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  Ch.4.4:導きの標

「末恐ろしい子だよ。だが――」


 ディリアの口元には笑みが湛えられている。

 カシーシ市の塔から見渡せば、市壁の外側は真っ白な霧に覆われている。

 一瞬で、といえば誇張になる。

 だが、一度の詠唱でこれだけの魔法の霧を発生させたクリスティーネの力を見せつけられると、正直なところ嫉妬も虚しいほどの才能の違いを痛感させられる。


「なかなか上手くいかぬものだが、流れは良い方向にあるのは天の導きか」


 くっくっく。


 聞く者のいない塔の最上階でディリアはこれまでを振り返る。

 人生という滞りのない流れの中で、紆余曲折はあれども向かうべき先は変わらない。

 ただ、どこに向かって一歩目を踏み出すかによって、その後の難易度が変わってくる。


 何事も初めが肝心である。

 何をするのも、一歩踏み出すのに勇気が要るのだ。

 ただ、教え導く者として、放置はしない。

 それとなく後押しをしてあげるのが、愛である。

 ディリアは、必然となる状況を愛弟子のクリスティーネに与えようとしていた。


 初めは、聖獣を求める人の欲望を利用しようとした。

 聖獣を求める人間が、欲望のままミューニム大森林への侵入を試みれば、森と聖獣を守るためにクリスティーネは、人に向けて魔法を使っていただろう。

 だが、便利屋が聖獣を連れ去ったことで、クリスティーネが森から出てしまい、森を死守するという状況は失われてしまった。


 せめてクリスティーネが便利屋を殺して聖獣を取り戻していれば、小さいとは言え第一歩を踏み出せていただろう。

 ところが不運にも、正体不明の剣士ヤスラギ・ユメカによって阻止されてしまったのだ。


 それでも、クリスティーネは教えに従順だった。

 倍々返しの法則に則り、マザーゴーレムを駆り出して、ヤスラギ・ユメカのいるイムジム・タウンを襲撃したからである。

 しかしながらまたしても、ヤスラギ・ユメカによって阻止されてしまったのだ。

 マザーゴーレムが倒されたというのが、未だに信じがたい事態である。


 さらに驚くべきことがあった。

 クリスティーネがヤスラギ・ユメカに懐いてしまったことである。

 敵であっても人を殺してはいけないという危険思想は、身を滅ぼす要因にしかならないのだ。

 悪魔の思想に他ならない。

 良いことだと思わせて、堕落に導くのが悪魔のやり口である。

 何度追い返しても襲ってくる敵ならば、滅ぼすことが最大の自衛手段となる。

 相手を殺さずに自分が殺されては、元も子もないのだ。


 だが、結果としてこの変化によって、収穫があった。

 情報と人材である。


 情報とは偽大金貨造りにかつての弟子、タース・リディルプスが関わっていたと判明したことである。

 その後の調査で、タースと大公の接点も明らかになった。

 さらにタースは、ウォイク聖国とも繋がりがあったのだ。

 こうした裏の繋がりが分かれば、真実が見えてくる。


 人材とは、五人の騎士である。

 イムジム伯爵に使えていた、アダセン等五人の騎士が仕官しに現れたのだ。

 これにより、かねてから構想していた魔術騎士部隊創設の第一歩が踏み出せたのだ。


 また、タースによる極秘計画も知り得た。

 それは、聖騎士を使ったヤスラギ・ユメカの殺害を計画である。

 ディリアはそれを利用した。

 結果、クリスティーネを取り戻せたのだ。


 誤算もあった。


 想像以上にクリスティーネの精神汚染は深刻だった。

 魔導師が魔法を使えなくなっては、示しが付かないからである。

 しかも、相手が人間だというのが理由では、弱点を教えていることに他ならない。


 訓練が必要だとディリアは考え至った。


 それは、目的と義務を与えることである。

 別働隊という足枷を用意し、クリスティーネに守る使命を課す。

 魔王軍となった元アミュング国軍に襲撃されたなら、自ずと結論は見えてくるのだ。

 それが、クリスティーネを一流の魔導師に鍛え上げるための試練である。


 とはいえ、厳しすぎて挫折し、廃人のようになっては困る。

 仮に損害が出ても全滅しないために、アダセン等五人の騎士が役に立つのだ。

 幸いにして魔術騎士としての適性を備えていた。

 敵が魔獣であっても簡単に全滅することはない。

 極端な話、魔法を使えないクリスティーネだけを連れて逃走できる力はあるのだ。


 その意味では、アダセン等五人が、与えた任務に失敗しても、報告のために戻ってきたのが幸いだった。


「だが、アダセン等をクリスティーネの側に置いておくのはまずい。適度に間引いておかねばならぬ。それと――これも誤算だな」


 クリスティーネの【隠遁の濃霧(フォギーエスケープ)】の効果範囲が、広すぎるのだ。

 別働隊は魔王軍の人間部隊から発見されずにイギャカ山まで辿り着いてしまうだろう。

 下手をすれば、裾野の森で魔物に襲われずに、全員無事にカルデラ湖まで辿り着いてしまうかも知れなかった。


 ディリアは腕輪の魔石に触れた。

 微かに明滅を始める。

 覗き込むと、配下の姿が見えた。

 異形となったが、人の面影を留めている存在である。


「我が主よ、緊急事態ですかな?」

「別働隊が出発したが、無傷で島に渡ろうとしていたならば、襲撃せよ」

「よろしいので?」

「構わぬが、全滅させてはならぬ。クリスティーネに危害を加えてはならぬ。それと、騎士は何人か殺せ」

「かしこまりました」

「首尾良くこなせよ、ユーストーマ」

「お任せください、我が主よ」


 魔石の光が消える。

 ディリアは小さく息を吐きだす。


「それにしても、余計な仕事が増えた。難儀な話だ」


 もう一度、腕輪の魔石に触れる。

 今度は別の、配下の姿が見える。

 同じく、魔石の力を与えて配下にした者である。


「シュッボ卿、いるか?」

「おります、我が君」

「ダムを奪い返せ」

「どういうことでしょう。先日は適当に戦って逃げよと――」

「状況が変わった。だが、油断するな。聖導師がいる」

「かしこまりました」


 魔石通信を終えると、使い込んだ魔杖を握り締めた。


「さて、これでいいだろう」


 ディリアはゆっくりと、階段を降りる。

 すでに、教育を邪魔する者はいない。

 まもなくクリスティーネの教育は完成するだろう。


「さあ、クリスティーネよ。守り切れるかな」


 クリスティーネはまだ十三歳でしかない。

 座学の知識だけでは培えない経験が、圧倒的に不足している。

 その未熟さにヤスラギ・ユメカが付け入り、洗脳しようとしていたのだ。

 だが不完全ではあるが、排除はできた。

 試練を乗り越えれば、元に戻るだろう。

 悪しき教えの誤りに気付き、これまでの教えの正しさを確かめる試練によって、クリスティーネは大魔導師の道を歩み始める。

 その大魔導師の力は、当然師匠である自分の物となる。


「最終的に、クリスティーネの手でヤスラギ・ユメカを殺せば、完成だ」


 くくくくく。


 無意識の笑い声が、塔の階段に低く響いた。

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