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  Ch.4.16:残月の夢

「さすがは私の殿下」


 カシーシ市の塔から望遠鏡を覗いていたアカッシャは微笑むと、急いで階段を降りる。

 旗下三千の兵を率いて市に入ろうとしている本体から、大公がわずか三〇騎の騎士だけを連れて離れたのだ。

 王宮魔導師ディリアが破壊した南門の代わりとなる防御として、空堀と土塁を築いた結果、出入りの道が狭く曲がりくねっており、動きが滞っているからである。


「――予想通り動きました」


 南門へと続く道に向かう細長く伸びた隊列から離れた三〇騎は、東側に回り込んでくる。

 大公家の騎士である。

 彼等が囲む中央に、遠目にも存在感を放つ姿が見える。


 大公ガルカ・イ・ユイモだった。


 大公は五〇を過ぎた年齢ながら引き締まった体躯をしている。

 鞍上に座る姿は安定しており、馬の歩みにふらつく様子はない。

 遅疑にして鈍重と評されているが、意外にもせっかちだというのがイムスタの見立てだった。


――これが唯一の機会、逃しません。


 アカッシャは路地裏を走りながら、無意識に胸元を押さえる。

 イムスタから受けとった首飾りの感触を確かめた。

 それが愛の証だった。


――でも大公は用心深い。気を付けなければ。


 大公は娘の仇討ちを宣言しながらも、戦力では王宮魔導師ディリアの魔法には及ばないと言いだし、前線ではなく後方支援に徹すると宣言したのだ。

 表向き大公が王子を立て、先陣の栄誉を譲ったように見えるが違うのだ。

 戦場の混乱に身を置かないようにする用心深さだった。

 臆病とも言えるが、最悪の事態を想定しての振る舞いである。

 頑なに大公は、交流の薄い貴族が率いる部隊との連携を拒んでもいる。

 そうした状況を見て王子は、ニンナの死の真相が大公に知られた可能性を見ていた。

 王子が本隊を率いてシャビア・シティーへと進軍を開始したことで、よやく大公は重い腰を上げ、手薄となるカシーシ市に入るための行軍をしてきたことからも裏付けられる。

 大公は王子と同じ戦場を避けているのだ。


 だが、問題がある。


 ディリアの魔法によって、すでにシャビア・シティーは陥落したと聞いた。

 この先、大公が戦場に身を置く機会は見込めない。

 不測の事態は、南方平原全体を制圧し切れていない今の段階を逃せば起きそうになかった。


――こんな所にも衛兵か。


 路地裏の角から通りを渡ろうとしたアカッシャは引き返した。

 二日前に先遣隊が来て、カシーシ市における警備体制の引き継ぎは終えている。

 それから先遣隊が大公を迎える準備をしているのだが、その警備体制についてアカッシャは知る立場にはなかった。

 司政官公邸で働く女中の身分で潜んでいたからである。


――兵士の質も違うようですね。


 アカッシャは目立たぬよう一般女性の服を着ているが、人通りがないため、目立ってしまう。

 しかも数日前には路肩に雑然と置かれていた様々な物も撤去され、身を隠す場所さえなくなっていた。


――仕方ありません。


 魔術で風を起こして通りの店先に吊された看板を揺らし、その音に衛兵の意識が向けられた隙に走り抜ける。

 できるだけ急ぎ、東門へと向かった。

 あらかじめ見立てておいた、東門近くの空き家の裏手に回る。

 裏口からそっと中に入ったが、ドアがギイッと音を立てた。


「誰だ?」


 中に人がいた。

 背筋が凍るほどに焦ったが、体は動いていた。

 身を低くして声がした方に走る。

 人影がふたつ。

 衛兵だった。

 右手に持つナイフで下から突き上げ、喉元を貫く。

 そのまま引き倒し、もう一人には左手を突き出す。

 腕には筒が巻き付けてある。

 風の魔術を利用した吹き矢を放った。

 顔を狙ったが腕で防がれたので、すぐさま詰め寄ってナイフで首を斬り裂く。

 アカッシャは息絶えた衛兵の体を支え、音を立てないように床に寝かせた。


「何者だ?」


 顔を確かめるが見覚えはない。

 身につけている衛兵の軽鎧は、大公家の系譜の紋章があった。

 大公が通りそうな道沿いの家は、警備対象となっていたのだ。

 元の市民が暮らしていれば窓を閉めさせ、空き家であれば室内を確かめさせているのだろう。


――やはり用心深い。


 二階に上がり窓から外を見ようとしたが、木戸が閉ざされていた。

 アカッシャは更に焦った。

 外の状況が確認できないのだ。

 木戸を開ければ通りに立つ兵士に見咎められるだろう。

 微かに、東門が開く音が聞こえた。


「やるしかない」


 アカッシャは胸元を開けて首飾りを外に出す。

 最後のひとつとなった魔石の片方に触れ、回す。

 魔獣を呼び寄せる特殊な波動の魔力が放たれるのだ。


 要するに匂い玉のような物である。

 魔石に溜め込まれた魔力を放つと、魔獣は魔力を求めて集まってくるのだ。

 そのためには事前準備も必要で、魔力の波動が届く近くまで、魔獣を引き寄せておかなければならない。アカッシャはイギャカ山から流れる川を下って人里に降りてくる魔獣を誘導し、カシーシ市東にある川沿いの森に集めておいたのだ。

 ここから約三キロ離れている。

 魔力の波動が伝わり魔力に飢えた魔獣が狂ったように駆けてくるまで、時間差がある。


「間に合えばいいが」


 二階の天井裏に隠して置いた衛兵の服に着替えると、屋根にあるドーマー窓をそっと開け、天井に出る。

 傾いた西日に照らされ影が長く伸びるのに気づいて、アカッシャは慌てて身をかがめた。


「魔獣だ!」


 門の方から声がすると、衛兵達の動きが慌ただしくなる。

 予想通りだとアカッシャは微笑む。


「さあ来い、魔獣よ。東門を突破し、町を荒らせ」


 東門から五人の騎士に守られた大公が入ってくるのが見えた。

 だが魔獣の侵入は遅い。

 魔獣の侵入がないまま、東門が閉じられようとしている。


――どうした?


 アカッシャが屋根に登る空き家の前を大公が馬に乗って通り過ぎようとしている。


「やむを得ん」


 アカッシャは【輝く光弾(クレイジーボム)】を東門へ向けて放った。

 大きな爆発とともに、門が砕ける。

 その騒動に衛兵達の注意が向いた瞬間、【氷塊の飛礫(アイスアロー)】を大公の背に向けて放った。

 魔力によって生み出された鋭い氷の鏃が圧縮された風によって弾かれ、鎧を着た大公の背から胸へと貫いた。

 命中を確認してすぐに、アカッシャは室内に隠れた。

 一階に降りて裏口から外に出て、現場を離れた。


「やった、やってしまいましたよ。殿下――」


 アカッシャは倉庫街に身を潜める。

 だが、騒動は大きくならない。


「魔獣はどうした?」


 支援者のないたった一人の孤独な暗殺。

 外の状況を教えてくれる仲間はいない。

 衛兵が驚く声を発したので魔獣が出現したのは間違いないが、市内に侵入できなかったのだ。

 門の破壊が不十分だったのかとアカッシャは思った。


――早まったか?


 鼓動が高鳴る。

 だが、今日ほどの絶好の機会は、この先訪れなかっただろう。

 問題は、魔獣の侵入によって混乱しなかったことである。

 大公の死が魔術によるものと断定されてしまうだろう。

 理想は、暗殺の事実を知られないようにすることだった。

 だが暗殺したとバレたなら、首謀者の正体を知られてはならなかった。


「夜を待って、逃げよう」


 深呼吸して心を落ち着ける。

 あらかじめ準備していた倉庫の換気窓から中に入り身を隠した。

 アカッシャは息を潜める。

 夜になった。

 外は寝静まる様子はない。

 衛兵が巡回する足音が頻繁に聞こえる。


「殿下――」


 首飾りに触れる。

 そこに嵌め込まれた三つの魔石は、すでに力を失っている。

 大公家別邸で王子が使い、近くの森まで魔獣を導くために使い、先程最後の魔石を使った。

 腕輪とベルトを確かめる。

 魔石に集めていた魔力も、残りは少ない。

 門を破壊するために魔術を使ったのが想定外だった。

 再び魔石に魔力を込めるためには、そのための場所に行かなければならない。

 警戒が厳しくなった今からでは、無理だった。


「このまま何日も隠れてもいられないし――」


 魔獣が町中に突入できなかった事実は、外で全滅させられたことになる。

 ほむら騎士とはいえ、数十匹の魔獣を倒せるとは思えなかった。

 魔術師がいた可能性が高まる。


「誤算だった。でも――」


 大公は討った。

 これで王子の立場は安泰になる。

 アカッシャは、夜更けを待った。

 最も警戒心が薄れるだろう真夜中、行動を開始した。

 市の制圧戦で失った南と西の門と、破損した東門は警備が厳重なはずだった。

 北門を目指す。

 予想通り無傷の北門は、衛兵の数が少ない。


 アカッシャは見上げた。


 市壁の上の通路に置かれた篝火に照らされ、歩哨が動いているのが見える。

 用意していた黒い布を広げる。

 小さな凧である。

 四隅に付けた紐を体に結ぶ。

 タイミングを見計らい、魔術で風を吹き込み凧を飛ばし、その力を利用してアカッシャは壁を駆け登る。

 そのまま歩哨のいない篝火の合間の暗闇を抜けて、外へと飛び降りる。

 凧に風を送り、その力を利用してアカッシャは走った。

 カシーシ市から一キロは離れただろうか。

 唐突だった。

 上空に紅炎が走った。


 何?


 凧に当たりたちまち燃え上がる。

 アカッシャは瞬時にナイフで凧の紐を切り離して身を伏せる。

 地面に耳を当てると、騎馬の音が聞こえる。

 空の星明かりに透かして見れば、カシーシ市の方から黒い影が近付いてくる。


「罠か!」


 アカッシャは身を低くして走った。

 もう少し行けば、沼地があるはずだった。

 だが、前方に火炎が走り、行く手を塞がれた。


ほむら騎士――」


 包囲される前に逃げようと、逆に一騎の騎影に向かって走る。


「【煌めく火箭(ファイヤアロー)】!」


 アカッシャが突き出した腕の周囲から無数の火箭が放たれる。

 だが、騎士は難なく剣で斬り払ってしまう。

 火炎剣と呼ばれる、魔力を秘めた剣である。

 間合いが詰まる。

 駆け抜けざま斬られるだろう。


「だが、まだ! 【真紅の線状帯(フレイムスロワー)】」


 火炎が帯のように放射される。

 流石のほむら騎士も馬首を転じて避けた。

 そこで魔力が切れた。

 放った炎の明かりで見えた、茂みを目指す。

 周囲が葦で覆われた沼だった。

 アカッシャは走った。

 と、不意に足が縺れ、顔から地面に倒れる。

 受け身を取ったが、足が思うように動かせず、立ち上がれなかった。

 足に縄が絡まっていた。


「まだ死ねない」


 アカッシャはナイフで足に絡まった縄を斬ろうとする。

 そこに馬蹄の音が迫る。

 縄はすぐには切れない。


「大人しくせよ」


 馬を下りて騎士が近付いてくる。

 アカッシャは両足で地面を蹴り、その反動で騎士にナイフを突き出した。

 難なく躱され、ナイフは手刀でたたき落とされ、腕を取られて背中に捻り上げられてしまう。

 すぐに別の騎士が現れ、縄で体と手足を縛られた。

 腕輪とベルトと首飾りが奪われた。

 猿轡も噛まされ、舌を噛み切ることもできなくなった。

 アカッシャは荷袋のように馬に乗せられ、運ばれた。

 粗っぽく馬から投げ落とされたのは、庁舎の庭先だった。

 篝火に囲まれて明るい。

 その周囲には槍を持つ兵士と、ほむら騎士がいた。


「轡を取ってやれ」


 若い男の声が聞こえた。

 輪の外側から近付いてくる。

 一人の兵士が近づいてきて、猿轡が外された。


「舌を噛み切って死にたくば、構わぬぞ」


 それは最後の手段だと、アカッシャは男を睨む。

 揺れる炎に照らし出された男の顔は、冷酷に見えた。


「あなたは?」

「そなたが名乗れば、教えよう」

 アカッシャは顔を背けた。

「――名乗る気はないか。だが知っているぞ、黄の魔術師アカッシャ・アムノだな」

「……違います」


 正体を知られているなら、もう逃げ道はないとアカッシャは死を覚悟した。だがせめて、暗殺の成否は確かめたかった。


「どこへ行くつもりであった?」

「遠くへ」


 視線を動かした先、篝火の明かりがほとんど届かない奥、そこに立つ人影にアカッシャは気づいた。真っ直ぐに見つめられている。

 ローブを着ているようだった。

 顔立ちに見覚えがある。


――ああ、師匠か。


 ならば納得できるとアカッシャは一人うなずく。

 魔術を使ったから気づかれたのだ。

 凧を焼いたのも師匠の魔術だろう。


「そなたは大公暗殺の嫌疑がある」

「――」

「否定もせぬか。ならば冤罪の恐れはないとなるな」

「大公に天誅がくだされたのだ」

「ほう。大公の罪は何か?」


 その男は抜いた剣の腹を顎に当ててくる。

 睨み付けるが、男は動じない。

 意図せず見上げた空は、白んでいた。

 もうじき夜が明けようというのに、消え残りの細い月が見える。


「美人だな、アカッシャ・アムノ」

「人違いだ」

「命じたのはイムスタ王子か?」

「違う。天の神だ」

「まあいい。黄の魔術師アカッシャ・アムノが閣下を殺した、という事実が重要なのだ」

「な!」


 アカッシャは男の首筋を噛み切ってやろうと力を込めたが、易々と躱され、蹴り飛ばされた。

 受け身も取れず、地面に頭を打ちつけた。


「斬れ!」


 絶望がアカッシャを包んだ。

 死の恐怖に目の前が暗くなる。


「奇しくも貴様のお陰で、こうも早く大公の地位を継承することになった。礼代わりに名乗っておこう。俺、いや、我が名はオノイ・ユイモ。冥土の土産に持っていくがよい」


――この男が。


 大公の養嗣子となった男で、勇猛果敢だと聞いていた。

 ヒュッ。

 剣先が空を斬り裂く音が鳴る。


 殿下のお子を生みたかった――。


 夢は虚しく、アカッシャの魂魄とともに散った。

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