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  Ch.3.20:美少女と、偽疑義

「どうかね、クリスティーネ」


 キャリッジと呼ばれる二頭立ての四輪馬車の中。

 低く朗々とした師匠ディリアの声に、クリスティーネは少しビクッとした。

 向き合って座る狭い空間は、師匠を独り占めできる待ちわびた時間のはずだった。

 間違いなく師匠は優しいし、教えも的確で分かりやすい。

 聖獣も気遣ってくれていて、今日は西方にある山岳地帯に行き、魔杖から出して走らせてきた。ゴルデネツァイトは大喜びで広大な山岳地帯を駆け回り、魔力と森林の精気を吸うことができたのだ。

 喜ぶべきであり充実しているはずだったが、なんとなく心が重かった。


「お師匠様のお陰でゴルデネツァイトも元気になりました」

「――ああ、そうだね。だが、ミューニム大森林よりも穢れている」

「そうなのですか? 今日の場所の方が広くて素敵だと思います」

「だが人が立ち入る。純然たる清涼な土地ではないので、成長に影響する」

「もっと成長するのですか?」

「そうだ。聖獣になっていると思ったが、少し遅いようだ」

「ゴルデネツァイトはもう大人の大きさだと思いますが」

「私がかつて読んだ本には、成獣になると飾り羽根が生えると書いてあった」

「羽根ですか? 鳥のような?」

「文字だけの記録だから、実際にどうか分からないがね」

「成獣になるとどうなるのです?」

「時を喰らうと言われている」

「それで、狙われたのですね」

「だから、用心が必要だよ。迂闊に見せてはいけない」

「はい。お師匠様」


 ディリアが窓の外に視線を転じた。

 馬車は土手の上を走っている。

 進行方向左側を流れるイーノット川の対岸はアミュング国となり、監視櫓が数キロ間隔で並んでいるのが見える。

 開戦は近いというのが、ディリアの予想だった。


 巨大ムカデ討伐と王子の救出。

 魔獣による大公別邸襲撃事件。

 このふたつの出来事によって双方は警戒を高めている。意図しない些細な切っ掛けによって、雪崩のように大規模戦闘に発展する危険があるというのがディリアの見立てである。

 魔王と人類の存亡を懸けた戦いになる、とクリスティーネは言われている。

 だから戦わなければならないのだと。

 魔王に滅ぼされないために、魔王の軍門に降った人間は魔人と見なして容赦なく滅ぼさなくては平和な世界を作れないというのがディリアの教えだった。


「それで、どうかね、クリスティーネ」


 再び同じ問いを受けて、クリスティーネは勘違いしていたと気づいた。

 首都アデュオイ・シティに来てから毎日、ディリアと共にイーノット川の流域を上流に向かって視察してきた。地形を覚えどこが戦場になるか予想し、戦術を想定するのが目的だった。ゴルデネツァイトを外に放したのは、言うなればおまけだった。

 戦場に赴いた場合に、どのような魔法を使えば効果的か、またどのタイミングで発現させればいいかを、首都に来てからずっと師匠に教わってきたのだ。


「戦場の地形と戦況予測は頭の中に入りました」

「よろしい」


 ディリアが頷くと笑みを向けてくれた。

 優しい師匠の穏やかな笑みは、クリスティーネの心を温かくする。

 師匠から向けられる期待に応える喜びを感じ、クリスティーネは微笑む。


「だが戦況は常に移ろう。臨機応変に的確に対処せねばならない」

「お任せください、お師匠様」

「期待しているよ、クリスティーネ」

「ですが、やはり魔王軍で脅威となるのは魔獣だと思います。いとも簡単に川を越えて襲撃してきたのですから」

「魔獣一匹が兵士十人に匹敵すると言われているが、魔獣は人間のように連携した行動はできない。脅威となっても一時的だ」

「それでも、急に現れたら困りますから、先手を打って駆除すべきではありませんか?」

「魔導師が、俊敏性のある魔獣を個別に撃退するのは効率が悪い」

「ですが――」


 兵士や騎士が魔獣と戦えば、死者は出るだろう。

 ユメカと出会う前は、死とは概念でしかなかった。

 だが実際に死を目の当たりにすると、先程まで生きて動いて話していた存在が骨と肉の物に変わるという、正体不明の喪失感に襲われた。気にくわなかったイムジム伯爵の死ですら、そう感じたのだ。

 より多くの身近な者たちの死が現実になるのを、クリスティーネは恐れていた。


「それよりも、南方平原の拠点となる三市を制圧すべきだ。そうすれば、魔獣部隊など取るに足らぬ脅威となる」

「できますでしょうか」

「私とクリスティーネが力を合わせればね」

「自信がありません」


 都市全体、数キロに及ぶ範囲に影響を与える魔法を、クリスティーネは使ったことがない。

 加えて、敵とは言え都市で暮らす人間が相手だと思うと、ユメカの教えを破るようで気が進まなかった。


「クリスティーネならできる」

「そうありたいと思ってはいますが――」

「確かに、想念を広げて外世界より大量の魔力を導くにも瞬時にとはいかないだろう。詠唱とはそのためにあるが、より深く入り込むには、誰かに守ってもらう必要がある」

「ですが、魔王軍の支配下とはいえ、人が暮らしているのですよね」

「人ではあるが、魔王の手先に成り下がった者たちだ」

「それでも人です」

「悪は滅ぼせと、教えたはずだ」


 ディリアの言葉がひどく冷たいように感じて、クリスティーネは俯いた。


「ですが、人は殺してはいけないと――」

「あの少女の教えか?」

「はい」

「師匠である私と、素性の怪しい少女の言葉と、どちらを信じるのかな?」

「それは――」

「即答できぬようでは、破門だな、クリスティーネ」

「いいえ。お師匠様を信じています」


 五年ぶりに会ったディリアはどこか違うとクリスティーネは感じていた。

 以前はもう少し優しい雰囲気があったように思う。

 それとも、ユメカと会って自分が変わったのだろうかとクリスティーネは悩む。


「ならば、もうじき魔人になるような連中を、人と思ってはいけない」

「はい、全力魔法で滅ぼすのですね」

「そうだ。悪は躊躇せず、滅ぼさなければならない。もし悪を見過ごせば、それはクリスティーネ自身が悪に染まることになるのだよ」

「はい。お師匠様」


 クリスティーネは、師匠に会った喜びが薄れ、表情は暗く沈んだ。

 話題を変えたいとの思いが、伯爵別邸で遭遇した魔術師を思い出させた。


「お師匠様は、魔術師タース・リディルプスという人物をご存じですか?」

「会ったのか?」

「はい」

「あれは、魔術は魔法を凌駕する魔導の究極であると勘違いして、私の元を去った愚かな男だ」

「タース・リディルプスが、イロム・イムジム伯爵を殺したのです」

「伯爵は偽大金貨を作っていたそうではないか。殺されて当然なのだよ」

「そうでしょうか」

「クリスティーネ、お前は変わったようだね」

「お師匠様も、以前とは違うように感じます」

「そう感じるのは、クリスティーネが悪に感化されたからだろうね」

「悪? わたくしが悪なのですか?」

「クリスティーネに悪影響を与えた存在から、距離を置きなさい」

「オネーサマは違います。悪ではありません」

「その応えは、あの少女が悪かもしれないと感じている証拠になる」


 はっとしてクリスティーネは口を噤み、俯く。

 ディリアがため息交じりにユメカを悪く思う口ぶりを見せられるのが、クリスティーネには耐えがたかった。


「いいえ。オネーサマは温かいです」

「うーむ」


 深く嘆くように唸ると、ディリアが口を閉ざした。

 何を考えているのか確かめるのが恐ろしく、早く城に到着するようにとクリスティーネは願った。だが、城までの道程はまだ遠い。


「一つ、話をしておこう」

「なんでしょう」


 聞きたくない話を予感して、クリスティーネは顔を上げられなかった。


「ヤスラギ・ユメカと称するあの少女は、魔神かもしれぬのだ」

「マジン?」

「間に染まった人間ではなく、魔王よりも悪い神のことだよ」

「オネーサマが、魔神? ウソです」


 クリスティーネは師匠を睨んだ。

 助けてくれて、優しく抱きしめて慰めてくれたユメカを悪く言うのは、例え師匠でも許せないと、無条件でそう思ったのだ。


「すまないね、クリスティーネ。話が飛躍したね。順を追って話そう」

「はい」


 ディリアの優しい言葉と柔和な笑みに、クリスティーネは落ち着きを取り戻した。


「第一に、あの少女が巨大ムカデを倒したとは、到底思えないのだよ。黄の魔術師アカッシャを筆頭にした魔術師部隊でさえ、戦ってほぼ全滅したのだからね」

「アカッシャが倒せなかったのは、当然だと思います」

「クリスティーネから見れば、アカッシャなど下位の魔術師だろう。だが、この国の中では最も優れた魔術師なのだよ」

「あの程度の実力で一番なのでしたら、巨大ムカデを倒すなど無理に決まっています。魔法が効かないのですから」

「クリスティーネならどうだね? 倒せるかな?」

「もちろんです。外皮が硬く魔法を無効化したとしても、内側から破裂させることもできますから」

「やはり、見抜いたのだね、巨大ムカデの弱点を。本当の話をしてくれないかな、クリスティーネ」

「どういうことでしょう?」

「あの少女が巨大ムカデを倒し、その死骸が光となって消えたなど、胡散臭い話なのだよ」

「本当です。オネーサマが巨大ムカデを倒すと、光になって消えてしまいました。イーブが倒した魔物も同じように消えていきました」


 ディリアはヒゲのない顎をさする。


「剣で斬った魔物を光に換えて消滅させるなど、有り得ないのだよ、クリスティーネ」

「ですが、本当です。お師匠様は、わたくしの話を疑うのですか」

「もちろんそうなったという事象は信じている。ただ、原因を疑っているのだ」


「オネーサマの剣が特別なのです」


「いや、むしろ、クリスティーネが新たな魔法を開発して使った可能性がある、と考えている」

「そのような魔法、わたくしは使えません」

「あの少女に、そう言えと強要されているのではないかね?」


「違います」


「では、クリスティーネは魔法を一度も使わなかったかな?」

「いいえ。使いました。【氷結の魔女(アイスブリザード)】で、ムカデの動きを封じました」

「それだ。その時に、クリスティーネが無意識に魔物を光に換えて浄化する魔法を使ってしまったのだと想像している」


「無意識に知らない魔法なんて、使えません」


「無意識だからこそ、知らずに使ってしまうのだろう」

「ですが、オネーサマが巨大ムカデを真っ二つにすると、光になって消えたのです」

「それが信じられんのだ」

「オネーサマの剣が特別なのです。ゴーレムちゃんが持ち上げられないほど重いのに、オネーサマは軽々と扱われるのですから」


「なに? 子ゴーレムが持てないほど重い剣とな?」

「はい」

「魔剣のように特別な力を秘めているとでも?」

「オネーサマは神剣グラビティーソードと言っていました」

「神剣? 神の剣とな? ばかばかしい」

「重さを操る剣だそうです」


「う~む」

 ディリアは顎をさすりながら考え込んだ。

「どうかなさったのですか?」

 ディリアが見せる深刻な表情に、クリスティーネは不安を抱いた。


「では、クリスティーネの魔法でないというのは間違いないのだね」

「もちろんです」

「ならばやはり、あの少女は危険だ」

「どうしてです?」

「巨大ムカデを倒せる力は、人の領域を越えている」

「オネーサマはすごいのです」

「いいや、クリスティーネ。危険だ。あの少女のそばにはこれ以上いてはいけない」

「ですが、オネーサマはとても優しいのですよ」

「本当に悪い存在は、笑顔で優しい言葉をかけてくるのだよ。そうやって心奥深くに信頼を植え付け、心を奪ってゆく」

「それがオネーサマだと?」

「その可能性がある、という話だよ、クリスティーネ」


「ウソです」


「真実は言動に出る。あの少女が何を言い何をするか、よく見ていなさい。大勢の人を殺すことさえなんとも思わない、冷酷で残忍な性格が見えてくる」

「そんなこと、ありえません。オネーサマは人を殺してはいけないと、わたくしに教えてくださいました」

「すまない、クリスティーネ」


「お師匠様?」


「いきなりこの真実は、受け入れられないね。それで構わない。だけど、あの少女の言動をよくよく観察し、私の言葉を忘れないでいなさい」

「はい――。ですが、お師匠様も、オネーサマとお話しすれば分かります」

「そうかもしれないね。今度会ってゆっくりと話してみよう」

「はい。オネーサマは一番ステキですから」


 馬車は走り続け、窓から城が見えるようになった。

 今度は、城に着かなければいいとクリスティーネは思った。

 話した後でディリアがユメカを悪と断定してしまったなら、どうすればいいのだろう。

 想像すると、心は暗く沈んで行く。

 クリスティーネ小さく、ため息をついた。

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