Ch.4.9:真実からの逃避と、美少女
ユオキン街道脇の草原。
目の前で聖剣を構える聖騎士の少女をユメカは見ている。
「こういう手合いは、満足させないと納得しないのでしょうね」
信念を持ち確信を抱く眼差しはしかし、どこか歪んだ光を宿している。
歪んでいるだけに、事実を曲解する傾向があるのが厄介なのだ。
「敬虔にして清廉なる神の使徒を殺めし悪魔、ヤスラギ・ユメカに告ぐ。今こそ天の裁きを受け取りなさい!」
聖騎士の少女は、聖剣を天に向けて突き上げた。
唐突に暗雲が現れ雷鳴が轟く。
バシュン。
空を焼く雷光が輝き、大気を斬り裂く雷鳴が震う。
ユメカはグラビティーソードを天に向けて立ち、雷撃を受ける。
剣で受け止めた雷のエネルギーを、聖騎士の少女に向けて放った。
グラビティーソードから雷撃が放たれる。
だが聖騎士の少女は、聖剣の力で雷撃を斬り裂き、周囲に拡散して放電させてしまう。
全くの無傷のようだった。
だが、表情には驚愕の色が見える。
――まあこれくらいは凌いでくれないとね。
下手をしたら殺してしまうことになるからと、ユメカは気を引き締める。
気を抜けば、加減を間違えてしまう。
技量を見誤れば、不要な反撃を喰らうか、過剰な攻撃を加えてしまう。
本気になれば、確実に殺してしまうだろう。
――それにしても、天罰イコール雷か。
日本語なら、雷とは「神鳴り」から来ているという説がある。
人間が太刀打ちできない自然の驚異こそが、神の象徴になるのだろう。雷鳴を神の言葉とする説もあっただろうか。
だから聖騎士は雷撃を好んで使うのかもしれない。
聖騎士の少女と戦いながらもユメカの意識は、過去をさ迷う。
あの時も、そうだった――、
ユメカは森の中での戦いを想う……。
クリスティーネが来る前に終わらせたいと思ったことで、ユメカは少し焦っていた。
一騎当千と噂される聖騎士は、一筋縄ではいかなかった。
だからもっと本気になり、殺さないギリギリを狙わないといけないと、決意する。
「悪魔の狙いは聖武具だ。我らの武器が悪魔の脅威となっている証拠」
聖騎士の一人が味方を鼓舞するように叫んだ。
――狙いに気づかれたか。
ユメカは右手の剣を持ち直し、左拳を握る。
「イージス」
無敵の盾をイメージすれば左腕に盾が現れる。いわゆるバックラーである。
真正面から聖騎士に突進する。
「雷撃槍撃!」
雷撃を伴う突きをユメカはイージスで防ぐ。
同時に横から大きく振ったグラビティーソードで、一手で槍と盾を破壊して胴を打って気絶させようと狙った。
だが、聖騎士が俊敏に飛び退いてしまう。
ユメカはもう一歩踏み込み、槍に打ち込む。
読まれた攻撃はいなされ、逆にくるりと返した槍が頭上から襲ってくる。
ユメカは剣を振り下ろした勢いのまま跳んで体を回転させつつ、振り下ろされた槍に向けて剣を払い上げる。
――もっと斬れ味を!
気合いを込めた一閃で、槍を切り飛ばす。
着地して今度は横回転で身を転じつつ、返した剣で聖騎士の胴を払い打つ。
聖騎士は意識を失い、崩れるように倒れた。
――手数が増えた。
破壊と非破壊の気迫の切り替えを誤れば、聖騎士を殺してしまうことになる。
だが、一人を倒す手数が増えれば、疲労がより蓄積する。
疲労によって、斬る斬らないの意識の転換が狂ってくるだろう。
気は抜けないが、手は抜かなければならない。
慎重にかつ大胆に、ユメカは次のターゲットへと斬り込んだ。
繰り返しだった。
時に攪乱するため、包囲を抜けて逃走すると見せかける。
木を切り倒して追っ手の陣形を乱す。
そして分断した聖騎士を各個に襲い、気絶させる。
――本気になれば森ごと斬り開けるのに。
一人に二度三度と剣を振るう煩わしさに、苛立ちが募る。
息が上がってきた。
聖騎士が戦法に順応したのか、斬り込んでも盾を捨てて飛び退いたり、槍を斬らせて剣で反撃してきたり、聖武具の剣で火炎を生みだし牽制してきたりと、思うように聖騎士を倒せなくなった。
「さすがに、手加減するのはきついわ」
ユメカはダッシュで大きく駆け抜けて、聖騎士との距離を開けた。
疲労によって無駄な動作が増える。
より気を使わなければ殺してしまいそうになる。
唐突に雨が降り始めた。
土砂降りだった。
「魔術か?」
激しく降り注ぐ雨に、視界と聴覚が遮られる。
目をこらしても雨のヴェールが遠くを覆い隠す。
耳を澄ませても気配は探れない。
木を倒して斬り開けば、雨を遮る枝葉がなくなり、視界はより制限される。
「向こうも同じだと思いたいけど――」
別の場所で争う音が微かに聞こえた。
魔術が炸裂する光が見えたようだった。
――他に誰かいる?
木の陰に入り雨を除け、周囲を探る。
三つ先の木の幹が瘤のように膨らんでいるようだった。
ユメカは雨を避け、幹から幹へと飛び移るように駆けて近付く。
聖騎士だった。
剣を振り下ろそうとして、寸前で止めた。
すでに敵意はなかった。
それどころか、強固なはずの聖武具の鎧が裂け、大量の血が流れ出ている。
「ねえ」
ユメカが左手で肩を揺すると、聖騎士は崩れ落ちるように倒れた。
――死んでる。
一瞬、自分が間違って斬ってしまったのかと思った。
深呼吸して冷静にこれまでの移動ルートを思い起こして、この場所に来たのは初めてだと確信する。
――一体どうして?
雨脚が少しだけ緩やかになった。
雨に煙っていた周囲が、少し見通せるようになる。
聖騎士が何人も倒れているのが見えた。
一人、微かに動いたのを見て、ユメカは駆け寄った。
雨によって水量が増えた小川に顔をつけ、溺れそうなっている。
ユメカは左手で肩を掴んで起こすと、聖騎士は吸い込んだ泥水を吐き出した。
鎧を着ていない軽装の騎士だった。
「どうしたの?」
「これで神の元にゆける――」
聖騎士は息絶えた。
手に生温かいものを感じた。
血だった。
また遠く、斬撃の音が聞こえた。
聖武具に込められた魔術が放たれる火炎が見えた。
ユメカは小川を駆けた。
鎧ごと胸を貫かれた聖騎士が倒れる姿が見えた。
思わずユメカはその体を支えていた。
周囲に敵の姿はない。
「誰にやられた?」
「ま、魔術師――」
「どういうこと?」
だが、答える前に聖騎士は息絶えた。
ユメカは聖騎士を地に寝かせる。
再び雨が強くなる。
雨音で音はほとんど聞こえない。
視界も悪く、見通せる範囲は狭い。
「まさか、タースなんたらってやつか?」
ユメカは慎重に小川に沿って歩いた。
聖騎士の死体がいくつも転がっている。
「どうなっているの?」
もう、追ってくる聖騎士はいないようだった。
呆然とユメカは佇む。
ほどなく、小降りになった。
ふと、向こう岸で何かが動いた。
ユメカは瞬間的に剣を構えて、振り向く。
黒のローブを着た小柄な姿が見えた。
待ち合わせをしていたと思い出すまでに、少し時間が掛かってしまった。
「黒クリちゃん?」
無事であることにユメカはほっとした。
聖騎士との戦闘に巻き込まれなかったことだけが、救いだった。
「オネーサマ?」
クリスティーネは少し怯えているようだった。
無理もない。
いきなり聖騎士の死体がいくつも転がっているような場面に出くわせば、誰でも混乱するはずだった。
クリスティーネが魔杖に明かりを灯そうとする。
「明かりは点けるな!」
反射的にユメカは叫んでいた。
明かりを点ければ、標的になる。
まだ得体の知れない敵は森の中に潜んでいるのだ。
だが急に怒鳴るように声を張り上げたため、クリスティーネを怖がらせてしまったようだ。
ビクッと体を振るわせ、魔杖が光り輝く。
早く明かりを消させようと足を踏み出そうとして、クリスティーネの背後に黒い影が現れるのが見えた。
魔術師のようだった。
クリスティーネが立つ岩の背後、少し低い位置に立っている。
「どういうこと?」
魔術師タースなんたらだとユメカは思った。
なぜ聖騎士を殺したのか、理由が分からなかった。手助けだという言葉が仮に発せられても、信じられなかった。
それより、背後からクリスティーネを攻撃するつもりなのかと思えた。
ゆっくり間合いを詰める。
「オ、オネーサマが?」
クリスティーネが発した言葉は小さく、ユメカの耳には届かなかった。
ただ、彼女の背後に立つ魔術師の動きを警戒した。
魔術師を殺さずにクリスティーネを守らなければならないのだ。
「あんたが黒幕か!」
フードで隠した顔の口元が、歪んだ笑みを浮かべた。
ゆっくりと手を動かそうとしている。
「動くな。少しでも動いたら――」
ユメカはクリスティーネを守るために駆け出そうとした。
その瞬間、ユメカの脇を閃光が走った。
何かが側を突き抜け、クリスティーネの腹部に当たる。
ユメカは振り返る。
背後に走り去る人影を見た。
視線を戻すと、クリスティーネの背後にいた何者かの姿は消えていた。
クリスティーネの黒いローブの腹部が、濡れてゆく。
魔杖が落ち、光が消えてゆく。
クリスティーネが腹部に触れた手を見ている。
手は血に染まっていた。
クリスティーネが意識を失って倒れる。
「黒クリちゃん!」
ユメカは駆け寄って、抱きかかえる。
血がどんどんと流れ出してくる。
ユメカはアカッシャからもらって身につけていたマントを剣で引き裂くと、クリスティーネの傷口を押さえる。
「こっちだ! いたぞ」
――敵か?
傷口を押さえる手を放せずに、ユメカは警戒しながらも待った。
姿が見えた。
聖騎士とは違う、騎士だった。
どこか見覚えがある。
「あんたは――」
「これは、美少女剣士殿」
「伯爵の騎士?」
「元伯爵騎士隊長のアダセン・アジミュです。覚えていて頂けたとは、光栄ですな」
「どうしてここに?」
「詳しい説明は後にして、簡潔に言えば、今は王宮魔導師ディリア殿に仕えているのです。魔術の気配がすると言われ、様子を見に来たのですが――」
「あのタースなんとかという魔術師らしいヤツがいたのよ」
「どういうことです?」
アダセンが周囲を見渡す。
「あれは、聖騎士ですかな?」
「そうらしいわ」
「美少女剣士殿が?」
「あたしじゃないわ。魔術師だと思う」
「やはり、こうなりましたか」
声と共に光が差し込んできた。
魔杖に灯る光が近付いてくる。
王宮魔導師ディリアだった。
「どういう意味?」
「それより、クリスティーネの手当てが先だ」
ディリアは魔杖を掲げ先端で円を描くように回すと、治癒魔法の詠唱を始める。
「世界を包みし大いなる根源たる力、我は今それを欲する。
無辺の彼方より我が元に集りて我が力となれ。
我は命じる。
光の波動よ、傷を癒せ。
【癒やしの光彩】」
魔杖の先端から放射状に七色の光が放たれ、クリスティーネに注がれる。
クリスティーネの表情が穏やかになるのを見て、ユメカはディリアを見上げた。
「それで、どういう意味?」
「あなたの存在は、災いを招く。クリスティーネはそれに巻き込まれる。だから、私は反対だったのだ」
「でも、あんたは黒クリちゃんが行きたいと言えば、連れて行っていいって言ったよね」
「クリスティーネは賢い子だから、一緒には行かないと言うと信じていた。だが、そなたの魔性によってクリスティーネは誤った判断をし、あまつさえ師である私に嘘を言い、そなたを追った。その結果がこれだ」
「そんな――」
すべては自分の責任なのかとユメカは愕然とした。
でも、そんなことはないと想いたかった。
「そなたとクリスティーネは、生きる世界が違う。もう二度と、クリスティーネの前に姿を見せてはいけない。クリスティーネの人生を狂わせたくないのならね」
「ち、違う。あたし、そんなんじゃ――」
「だが、結果そなたはクリスティーネを殺しかけた」
「だからあたしじゃない。魔術師タースなんとかの仕業よ」
「クリスティーネが言ったようにタースを殺していれば、このような事態にはならなかったのではないかね。そなたの甘い判断が、クリスティーネを死に追いやろうとしているのだ」
「でも――」
「そなたは無敵だとしても、クリスティーネは違う。そして、そなたの力でもクリスティーネを守れなかった。違うかな」
「――違わない」
ユメカは項垂れる。
理由はどうあれ、目の前にいるクリスティーネを守れなかった事実は重い。
「ならば、もう二度と、クリスティーネと会わないと誓いなさい」
「――だったら、あんたはこの子を、絶対助けると誓いなさい」
「誓おう。私の大切な弟子だからね。全力で助ける」
「――分かったわ。あたしはもう、この子に会わない」
それがクリスティーネの幸せのためならそうすべきだと、ユメカにも想えた。
クリスティーネをアダセンに預けて立ち上がる。
気を失っていたクリスティーネの意識が戻りそうな様子を見て、安堵する。
そして、背を向けた。
ユメカは、心の中でクリスティーネに詫び、逃げるように駆け去った。




