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  Ch.3.18:美少女の、安息日

 アマタイカ王国の首都アデュオイ・シティの中心、アデュオイ城。

 首都の中心部にある丘の上全体が城壁で囲われた城であり、内部には王宮と旧市街地がある。

 王宮は表と裏の二つに分けられており、表は行政機関の庁舎など公的な場とされ、裏は王族が暮らす私的な場となっている。この他にも貴族向けの宿泊施設、騎士や魔導師などの詰め所がある。

 ただ、大公などの有力貴族は狭苦しい城内を嫌い、外縁部に別邸を築いてそこに滞在している。

 そんな、貴族でさえ嫌う城壁の内側にユメカは閉じ込められている。

 もっとも、ユメカに与えられた部屋は裏宮殿の離れにある客間でるため、待遇としては貴賓扱いである。リビングにベッドルームにバスルームまであり、高級ホテルで言うところのロイヤルスイートルームのようである。一人で使うには、無駄に広い。

 だが、認められる行動範囲は狭かった。

 護衛を付ければ外出できるという話もなくなり、城外に出ようとすれば衛兵に止められる。


――せめて散歩くらいさせろ!


 末端の衛兵に当たり散らして文句を言ったところで困らせるだけなのでしないが、ユメカのストレスは日々積み重なって行く。

 理不尽な軟禁状態を享受する不満と苛立ちが募る。

 どうにかしてくれと頼もうとイーブかアカッシャを探しても、戦争の準備に忙しいらしく取り次ぎ役の部下に追い返されてしまう。無職の身としては、仕事の邪魔をしないように、つつましく引き下がるしかなかった。

 暇つぶしに遊んであげようと千年に一度しかないような感情が芽生えたというのに、ジョンさえ姿が見えない。

 やはり駄犬だった。

 仕方なくユメカは、城内の外縁部となる、城壁の上を歩き回って、周囲に広がる街並みや森などを眺めていた。唯一興味を引いたのは、歴史遺産と言うべき第二城壁の痕跡だった。外街を含めた都市部全体を囲う第二城壁は、戦乱時代の終結によって計画は白紙撤回となり工事は中止され、一部が丘のように土塁となって残されている。

 そこに行けるならまだしも、ただ遠目に眺めているだけの戦争遺物は、人と人が殺し合う悲しい場面しか想像できず、却って心は重苦しくなってしまう。かといって、ごちゃごちゃと入り組んだ旧市街地の街並みは好きになれなかった。


「まるで檻に入れられた動物の気分だわ」


 動物園というのは見識を深めるには役立つが、動物の立場で考えれば不自由な飼い殺し状態を強要されている拷問なのだ。

 外敵に襲われず食事に苦労しないまるで楽園生活のようだが、見えているのに行けない場所があるというのは、精神的な苦痛にしかならなかった。

 しかも、ユメカが置かれている閉ざされた世界の平穏は、日々崩れ落ちて行く。

 戦争の気運が高まっていくのが嫌でも分かる。


「どこにいるんだろう、黒クリちゃん」


 戦争に巻き込まれる前に、クリスティーネと話をしたかった。

 五年ぶりに再会した師匠との師弟関係に割り込む野暮はしたくなかったが、戦争となれば話は別である。師匠が王宮魔導師なので、弟子であるクリスティーネも戦争と無関係にはいられないだろう。

 だが、クリスティーネを探して城内を訪ね歩いても、居場所は機密事項だとして教えてもらえなかった。


 仕方なく、先日見付けて気に入った空中庭園に行き、寝転んで空を見ていた。

 この庭園は、裏宮殿の一郭にあり、社交場として使われるホールや客間などがある建物の、二階の屋根の上にある。狭いが、城壁に妨げられずに遠くの山が見える借景は、開放感が得られるのだ。人を見かけないのも高評価なのだ。

 しばらくの間、風と鳥のさえずりに耳を傾けながら、空を流れゆく雲を眺めていた。

 昼下がりの太陽が雲に隠れると、微風が肌に心地いい。


「わあ、キレイな赤い髪の毛ですね」


 唐突な声に、無警戒すぎたかと、ユメカは上体を起こした。

「誰?」

 目が届く範囲に人影はない。


「こっちです」


 声の方を見ると、垣根の上から指先だけが左右に振られるのが見えた。

 ユメカは起き上がって近付く。

 胸くらいの高さがある垣根の向う側を覗くと、男の子がいた。

 目がくりっとした、気品のある、かわいらしい子である。七歳くらいだろう。背はまだ低い。


「ぼくは、第二王子のサヒダです」


「あたしは美少女剣士ヤスラギ・ユメカ」

「やっぱりあなたでしたか。兄を助けてくださってありがとうございます」

「王子を助けたのは、アカッシャよ」

「ユメカさんがいなければ助けられなかったって聞きました」

「でも、あたしだけでも助けられなかったよ」


 小首をかしげるサヒダの仕草が幼い無邪気さがあってかわいらしい。

 まだ権威と権力に汚れていないのだろうが、いずれ汚れていくのかとユメカは思うと、逃れられない境遇を気の毒に思った。


「いま、そっちに行きます。待っていてください」


 タッタッタッと小さな足音が垣根を回ってくると、サヒダが姿を現した。

 幼い足取りで近付いてくると、見上げてくるのでユメカはしゃがんだ。


「ユメカ、キレイだね」

「ありがとう。あたしは美少女だからね」

 真っ直ぐで純粋な目で見つめられると、ユメカも照れくさくなって視線を逸らした。


「でも、なんか、さびしそう」

「ちょっとね。外に出してもらえなくて」

「ぼくと一緒ですね」


 はっとしてユメカは視線を戻した。

 第二とはいえ王子という立場にあれば、安全のために城外には出してもらえないのだ。

 戦争の気運が高まれば警戒レベルも上昇する。

 緊迫した状況にあると、些事であっても大事になるリスクがある。

 とはいえ、ユメカとは異なる立場である。


「ちょっと、違うかな」

「どう違うのです?」

「あたしは、本気で外に出ようと思えば、出られるから」

「そうなのですか。うらやましいなあ」

「サヒダだって、本気で出ようと思えば、できるよ」

「そうでしょうか」

「諦めたらできないわよ」


 ユメカは立ち上がる。

 垣根を越えれば視界は遠くの山々が見えるほどに広がる。


「ユメカはどうして、出ないの?」

「あたしの自由を押し通すと、多分イーブが困るのよ。それに、出ていく前に黒クリちゃんと話をしたいし」

「黒クリちゃんって、だれです?」

「魔導師ディリアの弟子の女の子よ。でもどこにいるか分からないの」


「その子でしたら、馬車に乗って城外に出かけていますよ」

「知ってるの?」

「はい。塔からのぞいてますから」

「塔って、あれ?」


 ユメカが見上げて指さした。

 城から聳える、尖塔である。

 南北にふたつある。

 城壁にもやぐらがいくつもあり外周を監視できるようになっているが、一番高い塔は、城にある。


「行きたいですか?」


「行けるの? あたしも行こうとしたけど、衛兵に追い返されたわ」

「平気です。王族の抜け道を使えば誰にも会わずにいけます」

「やるねえ、サヒダ。意外と悪い子なのかな?」

「いえ。生き延びるための義務です」


 万が一落城する事態に至れば、一人ででも秘密の抜け道を使って脱出しろというのだろう。

 どうであれ、統治者としてトップに立つ人物がいなければ、安定的な国家運営は難しい。統治システムとしては、王族という血統主義は、ある意味正しいと言える。ルール通りに運用すれば無益な権力争いをせずに済む、という点だけを見ての話である。

 ユメカはサヒダの案内で、北側の尖塔に登った。

 望遠鏡が備えられているが、サヒダは木窓を開けて直接見渡した。

 遠く王子を救出したイギャカ山を望めるほどに、平野が広がっている。


「北側の少しくぼんで見えるところが、川です。左の方にいくと、中州がいっぱいあって魔王軍が渡ってきやすい場所が続いているそうです」

「物知りだね」

「侍女のアヤガが教えてくれました」

 教育係でもあるのだろう。


「王宮魔導師と弟子の子は、馬車で左の方に向かいました」


 サヒダが指さしたほうにユメカは視線を向ける。

 太陽に熱せられた地表の熱が揺らぎ立ち空気を歪ませるために遠くほどぼやけて見える。

 川面や池から水蒸気が空中に漂い、霞ませる。

 ユメカにも、先行きは不透明で見通せなかった。


「その先には何があるの?」

「国境の北の端で、西から流れてくるウサラ川との合流する場所です。ウサラ川を遡るとすぐに支流のアナック川との合流点があり、国境はそのアナック川に沿って南西に向かいます」

「あーそうなんだぁ」


 ユメカの頭には川の名はあまり入らなかった。

 サヒダには親切心もあるだろうが、覚えた知識を使いたいのだ。ただユメカにとって必要な情報は、クリスティーネが師匠に連れられて国境の北端に向かったということだけだった。


「国境の視察なら、やっぱり黒クリちゃんを戦争に使う気かな――」


 ユメカは遠くを見渡しながら、ほぼ平坦な地形を見渡す。

 国境線となる川の両側には、障害となる山はない。しかも平和な時代が続き人と物の交流が頻繁だったのだから、お互いに地形には詳しいだろう。進軍の障害となる川が第一の防衛戦となるが、守りやすく攻めづらいだけにこれまで戦線は膠着してきたのだろう。


 仮にアマタイカ王国とその同盟国が潜在的脅威となる魔王を討伐すると決意しているなら、川を渡って攻め込み、侵攻拠点となる場所を確保しなければならない。そこで犠牲が多ければその先の戦闘ができなくなる。

 求められるのは、効率的な戦術兵器となる。

 大砲やミサイルの代わりとなる魔術師や魔法使い、両方を兼ね備え上回る魔導師は、なくてはならない戦力なのだ。王宮魔導師ディリアに加え、クリスティーネの力を得れば、戦争は楽に始められるだろう。


「どうしたの?」

「うん――。戦争は嫌だなって」

「でも、魔王軍は悪者だから、やっつけないとダメだってみんな言ってるよ」

「攻めてくるなら守らないとね」

「ユメカも、戦ってくれる?」


 サヒダの表情には、縋るような不安にあふれている。

 期待に応えるための言葉を知っているだけに、ユメカの心は痛んだ。

「戦って魔王を倒してサヒダを絶対に守る」と言えばいいのだ。

 実際、ユメカにはそれができる力はあるがその結果開けた未来は、サヒダが漠然と描いた幸福な未来とは異なるだろう。心に寄り添うフリをして、不安な顔を見たくない自分のために言葉を紡ぐのは、善意を装った無自覚の悪意になる。

 期待には応えられない。


「あたしは、こういう戦争には加担しないの」


 ユメカが何度も考えて導き出した結論である。

 再考しても変わる要素はなかった。

 サヒダが見ている世界と、ユメカが目指す世界は違うのだ。


「どうして?」

「勝っても楽しくないからよ」

「でも負けたら、ぼくたちみんな殺されるよ。それでも助けてくれないの?」

「サヒダを助けるために、あたしは何人を殺せばいいのかな?」

「え?」

「戦争で人を助けるというのは、そういうことよ」

「ぼくが生きるために、誰かが死ぬの?」

「多分ね」

「そうなんだ――」

「だから、自分で生き残る方法を探しなさい」


 冷たく突き放すような言葉だと、ユメカは自覚している。

 一義的には人を殺したくないから助けないのだと受け取られるだろう。

 だが、求めて縋って与えられる安全は、乳幼児のように親の庇護下にある場合にのみ成立する。動物園の動物のような立場に限定される幻の安全である。親や管理者の能力を超えた窮地となれば、安全は保たれない。

 求めるだけでは掴み取れない世界がある。


「どうすればいいの?」

「こうすれば絶対に助かるというような方法はないでしょうね。あるとすれば、そもそも戦争しないこと。けど、こちらが望まなくても魔王が望めば戦争は起こる」

「どうすればいいかわからないよ、ぼくには」

「大丈夫よ。あたしにも分からないから」

「それでぼくが死んでもいいの? ムセキニンなんだね」


 落胆し批難するような表情を見せたサヒダに、ユメカは微笑みを向ける。

 責任がないというよりは、責任を持てないのだ。


「当然よ。サヒダの人生はサヒダのもの。自分で責任とるべきもの。サヒダは子どもだから大人も責任は取るべきでしょうけど、でも、あなたの人生だから。できる範囲で、自分の人生を切り開きなさい」

「どうやって?」

「一つ言えるのは、子どもなら、頼れる大人を見付けることね」

「ユメカは?」

「あたしはまだ大人じゃない」

「でも、ぼくが信じられる大人って、いないかも」

「白の騎士イーブは?」

「あの人は、ちょっと恐い。声が大きいし、何か聞くと、『まずは体を鍛えましょう』といわれて走らされ、剣でしごかれるんだ」


 呆れながらもユメカはクスッと笑った。


「イーブは不器用なんでしょうね」

「そうなのかな」

「ともかく、生きたければ、生きる方法を探しなさい。もしその時そこにあたしがいたら、助けを求めてくれたら、助けるわ」

「本当?」

「あたしの手が届く範囲なら、絶対に助ける。でも――」


 手が届く範囲はほんのわずかでしかないという言葉を、ユメカは飲み込んだ。


「でも?」

「ただ助けを待っているだけじゃ、ダメだからね」

「わかった。ありがとうユメカ」


 ようやくサヒダは笑顔を見せた。

 幼い心に大きな不安を抱えているのだろう。

 その不安を癒す応急的な方法は、母親のように抱きしめてあげることだろう。クリスティーネのように大魔導師と自負する自信と覚悟がある子なら、不安定な足元の下支えとなるから問題ない。だが、サヒダが無意識に求めているのは庇護である。ユメカが提供できるのは、一時的な保護が精一杯である。

 同情という名の共感は心地いいが、停滞して落ちていく深い闇がそこにはある。

 言葉で伝えるのは難しいので、ユメカは口を噤んだまま、しばらく遠くを見ていた。


「ねえ、ユメカ」

「なに?」

「何日か前の朝、山の上に光を見たんだけど、ユメカが巨大ムカデを倒した光かな?」

「二週間前ならそうかもしれないわ」

「一緒に居た侍女は、見てないって言うんだ」

「陽が昇ったあとだから、目立たなかったんでしょうね」

「ねえ、ユメカ」

「なに?」

「ぼくが大きくなったら、ぼくと結婚して?」


 唐突な言葉に、ユメカは目を見開いた。

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