Ch.4.2:葛藤と光明の、美少女
クリスティーネはディリアに連れられ、制圧したカシーシ市にある塔に登っていた。
塔の上からは、戦場となった平原が一望できる。
夕日に照らされた戦火の跡が良く見える。
東西南北にある門の、北側と東側の被害が少ない。
南門と西門は大きく破壊され、多くの敵兵が死体となって転がっている。
東門の被害はないが、アマタイカ王国軍の兵士の死体が多く転がっている。
カシーシ市東側に布陣した右翼部隊に、最も多くの死傷者が出たのだ。
今日の夜明け前に始まったこの初戦は、夜を待たずに終結した。
アマタイカ王国軍を主体とする同盟軍の勝利であった。
だが、クリスティーネには過ちがあった。
それを、師匠のディリアに咎められているのだ。
「よく見なさい」
「はい――」
「なぜか、分かっているかな」
ディリアの咎める言葉にクリスティーネはうつむく。
右翼部隊には、クリスティーネが配属されていた。
討つべき敵を前に、クリスティーネが魔法詠唱を躊躇してしまったのだ。
「恐かったのです」
「人を殺すのが、かな?」
「はい。申し訳ございません」
呆れ果てたと言わんばかりのため息がディリアから漏れ出た。
叱責されるよりも辛い、落第の烙印のようにクリスティーネには感じられた。
人を殺してはいけないとユメカに言われた言葉が、クリスティーネの行動を縛ったのだ。
魔法を詠唱しようとして脳裏にユメカの声が浮かび、外世界から魔力を導くイメージが保てず、発現させられなかった。
「それは、ヤスラギ・ユメカの呪いだ」
「……はい」
「その結果、味方が大勢死んだ」
「――はい」
クリスティーネは唇を噛んだ。
魔法を使っても使わなくても、人は死んだ。
同じく人が死ぬなら、味方よりは敵であるべきだった。
「敵は迷わず討てと、そう教えた意味が分かったかな」
「はい。お師匠様」
「ではクリスティーネに、課題を与える」
「――はい」
「脳内演習だ。一〇〇通りの戦況を想像し、兵士を援護するためにいつどのように何の魔法を使うべきか、考えなさい。そして明日の朝、私に説明しに来るように」
「はい。お師匠様。おおせの通りに」
ディリアは塔を降りて行き、クリスティーネは一人、涼風を感じながらぼんやりと世界を眺めていた。
「オネ……いえ、あなたはわたくしに呪いを掛けたのですか?」
クリスティーネは、戦局の推移を思い返した。
「でも、これが戦争なのですね」
今日の未明。
魔導師ディリアが、魔法によって川霧を流域全体に発生させた。
敵の監視の目を奪うためである。
同時に、土手の裏側に隠していた船を滑車で持ち上げ、スロープを使って川へと一気に入ったのだ。
舟で対岸に漕ぎ出しながら、スロープを筏としてつなげて浮橋を作った。
そこを、五千の兵が一気に渡ったのである。
一キロに及ぶ広範囲の川岸から攻め込んだ兵士によって、対岸を守備する魔王軍は浮き足立ち、解放軍主力となるアマタイカ王国軍はあっけなく防衛陣地を壊滅させることができた。
渡河地点を確保すると、更に五千の兵を投入し、カシーシ市へと攻め上った。
クリスティーネは、ディリアと共に中央部隊に従軍していた。
カシーシ市は、イーノット川に注ぐ二筋の支流によって東西を挟まれた地にあり、そのために魔王軍の主力は、南側に布陣していた。
敵の布陣を見た将軍からクリスティーネは、右翼部隊に行くように命令された。
市の東門を警戒し、敵兵が出てきた場合に、遠方から魔法によって迎撃する役目だった。
初陣であるため、主戦場に身を置かないように配慮してくれたのだ。
背後から敵襲を受ける心配は不要だった。
同時期に同盟を結ぶイグイチョ王国軍が、北東方面から南東の領域に向けて攻め込んでいる。
これにより、南方平原の東にあるマヤン山城の部隊と中央部の部隊の動きを封じることになるからだった。
そして、カシーシ市攻略戦が始まった。
常識的には都市攻略のために布陣し体勢を整えてから攻め込むところだが、主力が無傷だったことと、王宮魔導師ディリアの存在が速攻を許した。
まずディリアが市の南側に展開する魔王軍を魔法によって全滅させ、さらに門も破壊してみせたのだ。魔王軍は総崩れとなり、突撃したアマタイカ王国軍は簡単に市内へと入り、組織的な抵抗なく、制圧に成功するかに見えた。
だが勝利を前に、決死の覚悟で脱出を試みた部隊が東門から出てきたのだ。
戦術会議において、敵が逃げるのであれば北か西と読んでいたが、逆を突かれたことになる。
北西には平原の中核三都市のひとつ首都シャビア・シティーがあり、西にはカサーカ市があるからである。ところが主力を逃がす陽動のため、東側から出てきた部隊があったのだ。
数は一〇〇人程の騎馬兵だった。
逃走ではなく突撃してきたため、右翼部隊は浮き足立った。
備えていたクリスティーネも、魔法を使えなかった。
人を殺してはいけないとのユメカの言葉が枷となってしまったのだ。
味方はどうにか踏ん張り盛り返すと、魔王軍は方向を転じた。
勝機と見て追撃に移ったが、それは陽動だった。
追撃して窪地に入ったところで魔王軍は突如反転し、坂の上から矢を射かけられたのだ。
慌て後退すると、背後から追い立て来る。
予測できない動きに翻弄され、攪乱されてしまった。
後衛部隊が援軍として現れたために、総崩れとならずに済んだのだ。
最終的にその陽動に現れた魔王軍を全滅させることができた。
とはいえ、味方の死傷者は多かった。
すべてはクリスティーネが遠方から魔法で攻撃しなかったのが要因である。
初陣だから仕方ないと、クリスティーネは指揮官に慰められた。
だが師匠のディリアには、魔法を使えなかった心理を見透かされていたのだ。
「殺さなければ、殺されるのですね」
顔がはっきりと分かるほど近くまで、クリスティーネは敵兵に迫られた。戦局を変えられる力を持つ魔導師を先に討つのは常道だからである。護衛の兵士が身を盾にしてくれたため、クリスティーネは生きながらえた。
代わりに、五人の護衛が目の前で殺された。
クリスティーネが魔法を使うのを躊躇したことによってである。
それが明らかに自責の念を抱く、味方の死であった。
「次は、ためらわない」
同じ過ちを繰り返せば、師匠に見捨てられるだろう。
そうなれば、クリスティーネに居場所はなくなる。
再び孤独の日々を過ごさなければならなくなる。
一人きりの毎日を過ごすのは、もう、嫌だった。
だが、戦局のどの場面でどう魔法を使えばいいのか、考えがまとまらなかった。
いつしか夜闇が垂れ込めていた。
迫る敵兵の顔と死んでいった者達の姿が繰り返し浮かび上がるだけで、どうしていれば良かったのかを考えられなかった。
物音がした。
「だれ?」
「ドロボーです」
「なんだ、ジョンですか」
「そこは『ドロボーさん?』と言ってくれよ」
塔の最上階に登ってきた男の姿をちらと見てから、クリスティーネは顔を外に向けた。
ジョンを見ると、ユメカを思い出す。
自分を殺そうとしたユメカはもう、敵となったのだ。
「意味が分からないです」
「ネタバレ禁止だからな」
「なんのマネでしょう」
「悪い魔導師が塔のてっぺんに仕舞い込んだ宝物を奪いに」
「は?」
「ふう。ノリが悪いな、クリスティーネは」
ジョンが隣の窓辺に立った。
ユメカを追って出て行けばいいのにと、クリスティーネは思う。
「どうしてあなたはここにいるのです?」
「ツンデレというやつだ」
「はい?」
「ちょっと離れてみれば、オレのありがたさが分かるのさ。略して放置プレイ」
「い、意味不明です」
クリスティーネはジョンから顔を背ける。
トキメキ・ストールンと名乗っていた頃のジョンが、少し好きだった。
森への侵入者は子ゴーレムが追い返すはずなのに、なぜ侵入者の男と肩を組んで森の中心に建つ館まで案内してきたのだ。不審に思いながらもトキメキ・ストールンと名乗った男の優しい言葉に惹かれ、一緒に遊び、一緒に料理をして一緒に食事もした。
師匠とは違う対等な存在となる、人との触れあいがクリスティーネには新鮮だった。
七日ほどして心を許し、ゴルデネツァイトを見せた。
警戒心の強いゴルデネツァイトが、なぜかなついた。だから悪い人ではないのだとクリスティーネは信じた。
なのに、裏切られた。
無断でゴルデネツァイトを連れ去った。
信頼を裏切ったトキメキ・ストールンには、復讐することにした。
追い掛けて、殺そうとした。
でも、ユメカに阻まれた。
そして、トキメキ・ストールンは、ジョンと名付けられ、ユメカの犬になった。
何が目的なのか、分からない男だった。
ただ、ユメカを追い掛けていかないのは、駄犬だからではなく、欺瞞と裏切りを性分とする軽薄な人間なのだとはっきりとした。
でも、もう一度殺そうと思うほどの激情は、湧いてこなかった。
――一度赦したからかな?
違う、とクリスティーネは心の内に答えを見付けていた。
ユメカに裏切られ、ジョンさえも側からいなくなるのが、恐いのだ。
「魔法、使えなかったんだって?」
「あなには、関係ないことです。次は絶対に大丈夫ですから」
「いや、使わなくて良かったとオレは思う」
――どうして?
問いかけは心の内に留めた。
聞きたくない理由が含まれていると、予感したのだ。
クリスティーネは振り返ってジョンを見つめる。
「ジョン、こ、これからはわたくしのペット、下僕になってください」
驚いたように振り向いたジョンは、悲しげな微笑みを浮かべた。
口にしてはいけない言葉だったと気づいて、クリスティーネは俯いた。
「クリスに出会って、オレの心はときめいた」
仲良くなってから呼んでくれた愛称に、クリスティーネは胸に甘酸っぱい感情が蘇ったが、話の結末が予想できて、現実から目をそらすように遠くの山へと視線を転じる。
「――だがすぐに、誰かに盗み取られたようにその感情は消えた。不思議な感覚だったが、少し違うんだとオレは理解した。でも、クリスを守りたいというオレの心は、本物だ」
「だったらどうして、ゴルデネツァイトを奪って逃げたのですか?」
「そうすれば、クリスがあの森から出てくれると思ったからだよ」
「森から出すために? なぜ?」
「魔王の再臨が世界に知られ、世界のいたる所に魔物が現れるようになった。ゴーレムに守られたミューニム大森林は、魔物の巣窟だと噂されるようになっていた」
「どういうことです?」
「遅かれ早かれ、魔物討伐隊が組織され、ミューニム大森林は焼き払われていた」
「そんなことされる前に、わたくしがそいつらを滅ぼして見せます」
「何十人、何百人、何千人という人間をか?」
「それは――」
ユメカと出会う前なら、間違いなくそうしていたと断言できる。
だが今は――裏切りのユメカを断ち切るために、やらなければならないのだ。
「悪い人間なんて、滅ぼしてしまえばいいのです!」
「クリスが本気でそうしたいなら、オレが手を貸すぜ」
「え?」
「オレは便利屋だからな。報酬次第でオレは、クリスの手足となって人類を駆逐してみせる」
「報酬ってまさか、わたくしの――」
何を奪おうというのかとクリスティーネは警戒する。
「未来永劫、クリスは人を殺さないと誓うことだ」
「意味が分からないです!」
「汚れ仕事はオレがやる。クリスは、手を汚すな」
「ど、どういうことかしら。でもだったら、わたくしの下僕になってくれるの?」
「下僕じゃない。報酬を得て働く契約だ」
「どこが報酬なのですか!」
「分からん」
「はい?」
「分からないが、クリスが手を汚すのを見たくない」
「どうして?」
「う~ん。何だろうな。理由が分かったら教えてくれ」
「分かる訳ないわ! あなたの心なんて」
「ま、そんな訳だ」
クリスティーネは呆れて思わず魔杖を落としそうになった。
「はあ。でも、わたくしが人間を滅ぼせとジョンに命令して、それが現実になると、間接的にわたくしが殺したことになるのでは?」
「そうなる」
「ちょっと! それって結局わたくしは、ジョンを使っても使わなくても、人を殺せないってことですよ!」
「クリスに天才美少女魔導師の称号を贈ろう」
バカバカしいと、クリスティーネは鼻で嗤った。
が、そのバカバカしさが自分のバカバカしさに思えて、笑えてきた。
「ゼロを一にしたら、もう後戻りできないのね」
「そうだな」
「でも、お師匠様の指示は、絶対です」
「だったら、オレがクリスをここから連れだして、ユメカの元に送り届けてやるよ」
「嫌です!」
「なぜ?」
「オネ――あの人は、わたくしを裏切ったのですから」
「オレはそうは思わないが――」
「ですが、わたくしを突き刺したのです」
クリスティーネは腹部に手を当てた。
ディリアの魔法で傷痕は残っていないが、痛みは覚えている。
「そいつは、痛いな」
「ですから、赦せません」
「そうか。なら、このままここに残って戦争三昧に浸るか?」
「お師匠様のためなら、そうなるでしょう」
「その道を選ぶならせめて戦場は選べ。魔物は人じゃないから、魔物だけと戦える戦場に行け」
「どうやって?」
「ディリアにはこう言えばいい。まだユメカの呪縛が残っていて人に向かって魔法を使えないから、まず魔物だけを相手に魔法を使い、戦争に慣れたいと」
クリスティーネは驚いてジョンを見直す。
どうしてそういう発想が出てくるのか不思議だった。
ユメカの側にいる時と違って、なぜ穏やかで落ち着いた雰囲気を纏っているのかも分からなかった。
「ジョン、あなたは何者なのですか?」
「知ったらオレを殺したくなるぜ」
「殺しても死なないくせに」
「オレのハートは何度も踏みにじられて死んでいるんだが――」
「はあ? まったくジョンは訳分からないわ」
「オレは幼女も守ると誓ったからな」
「美少女です!」
ふっとジョンが見せた微笑みに、クリスティーネはドキッとした。
不思議と包み込まれる暖かさを感じる。
「分かりました。お師匠様には、そう伝えます」
「なら、また明日だ。子ども夜更かしするなよ!」
ジョンは手を振って、塔の階段を降りていった。
「変なヤツ!」
夜空に向かって呟くクリスティーネの口元には、微笑みが戻っていた。




