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  Ch.4.11:悪魔への裁きと、美少女

 ユメカは手を止めて下を見る。

 聖騎士シーラ・デ・エナは随分と遅れている。

 重い剣を背負い両手両足を使ってよじ登るような崖もあるため、体力的に苦しそうだった。

 年の割に身軽に登って行く老人をユメカは見上げる。


「マーリャ、少し休憩しましょう!」

「ここを登れば、開けた場所に出るぞい」

「分かったわ」


 ユメカは必死に斜面にしがみついているシーラを見おろす。


「手を貸そうか?」

「あ、悪魔の手助けなど不要です」

「そう。なら、先に登ってるわよ」


 言い置くとユメカは軽々と崖のような急坂を登り切って振り返る。

 連なる山々の向こうに、平野部が見える。

 イグイチョ王国である。

 その先に見える小高い丘のような山は、イカルア王国になるという。

 ユメカは、道を知っているというマーリャの案内でアミュング国を目指している。

 魔王城があるアミュング国北方の山岳地帯は、イグイチョ王国の西方に広がる山脈地帯を越えた先にあるというのだ。

 そこで、ユオキン街道から更に西方へと進み、修行者の聖域と言われる領域に入っている。

 マーリャいわく、ここは初歩の坂道と呼ばれている登山道だそうである。

 だが、獣でも避けるような断崖のような道だった。

 ユメカは視線を進むべき先へと向ける。

 前方左側に湖が見えた。


「こんな山の上に、あんな大きな湖があるんだね」

「イジュネッツェ湖じゃ」

「名前があるのか。なかなか人類未到の地なんて、なさそうね」

「大方そうじゃろう。記録が残っていないから未踏に分類されるだけじゃよ」


 一時間近く待っていると、ようやくシーラが追いついてきた。

 息も上がっていて、かなり疲れ切っているようである。

 登山あるあるで、最後尾が追いついたらすぐに出発する、というちょっとしたからかいネタをやりたかったが、止めておくことにした。シーラには冗談が通じないからである。


「あなたはどうしてそんなに早く登れるのです?」

「鍛えているからよ」

「さすがは悪魔の力」

「なんでも悪魔のせいにして、思考放棄するのは止めなさいよ」

「事実ですから」

「でもイーブに助けられたのは、悪魔のせいじゃないよね」


 詳しくはまだ聞いていないが、アデュオイ・シティ南東の森で襲ってきた聖騎士の中に、シーラもいたという。不意を突かれて気絶しどこかの穴に落ちていたそうである。意識を取り戻して外に出ると森は焼失しており、途方に暮れていたところを、イーブに助けてもらったそうである。


「さすがは白の騎士の称号を与えられただけのことはあり、すばらしき人物でした。ですが、改宗をお勧めしたのですが、断られました」

「イーブはあたしを探しに来たんだと思うけどね」

「いいえ。神様が救い手を導いてくださったのです」

「一応イーブとは友達なんだけど――」

「一方的な思い込みです。そんな悪魔のあなたに惑わされて、神様の導きから遠ざけられてしまったのです。あなたに神様の裁きが下れば、目が覚めて改宗してくれます」

「勧誘に熱心ね」

「神様の教えを広めるのが、わたしどもの使命ですから」

「世の中には信教の自由というのがあるのよ」

「悪魔の教えに従う人々に、神様が差し出す救いの手に気づかせるように働きかけることこそ、正義なのです。見捨てられません」


「地獄に行きたければ、行かせてあげればいいのよ」


「そのような考え、まさに悪魔の教義」

「詳しいわね。悪魔の教義を知っているの?」

「いいえ。わたしのゴッドが頭の中で囁くのです」

「あ、そうなんだ」

「疑わないのですか?」

「ウソなの?」

「真実です」

「なら、いいじゃない」

「まあそうですが――。でしたら、あなたがわたしの同志を虐殺したのだと、わたしの頭の中でゴッドが囁く真実を認めなさい」


 シーラに囁くゴッドが脳内妄想か幻聴かあるいは真実かは、客観的には誰にも裁定できないのだ。

 ユメカはそこに関わるつもりはなかった。


「あなたのゴッドは、たまに間違えるんだよ」

「全知全能の真実の神様に過ちはありません」

「ならウソつきってことだ」

「違います」

「でもあたしは聖騎士を殺してないから」

「ウソです!」

「事実よ」

「自分から逃げないで、真実を見つめなさい。ヤスラギ・ユメカ!」

「あたしは真実を見つめ、事実を語っているんだけどね。それより、シーラはどうなの? ゴッドやらの囁きとは切り離して、一部始終を話しなさい」


 シーラは居住まいを正し、咳払いをした。


「魔王を討つためにわたしたち聖騎士は、アマタイカ王国に赴きました。ですが、欲望の街アデュオイ・シティでは神様の声は妨げられるので、近くの森に留まっていました。そこに聖導師様が参られ、神様の預言を告げてくださったのです。悪魔の化身ヤスラギ・ユメカを討てと」

「その聖導師って、何者よ?」

「聖導師様は司教様が神様から授かった御言葉を実践するため、神様の御技の奇跡を起こし、神様の教えを広める崇高なる御方です」

「ふうん。怪しいなあ。名前は?」

「悪魔には教えません」

「そう。ならその時、シーラの脳内ゴッドはどう囁いたのよ」

「何もおっしゃいませんでした。それは無言の肯定です。聖導師様に託された神様の御言葉なのですから、当然です」


――ますます怪しい。


 聖導師が神の言葉を伝えているという証明はできないのだ。

 仮に司教が何者かの言葉を受け取っていたとしても、それが神だと証明する方法もない。

 同様に、ユメカが感じた疑惑の正しさを証明することもできないのだ。


「それであたしを待ち伏せしてたんだ」

「そうです。聖導師様の預言の通り、あなたが現れたのです」


 誰かの陰謀だとユメカは確信した。

 ユメカが南東の森に行ったのは、王宮魔導師ディリアに仕える侍女の伝言を受け取ったからである。

 ディリアか、侍女か、あるいはそれを知った何者かが、首謀者となる。


「ですが、聖騎士を見たあなたはすぐに逃亡した。それはあなたが悪魔だという証明です」

「普通、得体の知れない連中に取り囲まれたら、恐くなって逃げるよね」

「ですが、あなたはわたしたちを聖騎士だと見抜いていました。心正しき者ならば、どうして聖騎士を前にして逃げる必要があるでしょう。いいえ、ないのです」

「聖騎士ってさあ、人の話を聞かずにすぐに断定しちゃうでしょう。だから、話にならないから、戦うか逃げるかしか、選択肢はないのよ」

「神様の判断は絶対ですから」


「――まあ、いいわ。続きを話して」


「わたしは、森の中で逃げ去ったあなたを追っていました。そんなとき、何かが降ってきました。ですが、正体を確かめる前に槍と盾が砕かれ、腹部に痛みを感じて目の前が暗くなりました。気がついたとき、木の幹にできた虚から地中の穴の底にいました。気を失って倒れた時に、落ちたのでしょう。何が起きたのか確かめるため外に出ると、一面焼け野原で、嫌な臭いがして、いくつもの焼け焦げた死体がありました。それが同志でした」

「その焼死体が同志だと判断した、理由は?」

「信仰の証の聖宝珠を身につけていたからです」

「聖宝珠?」

「これです」


 シーラが両腕を捲ると、手首に数珠のように、沢山の白い小さな玉に糸を通して輪にした飾りを身につけている。襟元も広げ、そこにも同様の数珠のような首飾りをしている。


「魔石じゃない」

 魔力を用いて身体強化する方法を、ユメカは知っている。

 聖騎士の強さの秘密は、魔石の魔力を用いて身体強化するドーピングと、魔石の魔力を用いて超常の力を発揮する魔剣にあるのだろう。

 善悪は使い方で決まるだけで、本質は同じ力のはずだった。


「いいえ。聖宝珠です。あのような禍々しい物と一緒にしないでください」

「でも、同じだよね」

「いいえ。天と地ほど違います。聖宝珠は澄んだ純白の輝きをしているのです」

「真珠かなあ?」

「ち・が・い・ま・す!」

「まあ、呼び名なんてどうでもいいわ。それでどうしたの?」

「分かって頂ければいいのです。そこに現れましたのが、あの逞しく神々しい白いお姿の騎士、イーブ・ウィギャ様だったのです」

「さ、様?」


 乙女の突発的感情の妄想ではないかとユメカには思えた。

 イーブは悪い人ではないが、様を付けて呼ぶほど高尚な人間性は持ち合わせていないのだ。

 しかも、シーラが信仰する聖言教の信者でもないので、異教徒である。

 盲信するのも誇大妄想を抱くのも自由だが、その被害を受ける側としてはたまらない。

 とはいえ、言葉の上で何を言っても無駄だろう。

 ユメカは半ば諦めの境地に至ることにした。


「はい。イーブ様は途方に暮れていたわたしを、助けてくださいました。これこそ神様のお導きなのです」

「そうなんだ」

「ですが、あなたの悪辣な悪魔の仕業によって、わたしの同志は打ち倒され殺され、焼かれてしまったのです。けれどもこれは、わたしへの試練。わたしをより正しき力に導いてくださる、神様がお与えくださった、試練なのです」

「かわいそうに」

「いいえ。神様は、どんなに苦しく困難でも、努力すれば必ず乗り越えられる試練しかお与えくださらないのです」

「でも、仲間は助けてくれなかったんだよね」

「同志たちは、神様の御許に招かれ、天界で悪魔との戦いに備える役目についただけです」

「困ったなあ」


 言葉のやりとりだけでは、らちが明かないとユメカは覚悟した。

 シーラの考え方や視点を、別の方向に導くためには、別の方法が必要なのだろう。


「ならば懺悔なさい。わたしがあなたを神様の御許に送り、直接懺悔する機会を与えましょう」

「イーブもあなたを助けて困っていたでしょうね」

「困惑こそ悔い改めの始まりなのです。隠された真実を告げられると、まず人は困惑します。あるいは、怒りによって否定します」

「そういうことじゃないんだけど――」

「イーブ様は、あなたという悪魔に毒されていました」

「そうなの?」

「イーブ様は、美少女剣士などとあなたを呼ぶのです。これは、精神汚染が深刻な証拠でした。なぜなら、控えめに言っても美少女と呼ばれるべきは、わたしですから」

「そうなんだ、ふうん」

「なんですかその他人事のような反応は!」

「シーラが自分を美少女だと思うのは、自由だから。ただ、絶対美少女はあたしだけっていう事実があるだけで」

「な、なんという傲慢な。それこそあなたが悪魔だという証拠です!」


「違うわよ」


「いいえ。ヤスラギ・ユメカというブ少女は人を殺さないなどと、イーブ様の心を操って信じ込ませた行為もそうです。あなたが悪魔だと、わたしの頭の中でゴッドが囁くのです」

「ブ少女って言ったかしら? それに、あたしは悪魔じゃないし美少女よ。どうして分かってくれないのかな」

「言葉でなら、誰でも否定します」

「人の言うことは、信じるところから始めようよ」

「そうすれば、詐欺師に騙されます。それが真理です!」


 シーラが剣を抜いた。

 アミュング国に向かう道中、毎日シーラは挑んでくるのだ。

 都度シーラが精根尽きるまで相手をさせられる。

 まるで修行に付き合わされているようだとユメカは思っていた。


「さあ、今日の裁きをしましょう」

「マーリャ、なにか言ってよ」

「シーラの日課なんだから、付き合ってやればいいじゃろう」

「他人事だと思って――」

「そりゃあ、他人事じゃからな。だが、ピンチになったら助け船を出してやるよ」

「ピンチになんてならないわよ。あたしは絶対無敵美少女剣士だから」

「ふぉっふぉっふぉ。それが真実なら、いずれ伝わるじゃろうて」

「まったく。手加減している身にもなってよね。いつ殺しちゃうか、いつも冷や冷やしているんだから」

「て、手加減されていたのですか、わたしは――」

「そうよ」

「分かりました」


 シーラが剣を納めた。


「分かってくれた?」

「はい。あなたが相当な悪魔だと分かりました。ですから、あなたの弱点を探ります」

「相手の弱みにつけ込むのが、正義なの?」

「神様の御心のままの行いが、正義なのです」

「それなら、寝首を掻き斬れと神が言えば、そうするの?」

「はい」

「そんな危ない人と一緒に旅はできないわよ」

「ご安心ください。苦しまないようにしますから。それに神様の御許で懺悔し改心すれば、慈悲深い神様は苦役の獄舎から救ってくださるでしょう」

「やっぱりその聖剣、折ることにしたわ」

「ダメです! やめてください」


 シーラは聖剣を体の後ろに隠した。


「嫌なら、あなたの神に誓いなさい。一緒に旅をしている間は、あたしを殺そうとしないと。やるなら、正々堂々と裁きを宣言してからにすると」

「いいでしょう。神様に誓います。神様の名の下にあなたを暗殺する前に、一度別離の道を選ぶと」

「なら、いいわ。しばらくは友達ね。シーラ・デ・エナ」

「悪魔とは馴れ合いません!」

「ユメカよ! 同行するなら、名前で呼びなさいよ」

「わ、わかりました。悪魔のブ少女ユメカ」

「いや、正義の美少女剣士ユメカよ」

「いいえ、悪魔ブ少女ヤスラギ・ユメカ」

「もういいわ。名前で呼んでくれなくても」

「では、わたしの勝利です。認めなさい」

「そうだね」

「どうです。これぞ神様のお導き。まずは一本、正義の鉄槌を喰らわせることができました。ああ、神よ、感謝致します」


――か、会話がしづらい。


 ユメカは無力感に肩を落とす。


「ほうれ、そろそろ出発じゃ。もちっと行けば、でかい滝が見えてくるぞい」


 マーリャの場違いな声が、不毛な問答を終える切っ掛けとなった。

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