Ch.3.14:大公の冷笑
アマタイカ王国の首都のアデュオイ・シティ。
その中央の丘に建つアデュオイ城から南におよそ五キロの地点に大公家の首都屋敷がある。
大公ガルカ・イ・ユイモは、率いてきた五千の兵士を郊外に置き、護衛の騎士一〇騎を従えてその屋敷へと入った。
出迎えたのは、先遣隊に任じられた、炎騎士隊隊長ギシュボ・ダナースであった。白地に赤い線と装飾の入った騎士服こそ、アマタイカ王国の力の象徴である。
甲冑姿の大公は軽い身のこなしで馬を下りた。
「ご到着をお待ち申し上げておりました」
「どうであった?」
「閣下の御勇姿に、市民も身を引き締めたことでしょう」
「早すぎだな」
「お褒めの言葉と受け取らせて頂きます」
「無用と言ったはずだが」
「さて、なんのことにございましょう」
大公は笑むと屋内に入り、ずんずんと大股で歩き支度部屋へと向かう。
屋敷で待っていた炎騎士隊長がどこで市民の反応を見ていたのかと疑ったのだが、道の要所に配置した警備の連絡網を使ったのだと大公は悟ったのだ。
炎騎士隊長は素知らぬ風を装っているが、独断で最低限の警備体制を取っていたことになる。
大公は、首都屋敷に入るだけなのに厳重な警備をされては、臆病者との風聞が立つと懸念していたに過ぎない。
誰もが警備体制に気づかず、武門の長たる大公家の尊厳が保たれるならば、あとは配下の裁量の範疇である。言われるままに不測の事態の備えもせずに放置していたのなら、無能の烙印を押して役職を退いてもらうことになる。
だが、問うた主題はそこではない。
真意を察しながらあえて別の理解をしたと装い、職務の成果をさりげなく織り込みつつ、この先の本題の伏線を張ったのだ。炎騎士隊長ギシュボ・ダナースは抜け目ない男であった。
支度部屋に入ると、従者が甲冑を外し始めるのに身を任せた。
その作業の間、炎騎士隊長は不動の体勢で立っている。
「慣らしとは言え、久しぶりの甲冑はやはり重いな」
「兵士たちも身を引き締めたことでしょう」
言葉とは裏腹に余裕の笑みを向けた大公に、炎騎士隊長はさらりと応じた。
通常大公は、司令官としての立場にあるため、甲冑ではなく軍服を身につけていた。それをあえて甲冑を身につけ陣頭に立って見せたのは、率いてきた部隊は元より、国民と、首都に集まって無為な会議を繰り返す諸侯に対し、本気を示すためだった
「それで、どうなのだ?」
「現状維持の意見が大勢を占めております」
「王子が無事に救出されたせいか」
「御意」
「やはりな」
魔王の侵攻は何かがおかしいと大公は感じていた。
思索に耽る間、従者たちは手際よく甲冑を外し行軍による埃と汗に汚れた体が濡れタオルで拭き取られ、香油が塗られる。
五〇を過ぎているが大公の肉体は、礼装を着こなせるほどに鍛え上げられ、並の騎士を凌駕する実力を備えている。
最後にマントが肩に止められ、礼装への着替えは終わった。
このまま、国王の居る城に向かう予定である。
軍隊を率いて急ぎ参上したと見せながら、直接城に向かうのではなく、一度別邸に立ち寄って着替え、平時を装う礼装で参上する。これにより、戦う決意を示しつつも、国民に過剰な緊迫感を与えず、面会する国王に過度な圧力を掛けないようにという配慮である。
「待たせたな。では参ろうか」
踵を鳴らして黙礼すると、炎騎士隊長が先に立って外へと向かう。
大公は玄関の車寄せ用意されていた馬車に乗り込んだ。
紋章が刻まれた白地に金と黒の装飾が為されたキャリッジと呼ばれる四輪馬車であり、護衛として一〇騎の炎騎士が居並んでいる。
炎騎士隊長が馬車に同乗し、御者に合図するとゆっくりと進み出す。
大公はレースのカーテンを指で少し開き、窓の外に見える城を見た。
丘の上を石の城壁で囲んだ堅牢な城がある。
国王が暮らし行政を行う王宮は、そこにある。
「ギシュボ、王宮をよく見ておくのだぞ」
「心得ております」
「王子はどうしている?」
「お変わりないご様子」
「変わりない、か」
娘ニンナの死の場面に居合わせながら、イムスタ王子は逃げるようにアデュオイ城へ帰っていった。表向きは魔獣再襲撃の危険があるためとされたが、そうではないと大公は考えている。
出方によっては少し強引な手を使わなければならないと、大公は腹を決めていた。
「局面は変わったというのに、王宮魔導師の力を当てにした防衛戦術とは、無策だな」
「かの国民を魔王の支配から解放するとの大義名分のため、国軍とは戦火を交えたくないのでありましょう」
「魔王の軍門に降ったのだ。元国軍は即ち、魔王軍だよ」
「御意。しかしながら、イーノット川流域を戦線とするには広すぎます」
「故に、初手でカシーシ市まで制圧する。王宮魔導師の力を借りて、となるが――」
「閣下が信用しておられたとは」
「信用するためだ。役に立ってもらわねばな」
「時代が変わりましたか。炎騎士隊はいずれ無用となるのでしょう」
「新たな有り様を見出すことだ」
「肝に銘じます」
「いずれにせよ、ニンナを殺した相手には、報いを与えねばならぬ」
馬車が揺れ、すこし傾く。
城へと向かう登り道に入ったのだ。
二段になった緩やかな斜面を登り切ると城門となる。
衛兵はいるが平時の昼間は開かれたままの門を潜り、狭い街路を進み何度か道を曲がると、表宮殿へと至る。王宮は表宮殿と裏宮殿に別れており、表は行政府で裏は王族の住居となる。
その表宮殿の車寄せに馬車は横付けされた。
慌てたように玄関から走り出てきた男がいた。
宰相のオジウ・アヤガムである。
たるんだ腹を揺らす姿が無様であるが、大公は心情を表に出すことはない。
宰相は二枚舌で両天秤の器用さがある。悪く言えばどっちつかずだが、良く言えば誰にでも顔が利く。平時に於いては均衡を保つ折衝の役回りとして重宝する。戦時では決断の遅さが問題となるだろうが、爵位の重さによって天秤を傾けられると大公は信じていた。
馬車のドアの前に宰相が立つと、御者台から降りた従者が踏み台を置きドアを開けた。
ゆったりとした所作で大公は降りた。
「よくぞおいでくださいました大公閣下。なにぶん急でしたので、準備が至らず――」
「急いだのだ。こちらも家の問題で忙しくてな」
「ニンナ様のこと、お悔やみ申し上げます」
「気遣いは無用だオジウ殿。戦時だ」
大公はずかずかと表宮殿の中へと足を進める。
宰相は腹を揺らしながら額に汗し必死に縋るように付いていく。
炎騎士隊長は、大公の後に従った。
「数は集まりそうか」
「殿下の無事なる帰還によって主戦論は弱まっていますが、必ずや」
「長引くならば、私が直接出向くことも厭わぬぞ。時が勝敗を握る」
「閣下が兵を挙げる様をお示しくださいましただけで十分にございます。後は私めにお任せ下さい。必ずや過半数の賛同者を集めてご覧に入れます」
「期待しているぞ」
「ありがたきお言葉。では私はこれにて失礼させて頂きます。会議の続きがございますもので」
「オジウ殿、気遣いに感謝する」
宰相は立ち止まって恭しく礼をすると、去って行った。
すぐに国王に仕える侍従が現れた。
頃合いを見計らっていたのだろう。
寡黙な執事に王の執務室に案内されると大公は、炎騎士隊長を外で待たせ、中に入る。
国王キチャガン・アショは複雑な表情をしていた。
大金貨に関する施策で口論となり、少しばかりギクシャクした関係になったからだろう。
だが大公は国王を幼少期から知っている。その頃から弟のように親しく接し、即位した後も私的な場では、兄弟のような関係を保つように務めてきたのだ。血縁としても大叔父に当たるため、腹を割って話そうという思いを込めて、大公は笑顔を作って近づいた。
「大公、この度はご息女の不幸、お悔やみする」
戸惑いがちに立ち上がった国王による、儀礼的な言葉だった。
戦時故弔問は不要とは伝えたが、親族でありながら使者すら寄越さない対応に、本音が現れているのだろうと大公は理解していた。
それでも友好的な立場をアピールするように、国王の上腕に触れた。
「王子が無事であったのが不幸中の幸い」
「イムスタの救出に尽力されたご息女には、感謝の言葉もありません」
「愛する王子を助けたニンナは、幸せだっただろう」
「そこまで思われた息子は、果報者です」
「キチャガン。堅苦しい話は終わりにしよう」
「そうですね。では座りましょうか」
国王の促しに応じて、ソファーに向かい合って座る。
改めて面と向かえば、国王キチャガンは、物憂い表情を隠そうともしていない。
その覇気のなさも、大公にとっては苛立ちとなる。
「私が兵を率いて来た理由、分かっているのだろう?」
「大公はいつから主戦派になられたのです?」
「戦局が変わったからだ。それに、ニンナが殺されて引き下がるようでは、武門の長たる大公家のメンツにも関わる」
「私怨に国が巻き込まれるのは困ります」
「ならばどうするのだ?」
「いずれにせよ、古来より戦争は秋の収穫を終えてからと、暗黙の了解があります」
「相手は魔王だぞ」
「それでも魔王との不可侵条約は可能と考えています」
「まだ懲りないのか? それで王子が捕虜にされのだぞ」
「魔王がイムスタをすぐに殺さなかった理由が、分かりませんか?」
大公は言いかけて口を噤んだ。
一つの推測はあるが、この場で語るべき内容ではなかった。
「――魔王が人間を信頼するには担保が必要だったのですよ。そもそもは、アミュング国の連中が愚かにも、北方の山奥に潜む魔王討伐を仕掛けた結果です。元々魔王はアミュング国占領の意図はなかったと思われます」
「誰の入れ知恵だ?」
「綿密な分析の結果です。軟禁されていたイムスタも、待遇は悪くなかったと言っていました」
「受け入れられんな。娘を殺した魔獣を従える魔王と条約など」
「でしたら、魔王軍が南方平原に出てくる前に討つべきでした」
「あの時点では大義はない。アミュング国の内政問題に過ぎなかったのだからな」
大公は敢えて言葉を切った。
魔王軍が南方平原に攻め込む前、アミュング国からあった援軍要請を拒否したのは、他ならぬ大公だった。危惧していたのは、建前論ではなく、兵を出した諸侯に対する恩賞を出せないことにあった。
人を助けるというきれい事だけで、命を懸けて戦いに行くのは愚行である。
戦争に行けば死者が出るだけでなく、肉体の一部を失う者も出る。そうした兵士が帰還して元の生活を送れなくなれば、人生は暗澹に沈む。せめて慰めとなる恩賞などをもらわなければ、割が合わないのだ。
だが、国庫から供出されるのは大金貨になる。
それをそのまま恩賞として渡せば、事実上目減りするため不平不満が募るのだ。国が価値を保証するとしながら、偽大金貨が流通してしまった上に真贋を見極める両替商が少ないために、事実上保証されないのと同じなのだ。加えて大公家には、従来の金貨に替えて払えるほどの余裕は失われていた。蓄えていた金貨の大半は、国庫に納める租税として吸い上げられてしまったからである。
「その結果、魔王軍の侵攻を許してしまいましたがね」
「陸上交易で利を上げようとした弊害だよ」
王国の北部では、川の水量が減る冬場は多くの中州が現れ、筏をつなげたような浮橋を使って馬車を渡せるようにしているのだ。上流の支流には灌漑用との名目でより水量を減らすための溜め池まで作った。そのため、浅瀬が多く、魔王軍の渡河を容易にしたのだ。
「それはどうでしょう。ただ、ディリア殿が現れなければ、首都は陥落していたでしょう」
「その前に、私が炎騎士を率いて守ってみせる」
「大公が守るのは、予の命か、それとも国民か?」
「両方だ」
何を言いたいのかと大公は王を見た。
問い質すまでもなく、国王は王位簒奪を恐れているようだった。
だからこそ大金貨政策で大公家を筆頭とする門閥貴族の力を削ぎ、魔王軍との戦争で疲弊させたかったのだろう。アマタイカ王国は、王族が政治、大公家は軍事と、役割を分担して独善による横暴を防ぐ体制を築いてきた。ところが魔物が人里に姿を見せるようになると、直接的な武力が重視される風潮となった。辛うじて力関係の均衡が保たれてきたが、大公家が保ち続けてきた炎騎士隊と軍隊に比重が偏っていたのは事実である。
とはいえ、国王の方も謀反を恐れたためか力を求めてきた。
白の騎士や黄の魔術師などの称号を与えて自前の武力を確保しようとしてきたのだ。
それでもまだ国王は不安を解消できずにいるのだろう。
大公は偽らぬ心で応え国王の目を見る。
だが、目を逸らされてしまった。
「いずれにせよ、魔王軍の渡河は時間の問題だったでしょう。ただ結果として、ディリア殿のお陰で、大公の助言にあったイーノット川を堀と見立てた防衛戦術に徹していられるのです」
「それも、魔獣が容易に渡河できない前提あっての話。だが前提は覆された。魔王軍が魔獣を主体とした先鋒部隊を作る前に、打って出なければ危うい」
「でしたら、大公に手本を見せて頂きたいのですが、どうです?」
「キチャガンよ、手の内の駒を出し惜しんでは、諸侯に示しは付かないぞ」
「出し惜しみなどするような手勢はおりませんが?」
「あるではないか。王宮魔導師のディリア殿とその弟子クリスティーネ。そして巨大ムカデを倒した少女ヤスラギだよ」
「ディリア殿とその弟子はともかく、ヤスラギなる少女の実力は疑わしいという話ですよ」
「何が疑わしいと? 巨大ムカデを光に換えて消し去ったのだぞ」
白の騎士や黄の魔術師のように、国王が養成した剣士ではないのかと大公は首を傾げた。
噂に聞くウォイク聖国に現れたという聖騎士の少女にあやかって、特殊な魔術武具を持たせた少女を象徴として担ぎ上げようと意図していたのではなかったのか。
「王宮魔導師の弟子が、魔法で倒した功績を奪ったというのが真相のようです」
「王子もそう言ったのか?」
「いや、息子は詳しく見てないそうです」
「他にも証人はいるだろう」
「イーブは確かに巨大ムカデが光の粒になって消し飛んだのを見たそうだが、あれは魔法や魔術には疎いのですよ」
「黄の魔術師は?」
「遠目だったそうだが、魔物の死骸がなくなったのは、魔法の類いと感じたと言っていました」
「では、白の騎士から、イムジム伯爵の件を聞いてないのか?」
「大金貨を偽造していた話でしょうか?」
国王は意味深な笑みを浮かべている。
心理的に揺さぶりを掛けてきたのだと分かる。
露骨に、偽大金貨作りに大公家が関わっているだろうと告げられたような気分である。
それでも大公は、平静を装う。
「いや、伯爵の別邸に突如大量の魔物が現れたのだが、それをその少女が倒したという話だ。しかも魔物は光になって消滅したというのだ」
「大公はお詳しいようですね」
「伯爵に仕える騎士にアダセン・アジミュという者がいるのだが、伯爵の死んだ後、伯爵領の安堵と騎士の身請けを頼みに現れた。その際に聞いた話だ」
「ほう、頼られましたか。さぞかしイムジム伯爵と親しかったのでしょう」
「何が言いたい?」
幼少期から兄弟のように親しくしてきたのだからと、腹を割って話し合おうと大公は国王の言葉を待った。
だが、国王は目を合わせてはくれなかった。
「いいえ。ただ、イーブはその場面を見ていないそうですよ」
和解への努力を拒絶するような国王の態度は、終始変わらなかった。
その後も大公は説得を試みたが、国王は目を合わせようとしなかったのだ。言葉を尽くしたが、手応え虚しく、時間は過ぎ去って去ってしまった。
帰路の馬車で、大公は珍しく、炎騎士隊長に愚痴を言った。
「この戦、我が王国は負けるな」
「今こそ我ら炎騎士を使う機会では?」
「長期戦の覚悟が必要だ。大公家の意向を汲んでくれる諸侯は多いが、その軍勢の大半を投入すれば、国の中心に兵力の空白地帯が生まれる」
「ウォイク聖国に突かれますか」
「軍事ではなく、思想によってな」
「厄介なものです。聖言教とは」
「ゆえに、知恵が必要なのだよ」
大公は言葉にこそしなかったが、二つの可能性を考えていた。
どちらも毒を以て毒を制すという方法になる。
一つは、魔王に近づきその知見を得る方法。
もう一つは、聖言教を受け入れ神の叡智を得る方法。
いずれを選んでも、アマタイカ王国が滅ぶ未来しか見通せないため、人には話せないのであった。
国を守ろうとして国を滅ぶ道を選ぼうとしている未来へ、大公は冷ややかな笑みを向けた。




