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  Ch.1.1:美少女と、契約

 異変を感じてヤスラギ・ユメカは目を開けた。

 顔立ちに幼さを残しているが、言うなれば美少女である。

 肌はなめらかなシルクのようで、淡雪に差す朝陽のような唇が色めく。


 まさか――、

「あたしの出番?」


 地面から振動が伝わってくる。

 馬車が走り、荷台が軋む音。

 荷台を引く馬は二頭の息は荒いが、鞭を振るう音は聞こえない。


 その後方、地を蹴る蹄の音を打ち消すような重い音が響いてくる。

 まるで土砂崩れのような振動だが、リズムがあり、規律のとれた軍隊のようである。

 明らかに軍隊の移動による振動よりも大きい。


 草原の真ん中に寝転がっていたユメカは、すっと体を起こす。

 口元に笑みが浮かんでいる。

 遠く、大地を震わす振動が音として伝わってくる先を見つめる。


「どうやら、当たりね」


 ユメカはゆっくりと立ち上がると、燃えたぎる情熱を表すような赤く長い髪が背中で揺れる。

 両腕を天に向けて伸ばして全身をほぐしながら、不意に出た大あくびの口を右手で申し訳程度に隠しながらも、視線は振動の発生源から逸らさない。

 その手を降ろし、手首に付けていたリボン付きのヘアゴムで髪を後ろで束ねてポニーテールにする。


 適度に膨らむ胸。

 谷間がわずかにのぞく白い服に深紅のベルト。

 左右にスリットの入った薄緑のロングスカートから白く輝く足が見え隠れする。

 茶色のブーツを履いた足で大地に踏ん張り、腕に付けた黒のアームカバーの状態を確かめる。


 ゆるやかに大きく息を吸って軽くジャンプし、着地と同時に一気に吐き出す。

 全身に気迫が漲る。

 すでに臨戦態勢にあった。


「――さて」


 ユメカは額に手をかざして凝視する。

 遠く砂煙の中、馬車がものすごい勢いで走ってくるのが見えてくる。

 その左側、馬車の後方、大量の砂塵を巻き上げる何か迫って来る。


 二頭立ての馬車が左から右へと疾走する。

 乗り手は一人。

 鬱陶しいくらいに髪が伸びている上にヒゲもじゃで顔は見えない。

 少なくともユメカのタイプではないが、それはどうでもいいことだった。


 荷台には重そうな大きな箱が一つと、他に何やら積んでいる。

 それなりに資産を持っていると分かる。

 左に視線を動かす。

 追い掛けてくるのは土の体を持つゴーレムだった。

 ユメカから笑みがこぼれ落ちる。


「チャンス到来、かな?」


 屈んで草原に埋もれるように置かれていた長剣を持ち上げ、その勢いのまま空に投げた。

 くるくると回転しながら落ちてくる剣を左手で掴み取ると、手慣れた所作で鞘の金具を、ベルトの左腰に付けられたフックで吊り下げる。

 揺れる剣を左手で抑え、標的に狙いを定めた。


「久しぶりの獲物だ。しかも、一石二鳥!」


 ユメカは地を蹴り、走る。

 細身の体からは信じられないスタートダッシュだった。

 駆け出すとさらに速度が上がり、チーターよりもハイスピードとなる。

 草原を駆け抜ける風だった。

 ユメカは馬車を追いかけるゴーレムを見る。


 背丈はユメカより少し高いくらいだが、ざっと見ただけでも三〇体はいる。

 言うなればモンスター、あるいは魔物。

 魔物なら人間じゃない。


「やっぱり、ラッキー♡」


 ユメカは弧を描くように駆けて馬車に近付く。

 荷台に積まれた荷物の隙間に跳び乗る。

 衝撃で荷台が傾き、馬車の速度が一瞬落ちる。

 ユメカが乗った分だけ、馬への負荷も増えたらしい。


 御者台の男が驚いて振り返ってくる。

 長く伸びた前髪が揺れた隙間から顔立ちが見える。

 人生にくたびれた男のようだとユメカには思えた。

 やはり好みのタイプではないが、もちろんそこはどうでもいいのだ。

 前を見ることすら忘れて呆然とただ見つめてくる男に、ユメカは不敵な笑みを向ける。


「ねえあたしと」

 馬車が揺れて軋む音が声に重なる。

「――する?」


 挑発するように右足を御者台の上に乗せ、腰の剣を見せつける。

 スカートのスリットから太ももが露わになり、白く滑らかな肌が太陽に晒され眩しく輝く。

 まばゆい光がユメカを包む。


「へ?」


 長い前髪とヒゲで表情は良く見えないが、男が動揺している様子が手に取るように分かる。

 ユメカにとっては滑稽でしかない。

 好意的に察するなら、美少女からのそんな申し出だから、真偽を疑っているのだろう。

 だからいつも、報酬は事後に受け取ると決めている。


「だからあたしと――」

 道のカーブで荷が動いてぶつかり合う音に声が打ち消される。

「する?」

「それは、君とそのう、あれかい?」


「そう、あたしと」

 ユメカは左腰の剣の鞘を持って見せつけるように前に寄せ、鯉口を切って見せ、カチャリと鳴らして戻した。

「――するか、しないかよ」


 ユメカは挑発するように御者台に乗せた右足の上に肘を突いて前屈みになる。

 少し開いた胸元の警戒領域に男の視線が入り込むのを感じる。

 エサに食いつく愚かなカモなのだ。


「な、ナニを?」

「何って、それは見て分からない?」

「いやあ、こんな状況じゃなければ喜んで」

「こんな状況だからよ」

「わ、分かった。オレも男だ。一肌脱ごう。だが、ことを致すのは落ち着ける場所に行ってからにしないか?」

「どこ?」

「この先のイムジム・タウン」


 好都合だとユメカは頷く。


「なら契約することで、オッケー?」

「するする、前のめりでオッケーさ」

「対価は命の値段ってことで、いいわね?」

「オッケーオッケー、オールオッケー。天国での再会は願いさげだけどな」


 風で顔を隠すほどの長い髪かたなびき、下卑た笑みを浮かべたヒゲの口元が見える。

 男とは、下心で前のめりになって転んで顔面を打ち付ける愚かな生き物なのだ。

 それに、仮に死んだならこの男が天国に行けるとは思えないので、その場合は未来永劫の別れとなるだろう。

 だが、それは問題ではない。


「じゃあ、契約成立。イムジム・タウンで待ってなさい。待っててくれないと、お仕置きよ」


 ユメカはサムアップする。

 ノリの悪い男らしく、きょとんとしている。

 別の本来あるべきポーズを知っているはずもないから、あまりの恐怖に状況を理解できていないのだろう。


 いや、そうではなかった。


 男はゆっくりと頭を下ろしている。

 足を上げたことで現れたスリットの隙間からスカートの奥を覗こうとしてくる。

 常識と良識を疑いたくなるありえない露骨な行為に、ユメカは呆れた。


 だが、絶対領域の防御は完璧である。

 とはいえ、男の先走った行為を許容する寛容さはユメカにはない。

 鞘を持ったままの左手を突き出した。


 うげっ!

 剣の柄頭が顎にヒットし、男が呻いてのけ反る。


「前を向きなさい、前を!」


「おおっと」

 道のくぼみに車輪が落ちて、馬車が大きく跳ね上がった。

 男の体も一度御者台から浮き上がって落ちて尻を打ったが、ユメカは柔軟な足のバネで衝撃を吸収した。


「なあ、イムジム・タウンで待ってろと言うが、君は一緒に来ないのか?」

「契約したからあたしはあれをどうにかするけど、何か?」

 ユメカはサムアップした右手の先を、背後の土人形に向ける。


「子ゴーレムをか?」

「そう。襲われてんでしょ?」

「というか、追われてる」

「同じことじゃない」

「でもまあ、鬼ごっこみたいなもので」

「変なヤツ。けど、人を襲う魔物でしょう?」

「だが、危ない」


「大丈夫よ、あんなの」


「あれにちょっかい出すと、親ゴーレムが出てくるんだぞ。その前に逃げ切るのがセオリーだ」

「あら、情けないのね。それであたしを満足させられるつもり?」

「へへへ。あっちの方は大丈夫さ、安心してくれ」

「それは楽しみね。それなら、キレイにそろえて待ってなさい」


 ユメカは御者台から足を下ろして後方を見る。

 ゴーレムが、迫ってくる。

 魔法によって土から生み出された人形のくせに、馬車に遅れない速度で走り続けてくるのは、術者が近くにいるからなのだ。


「あ、忘れてた」

 ユメカは顔だけ御者台を振り返る。


「なんだ?」

「あんた、名前は?」

「オレか? オレはト、トドロキ・ハリケーン」

「は? 何その痛い名前」


 轟とか、濁音を含み画数の多い漢字を好むのは、痛々しい感性の持ち主なのだ。

 しかもハリケーンなどと、勇ましそうな英語を使う精神性が、それに一層輪をかけている。

 重度な病に取り憑かれているのだろう。


「君に見とれて思わず口を突いて出た」

「ふうん」

「なんだ? 不満か?」

「まあどうでもいいわ」

「それで、君の名は?」


「あたしは、美少女剣士ヤスラギ・ユメカ」


「げ?」

 長い前髪で覆われた目がちらと見える。

 小馬鹿にするような嘲笑を含んでいるようにユメカには思えた。


「なんか文句ある?」

「い、いやあ、今ご自分で美少女とおっしゃいました?」

「見ての通りよ」


 ユメカは右手を腰に当て、男を見くだす。

 唐突にまた、大きく馬車が跳ねて。

 荷台の隅に積んであった革袋が弾みで荷台から地面に落ち、ジャリンと金属がぶつかり合う音が聞こえた。

 ほぼ同時に、木箱の中から「ウガァ」と唸る声が聞こえた。


「ああ、オレの財産が――」

「いくら?」

「金貨五〇〇枚はある」

 強欲に身銭を溜め込んでいたのだ。

「だったら、二割はあたしのものだから」

「え?」

「じゃ、後でね」


 ユメカは荷台を蹴って大きく跳ぶ。

 慣性力など気合いで無視して着地し、地を蹴って落ちた革袋にいち早く駆け寄る。

 屈んで持ち上げようとする。

 ずしりと重い。


「マジ大金みたいだ――え?」


 ユメカが袋を開けて中身を見ると、入っていたのは金屑だった。

 ひっくり返して中身を地面に出すが、ことごとく錆び付いた金屑で、黄金の輝きは欠片もない。騙されたのだ。


「あいつ――」

 振り返って視線の先に男の姿を追う。

 だが、馬車は既に遠くへ走り去っていた。


「あたしを騙すなんて――。けど、お楽しみが先ね」


 ユメカは視線を戻す。

 土人形のゴーレムが、目の前に迫っていた。

 剣の鞘に左手を添えたまま身構えるユメカの表情に、笑みが浮かんだ。


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