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  Ch.4.3:別働隊の、美少女

 眠れぬ夜が明け、クリスティーネは窓を開けた。

 どんよりとしたぬるいそよ風は、心地よくない。

 市壁に囲まれたカシーシ市で与えられた部屋からは、日の出は見えない。

 空がただ白んでいくのを、遠くの別世界のようにぼんやりと眺める。


 考えてみれば、ユメカが初めてだった。

 クリスティーネが心を許した相手である。

 初めは敵として憎たらしい恐喝魔だったが、なぜか、好きになってしまった。


 もう一人、信用し、心を許しそうになった相手がいる。

 ミューニム大森林に現れ、トキメキ・ストールンと名乗ったジョンである。

 少し間抜けなところがあるが、陽気な遊び相手であった。

 だが、裏切られた。

 ゴルデネツァイトを攫って逃げたのだ。

 次にクリスティーネはユメカにも裏切られた。


 心を許していただけに、現実が理解できていなかった。

 ただ、事実は明白だった。

 唐突に、ユメカに腹部を刺された。

 理由は分からない。

 ディリアが言うように、魔王を越える魔神ならば納得がいく。

 甘い言葉をかけて近づいて、信頼を勝ち取り油断させようとしたのだ。

 魔神にとって脅威となる、未来の大魔導師を殺すために。


 人を殺すなと言ったのも、ウソだった。

 結局ユメカは人を殺した。

 聖騎士を虐殺して逃亡した。

 そして、自分も殺されそうになった。

 アダセンたちが来なければ、死んでいただろう。

 ディリアが回復魔法をかけてくれなければ、助からなかっただろう。


 人を殺すなというのは、罠なのだ。

 敵が人か魔物かを見極めようとする分だけ、判断が遅くなる。

 人を殺さないという制約によって、無意識に魔法の威力を抑えるようになる。


 それがユメカの呪いだった。


 結果、クリスティーネは弱くなってしまった。

 人の死を意識するようになったからである。

 言葉の概念だけで考えていた時は、敵であれば死んで当然と思っていた。

 なのに、身近な存在の死によって、人の死は何なのかと考えてしまうようになった。


 イムジム伯爵や大公令嬢ニンナという、好きでもない人物の死でも何かを感じた。


 誰かという漠然とした他人の死ではなく、名前も顔も知る人物の死だからなのか。

 面と向かって会い、話す声を聞いたからかもしれない。

 人の死を前にした他の大人達が悲嘆する意味も、分からなかった。

 それでも心をざわつかせる何かがあった。

 どことなく居心地の悪い感覚だった。

 目の前で味方が殺され、死を見たくない感情は強まった。


 再び味わいたくないという無意識が、人を殺すために魔法を使うことを、躊躇させる。

 敵であっても人は殺したくないと思うようになった。

 もう一つ、考え抜いて出した理由もある。

 散々人を殺すなと言ったユメカが人を殺したからである。

 だから、逆に人を殺さずに戦えば、ユメカへの意趣返しの仕返しになると気づいたのだ。


 あらためてクリスティーネは、自分の考えをまとめる。

 ユメカが人を殺したからこそ、人を殺さない道を選べば見返せると思えた。

 人を殺さずにいれば、いつの日かユメカに復讐する時に、勝ち誇れると思えた。

 悔しがるユメカの顔を見られると思えた。


 だから――、

 人を殺さないと改めて決意する。

 それでも人を殺せないのは、ユメカの呪いにしておこうと決めていた。

 本心を告げても、理解してもらえないだろうから。

 クリスティーネは心を定めて部屋を出る。

 結論を待っている師匠ディリアの元へと向かった。


 占拠したカシーシ市庁舎の一室。

 王宮魔導師ディリアが作業を行うために見繕った部屋である。

 大きなテーブルの上には、工具やら魔石やら武具などが並べられている。

 便利屋に運ばせた重要な物である。


 訪いを告げてから招かれて部屋に入ったクリスティーネは、重苦しい空気に俯いた。


 固く決意したはずなのに、決心が揺らいでいた。

 やはりディリアが望んでいる答えにすべきだと思えてくる。

 クリスティーネは、言葉を紡ぎ出せずに苦しんだ。

 ディリアから向けられる視線が言葉を発する声を掠れさせる。

 その息づかいさえ、侮蔑が混じった嘆息のように感じられた。


「できたのかね、クリスティーネ」


 低く地の底から響いてくるようなディリアの声音に、心が震える。

 望まれている答えは、戦場で効率よく敵となる人や魔獣や魔物を殺す方法であった。

 戦局において効果的な場所とタイミングと効力を加味してなければならない。


「あ、あのう、お師匠様――」

「なんだね、クリスティーネ」

「一晩考えたのですが――」

「言ってごらんなさい。クリスティーネの偽らない答えを私は聞きたいのだよ」


 予想していたのとは異なるディリアの言葉に、クリスティーネは少し勇気を取り戻した。

 ゆっくりと深呼吸して、遠退きそうになる意識を引き留める。

 それでも、まっすぐに目を見ていられなかった。


「や――やはり、わたくしにはできませんでした」

「できない、というのは何をかね?」

「ひ、人に向けて魔法を使うことです」

「クリスティーネ――」


 叱られると思ってクリスティーネは目を瞑り、怯えて縮こまる。

 だが、怒鳴る声は襲ってこない。

 失望のため息が微かに聞こえただけだった。

 次にディリアの口から、不要な弟子だと告げられるのだろうと身構える。

 自分の居場所を失う絶望という暗い闇の穴に落とされたような恐怖に襲われてしまう。


「可哀想なクリスティーネ」

「え?」


 予想もしない言葉に、クリスティーネは薄目を開けてディリアをそっと見上げる。

 悲しむようで憐れむような目をしているのが見えた。

 意外な反応に、クリスティーネは戸惑った。


「呪いが強いようだね」

「――そうかもしれません」

「構わないよ、今はね」

「ですが――」

「できることから始めて、ゆっくりと慣れていけばいい」

「あのう、お師匠様?」

「魔物や魔獣に対してなら、クリスティーネも魔法を使えるね」

「――は、はい。お師匠様」

「では、クリスティーネに重大な役目を頼めるかな」

「――どのようなことでしょう」

「魔王討伐のための、拠点を確保したいと思っていてね。そのための別働隊を送りたいのだが、問題があるのだよ」

「問題とは?」


 クリスティーネが恐る恐る見つめると、ディリアは頷き微笑みを向けてくる。

 まだ期待されているのだと思うと、少し心が軽くなる。

 役に立ち喜んでもらえるなら、できるだけのことをしようとクリスティーネは思った。


「魔獣と魔物の巣窟に並の兵を送っても全滅するだけだからね」

「そのような場所が?」

「イギャカ山の砦を覚えているかな」

「イムスタ王子が捕らわれていた?」

「そうだよ、クリスティーネ」


 クリスティーネは、胸をなでおろした。

 あそこには魔獣と魔物しかいなかった。

 人間がいないなら魔法を使える。

 心に垂れ込めていた雲が晴れ渡たり、クリスティーネは顔を上げた。

 ディリアのために働ける喜びが満ちてくる。


「あそこには、もうザコしか残ってないでしょう」

「だからクリスティーネがいれば、味方に犠牲を出さずに砦を制圧できる」

「ですがお師匠様、湖上の島にあった砦は、巨大ムカデが壊してしまいましたよ」

「だからなのだよ。工兵を送り、新たに砦を作らなくてはならない。もちろん、別働隊の指揮は別の者が執る。クリスティーネの役目は、魔獣や魔物から別働隊を守ることだ」

「それでしたら――」


 できそうだとクリスティーネは笑みを浮かべてうなずく。

 ディリアに見捨てられていないと、クリスティーネは嬉しくなった。

 役に立ち、喜んでもらえる。

 必要とされている。

 しかも人を殺さずに済む。


「お任せ下さい、お師匠様」


 クリスティーネの声から迷いが消えた。

 ディリアは微笑みながら何度もうなずいてくれた。

 これで捨てられないと、ざわつく心の波が穏やかになった。


 翌日。


 選抜された人員によって組織された別働隊約五〇人が、カシーシ市を出発した。

 指揮を執るのは、アダセン・アジミュであった。

 イムジム伯爵の元騎士だったが、伯爵の死後、ディリアを頼って来たのを、受け入れたのだという。彼に従う騎士が他に四人おり、彼等が部隊全体の統括となる。

 その他は、工兵など四〇人に加え、最小限の物資を運搬するために雇われた便利屋ジョンと荷馬車である。


 クリスティーネにとって、見知ったジョンがいるのが心強かった。

 よく知らない大人たちに囲まれているのは、正直なところ落ち着かない。

 居場所を探して、御者台のジョンの隣に座った。

 ただ、二人の間には距離がある。

 体を預けて心から寄り添う相手ではない。

 心の中を寒風が吹き抜けるようだった。


 別働隊がカシーシ市を出発する。

 すぐ、クリスティーネは御者台に立ち上がる。

 心の迷いを振り切るように魔杖を構え、意識を無辺の彼方に馳せる。


「世界を包みし大いなる根源たる力、我は今それを欲する。

 無辺の彼方より我が元に集りて我が力となれ。

 我は命じる。

 大地に潜みし潤いよ、彼我を遮る幕となれ。

 【隠遁の濃霧(フォギーエスケープ)】!」


 地面から霧が立ちのぼり、周囲は白濁した世界となる。

 別働隊の周囲だけが、霧のない楕円状の空間を保っている。

 これで味方の移動は妨げられず、敵の襲撃から身を隠せる。

 カシーシ市を制圧したと言っても、南方平原は魔王軍の勢力圏である。

 その魔王軍の多くは、旧アミュング国軍の人間となる。

 発見されなければ戦闘にならず、人を殺すこともない。

 そして、イギャカ山の裾野に広がる森は魔物の巣窟になる。

 遭遇しなければ味方が襲われることはない。


 クリスティーネは心に決めている。

 アカッシャとの違いを見せようと。

 味方全員を守ってみせると。


 そして、

 誰一人殺さずに成し遂げてみせると、

 気負った――。

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