ディリアは確信した。
その成果は明らかである。
放置し続けてもしばらく魔法は継続される。
山に逃げ込んで来る味方の集団が途切れた。
敵は魔法火箭が届かない距離までさがり、態勢を立て直している。
魔法は届かぬと高を括っているのだ。
「愚かな人間どもよ。魔法の真髄を見せてやろう」
直接攻撃だけが魔法攻撃ではない。
ディリアは再び魔杖を手に意識を集中する。
詠唱を始めた。
魔法陣が光輝いて展開する。
描かれた文字と模様によって魔力が増幅される。
「世界を包みし大いなる根源たる力、我は今それを欲する。
無辺の彼方より我が元に集りて我が力となれ。
我は命じる。
天に昇りし悲哀よ、雨滴となりて降り注げ。
【追憶の憂鬱】」
魔杖に集めた魔力を天に向けて放つ。
にわかに黒雲が集まり、雨が降り始める。
山裾から南側が、たちまち豪雨となる。
追っ手の視界を遮り、低地を泥沼に変えてゆく。
「クリスティーネはこれも知らぬ」
詠唱を終え、魔力の供給をやめても、雨は降り続けている。
しかも刻々と雨脚は強まり、降雨範囲が広がり続ける。
ディリアが発見した、【自動化連射】とは別の法則である。
「条件を整えれば、最小の魔力でこれができる。満たされる者は工夫をしないのだ」
だから師匠の立場でいられる。
弟子よりも優れていれば当然である。
南側の天を見上げ、黒雲が集まり続ける空の流れに納得の笑みを向ける。
道は川となり草原は泥沼と化し小川は濁流に変じ敵を阻む。
降り注ぐ豪雨に周囲の音も掻き消される。
ディリアは腕輪の魔石に触れる。
「シュッボ卿、応えよ」
「これは我が君、いよいよですかな」
「そうだ。すぐにダムを破壊せよ」
「かしこまりました」
魔石通信を切ると、ディリア再び魔杖を構えた。
歌うように朗々と世界を賛美する詠唱を続ける。
誰も意味を知らない古語である。
雨音に混じって響き渡る声によって、厳粛な雰囲気に包まれる。
しばらくして、低音の声に混じって、ゴゴゴゴゴ、という空気の振動が伝わってくる。
「森羅万象たる世界の根源エーテルより生まれし四大精霊にして、水を司りし精霊ウンディーネよ。裁きとなって押し寄せよ」
地面を揺るがす振動がはっきりと伝わってくる。
夜闇に大地を揺るがす轟音だけが響き渡る。
不気味な魔獣の咆哮となって、濁流が迫り来るのをディリアは感じていた。
「森羅万象たる世界の根源エーテルより生まれし四大精霊にして、大地を司りし精霊ノームよ。裁きの怒りを持って大地を崩せ」
ディリアが右手に見えるイーノット川に向けて魔杖を突き出す。
ドドドドド、という轟音と共に堤防が崩れる。
そこへ、上流から押し寄せた濁流が迫る。
壊れた堤防をさらに破壊し、土砂と岩が入り混じり、真っ黒い竜のようである。
南方平原一帯へと溢れた水が流れ込み、闇と雨に視界を奪われ、泥に足を取られていた敵兵たちは、為す術なく押し流されていった。
怒濤のごとき泥流は尚も勢いを緩めず、遠くシャビア・シティーをも飲み込んで行く。
大洪水が大地を覆う。
轟々という不気味な音が、敵の絶叫を飲み込んで行く。
未明を過ぎ、静かになった。
夜明けを迎える。
魔法で生み出した雨雲の向こう。
朝陽が山裾から昇り、大地に反射して二つの太陽となって輝く。
小雨となって降り続ける雨滴が、宝石のように輝いている。
南方平原は、水に沈んでいた。




