Ch.3.11:美少女の、関知外
ユメカは急いで桟橋に駆けつける。
犬かきで泳いで来たジョンが桟橋に上がり服を脱いで絞っている横を走り抜け、王子に詰め寄る。
アカッシャは左頬を抑えながら、目に涙を溜めている。
「やめなさいよ、人を叩くのは」
「あ、君は――」
振り向いた王子の怒りの表情が瞬間笑顔になる。
場違いな反応だとユメカは冷ややかな目を向けた。
「――夢ではなかったのだね」
「ユメカよ、あたしは」
「ではやはり、君が私を助けに来てくれたのだね」
「成り行き上仕方なくね」
「仕方なく?」
「そう仕方なくよ。でもそんなことより、ダメでしょう」
「なんの話だ?」
「アカッシャを叩いたでしょう。人を叩くのはダメなの!」
「同感だよ、マイハニー」
パンツだけを履いたジョンが、ユメカの肩に手を伸ばしてきた。
「気安く触ろうとするな!」
ユメカはその手を掴むと、くるっと回して再び湖に投げ落とす。
今度は水柱は上がらず虹も出なかった。
「やっぱり駄犬ね。一度きりの芸なら、まぐれだわ」
「溺れそうだワン」
「おお、これは大変だ。助けねば」
王子がジョンに向かって手を差し出すが、立ったままなので届くはずもない。
心意気だけは分かるが何かがずれているとユメカは呆れた。
「殿下の御意は私が受け取りました。今助けてあげます。【氷結の魔女】」
アカッシャが慌て魔術を発動させ、吹雪を起こして湖面を凍結させる。
先程クリスティーネが使った魔法と比べるとごく小規模だが、それでもピキピキと湖面が瞬時に凍り付き、藻掻くジョンを氷像に変えてゆく。
「ああ、何をやっているのだアカッシャ。氷漬けになってしまうぞ!」
王子は慌てふためき、足を踏みならし、アカッシャの背を急かすように何度も叩く。
「これは失礼をば殿下。今すぐ解凍します。【真紅の線状帯】」
手の先から火炎放射が放たれる。
氷が溶け、さらに内なるジョンを燃やし始める。
「あちあちあちぃ」
ジョンが溶けた水面でもがいていると、水面が沸騰し始める。
「い、いかん、それはいかんぞアカッシャ。今度は丸焼き丸湯でになってしまう」
「ま、まあ、大変、どうしましょう。仕方ありませんから、【輝く光弾】ですべてなかったことにしましょう」
「お、おう。そうだ、それがいいアカッシャ」
「はい、殿下。直ちに」
「ストーップ!」
物騒な会話をする王子と黄の魔術師の間にユメカが割り込む。
ユメカが振り返って追いかけてきたクリスティーネに視線を向けると、すぐに意図を察して頷いてくれた。
「はい、オネーサマ」
クリスティーネが魔杖を向ける。
「【鎮静の噴霧】!」
たちまち火が消える。魔力の消失に伴って局所的な沸騰は収まり、冷えてゆく。駆けつけたイーブが湖に飛び込み、ぐったりとしたジョンを抱えて泳いでくると、桟橋に引き上げた。
ユメカは駆け寄ってジョンの容体を確かめる。
全身の皮膚が赤くなっている。
重度の火傷状態のようだった。
「【癒やしの抱擁】」
クリスティーネが続けて魔法を唱えると、ジョンの体がゼリー状の物質で包まれた。
治癒魔法の効果か、みるみるジョンの火傷が治って行く。
さすがは大魔導師だと、ユメカが感心し、ほっと胸をなで下ろす。
ジョンの指がピクッと動いた。生きているようだ。
「ふ……」
声が聞こえた。
「え、なにか言いました?」
クリスティーネが耳を近づける。
「復活の――」
ドゴッ!
起き上がろうとしたジョンは、魔杖で殴られ、撃沈した。
「わ、わたくしの絶対領域は完璧防御なのです」
「そうそうよ、黒クリちゃん。やるう」
「はい、オネーサマの教えの通りです」
ユメカはクリスティーネとハイタッチをして勝利を称え合う。
「魔杖で木槌のように殴るとは、無惨――」
「ん? 何か言った?」
ユメカが腕組みをして、駄犬を見おろす。
「木槌で無惨、きぶ――」
ブツッ!
足元にクモのように這ってきたジョンの右手を、ユメカは躊躇なく踏み潰す。
どさくさに紛れてスカートをめくろうとしていたのだ。
死んでも懲りないゲス野郎である。
「ひでぶ」
「だーれがデブだ。油断も隙もない駄犬だわ。行きましょう、黒クリちゃん」
「はい、オネーサマ」
ユメカは駄犬を捨て置き、会話が噛み合わない王子と黄の魔術師を放置し、改まる白の騎士を脇目に、クリスティーネと手を繋いで岸へと向かった。
「殿下、ご無事で」
その場に残ったイーブが跪く。
「白の騎士か。ということは、父上の差し金か?」
「さにあらず」
「ふん。まあいい。だが先に行け。道がつかえている」
「こ、これはご無礼を」
イーブが腰を浮かせて後ろ向きに桟橋を岸へと戻っていった。
「それでは殿下、我々も戻りましょう」
アカッシャが桟橋に横たわるジョンを踏み越えて岸へと向かう。
ぎゃふん、と鳴く声は二人には届かない。
「私は戻りたくないのだ」
「本当ですか、殿下」
アカッシャがジョンを踏み戻って王子の側に立ち、その手を握り締める。
プギィというジョンの奇声などまるで耳に届く様子がない。
「私は本気だ」
「殿下、嬉しく存じます」
アカッシャは王子の両手を包んで胸に抱く。
「ど、どうしたのだ」
「殿下は、わたしと駆け落ちしたいとおっしゃるのですね」
「な、何を言うのだ今更。お前とは身分が違う」
「ですから、二人で愛の逃避行なのでは?」
「そ、そうかその手があったか」
「はい。生涯お伴します」
「ならば付いて参れ、魔王を追い出し、我が王国を作り上げようぞ」
「はい、殿下。いえ、陛下」
「そなたは我が第一の家臣となるのだ」
「はい、唯一の妃になります」
「宮廷魔術師として遇しよう」
「はい求婚魔術師は陛下のものです」
「そして究極の防御を固めるよう命じよう」
「御意のままに求愛の巣を作り堅牢な守りを築きましょう」
「難攻不落の居城にて、我がハーレ――」
「あ――ちょっといいかな、お二人さん」
桟橋に寝転がるジョンが王子の言葉を遮って声を発し、二人を見上げて手を上げた。
「なんか、足元に魔物の生き残りがいるようです殿下」
「なに、目障りな、焼却せよ」
「御意!」
「待て待て、オレはニンナさんから依頼を受けてきたんだ」
「殿下、邪悪な影が迫って参りました」
「ここは任せる。私は逃げる」
「まちなせい、旦那」
駆け去ろうとする王子の右足にジョンはしがみついた。
「殿下、最後までご一緒します」
なぜかアカッシャが王子の左足にしがみついている。
「は、放せ」
「行かないで殿下!」
「なにやってんだ、あんた」
ジョンはアカッシャを見て首を傾げる。
「そういうあなたこそ何ですか。人の恋路の邪魔をして」
「オレは駄犬のジョン、もとい、便利屋エブリシン・オルオケだ」
「なに、あの便利屋か?」
王子が立去ろうとする動きを止めた。
「そう。その便利屋です」
「金さえ積めば何でもするという?」
「できない仕事は断るが、駆け落ちの手伝いぐらいならできるぜ」
「本当ですか」
アカッシャがジョンの手を握りしめた。
「ご用命とあらば」
「殿下、希望の光が見えてきました!」
「そのようだな。では私はこの男と話がある。しばし席を外してくれ」
「殿下、私と殿下は一心同体。何も隠し立てする必要はないのです」
「いや、そうではなく」
「いいえ! 私は殿下に隠しごとはしません」
「だからアカッシャ、私は便利屋と男同士の話が――」
「それは差別です。女だからと魔術師なのに一人前線に追いやられるイジメの数々。ですがお陰で殿下をお助けできたのです!」
「ちょっといいか?」
ジョンがアカッシャに耳打ちする。
「なーんだ。そんなことでしたら仕方ありません。では、岸で待ってますから、驚かせてくださいね」
アカッシャは満面の笑顔でスキップしながら桟橋を岸へと向かって行く。
「う~ん。ちょろい」
ジョンは遠ざかるアカッシャの後ろ姿を見送った。
「便利屋、何を言ったんだ」
「王子からサプライズの相談があると言ったのさ」
「言ってないぞ私は」
「だが、あの人が勝手にサプライズプロポーズの相談だと勘違いしたから向こうに行ってくれたってことだ」
「そうか。アカッシャは美人なんだが、性格に問題があってな」
「似たもの同士だ」
「失礼な。あれと話していると、感化されてしまうんだ」
王子は腰に手を当て、深いため息をはいた。
「調子は狂いそうだが――」
「ところでエブリシン・オルオケよ。ニンナから私を連れ戻せと依頼されて来たのか?」
「その通りだが、王子を連れ戻ったとしても、まともに報酬をくれないかもしれないのさ」
「男を手玉に取る、そんな女だ、ニンナは」
「いろんな玉を握っていそうだ」
ジョンがニヤニヤを下品な笑みを浮かべた。
「そこでだ、男同士の話をしたい」
「オレに? あっちに白の騎士もいるぜ?」
「忠誠心がどこに向いているか分からぬ者より、カネに忠誠を誓う商売人の方が信用できる」
王子は黄金の腕輪を外してジョンに差し出した。
受け取ったジョンは、その重さを確かめて受け取った。
「上物だが、相談料くらいだな、これじゃあ」
「城に戻ればもっと出す」
「なら話を聞こう」
王子はジョンの肩に手を乗せると体の向きを変え、二人は岸に背を向けて立った。
「実は、婚約者のニンナだが、あれは男好きなんだ」
「殿下は知っていたのか」
「当然だ。毎晩のように男を部屋に連れ込んでいるというたれ込みはいくつも来ている」
「毎晩とは、ニンナさんのあの顔つき、伊達じゃないな」
「わ、分かるのか?」
「色々な女を見てきたオレには、好き者かどうか、顔で分かる」
「ほう。その鑑定眼、是非とも活用したいな」
「必要とあれば」
「では例えばだが、あのユメカとかいう美少女はどうだ?」
「あれはダメだよ、殿下」
「確かに少し強引で男勝りだが、優しさは感じるし、何よりあの年齢ならば男を知らぬはずだ」
「いいや。とにかくダメだ。絶対ダメだ。なぜなら――そう、オレを犬扱いするからだ」
「な、そ、そうか。そうだな。お前を投げ飛ばしていたな」
「凶暴すぎて、王子だったら殺されるぜ」
王子はしばらく考え込んだ。
「うーむ。残念だ。あと何年かすれば、素晴らしい美女になると思ったのだが」
「惚れたのか?」
「い、いや、暴力を振るう女は却下だ。逆はありだが」
「ならいい。じゃあ、本題に移ってくれ」
王子は咳払いし、念を入れるように左右を見て人影がないのを確認した。
「私は、不貞を働く女を、妻に迎えたくないのだ。つまりニンナから逃れるため、魔王に庇護を求めたんだ」
「驚いたな。拉致監禁されたと言われたが」
「魔王が私を匿ってくれたのだ」
ジョンは考え込んだ。
「そうでもしなければ逃れられない、しがらみか?」
「その通りだ」
「とはいえ、ニンナさんは、あんたを助けたがっていたのは間違いない」
「この静かな環境で考え、目的が分かった。ニンナは、いや大公家は、王位を狙っている。婚姻した後に私を殺し、ニンナを女王にする計画なのだ」
「王位簒奪とは、厄介な話だ」
「そうだ、そうなのだ」
王子は悲嘆の共有を強要するように何度も頷き、ジョンの背をバシバシと叩く。
「そこで相談だ。ニンナを、いや、大公家を失脚させるいい方法はないか?」
ジョンは腕組みをして首を傾げた。
「あの女魔術師と駆け落ちの話はどうなった?」
「それでは私の理想は描けない」
「王子の理想って、なんだ?」
「これは極めて重要な秘密事項なのだが」
「俺の口は堅いですぜ、旦那」
「ならば話そう。私は、沢山の美女を囲いたいのだ」
「そいつはもしかして、男の理想郷ですかい?」
「そうだ。ハーレムの園を作りたいのだ。父上も、祖父も曾祖父も、そうしてきたが、美女同士の争いは醜い。だからこそ、全員を私の色に染め上げねばならぬ」
「そいつは強欲ですぜ、旦那。ヒッヒッヒ」
「だがこの大望、成し遂げねばならぬのだ」
「ですが旦那、ニンナさんもその一人に加えたらいいのでは?」
「どこの誰かも知らぬ男が寝ていた温もりの残るベッドに入る気持ち悪さを想像してみろ」
ジョンは深刻な表情になった。
「それは嫌だな」
「そういうことだ。だから他を知る女はダメなのだ」
「でしたら、あの女魔術師はどうなんだ? 誰が見ても王子一筋だろう」
「アカッシャはダメだ。私を縛る」
「そっちの趣味の女か?」
「そうではない。妾を許してくれぬのだ」
「理想郷が作れないと?」
「ああ。そこが大問題なのだ。それこそ、他の女に手を出せば、アカッシャに殺されかねん」
「大体分かったが、それで王子はどうしたいんだ?」
「私は、王になりたい。王にならねばハーレム構想は潰えるのだ」
「そうだろうな。権力と財力がなければ、女は囲えないな」
「だから王になる。それに王となれば、明確な身分の違いによって、アカッシャを従えられるようになる。あいつは美人で、私の好みではあるのだ。私の理想さえ邪魔しなければいい女なのだ」
「そういう考えを持つのは王子の自由だし、そんなあんたの複数の妃の一人になりたい女も、それは自由だが――」
「王となるには、大公の意向は無視できぬ。つまり、ニンナとの婚姻は避けられないのだ。だが、私は避けたい」
「それで便利屋であるオレに、大公を失脚させろと?」
「報酬は望むまま取らせよう」
「そういう太っ腹は好きだが、ひとつ問題がある」
「なんだ?」
「実はここに来る前、オレもニンナさんに誘惑された」
「寝たのか?」
「逃げた」
「ならば問題ない」
「いいや大問題だ。誘惑した事実も、関係を結べばお互いの秘め事として闇に葬る暗黙の確約になる。だが、誘惑した事実だけが残された。それでもオレが依頼どおりに王子を連れ帰ればどうなると思う?」
「便利屋が私に不貞未遂の事実を告げていると、疑心暗鬼になるわけか」
「そうだ。オレが言ったか言わないかに関わらず、オレは闇に葬られるだろうな」
「ならばどうすればいいのだ」
「ニンナさんの不貞を暴き婚約を解消するのが、やはりいい」
「その事実が発覚しても、証拠はないし証人も現れない。公然の秘密として闇に葬るだけの力が、大公にはある」
「それなら、面目は立てて実を取るというのはどうだ?」
「どういう意味だ?」
「いずれにせよ、ニンナさんの不貞の事実を、少なくとも本人が言い逃れできない状況で押さえるのが先決だな」
「だが、もみ消される」
「公にすれば大公家のメンツが潰れるから、逆に秘密にし、婚約解消はしないと先に伝えるんだ。事実の隠蔽によって恩を売り、主導権を握る」
「ほう。それで?」
王子が前のめりになった。
「ニンナさんと表向き結婚しても、不貞の事実を盾にすれば、関係を拒む口実になる。その間に、早々に妾か第二王妃を作ることだ。できれば有力貴族の娘がいいだろう。子ができればさらに有利になる。大公家の発言力を相対的に低める。ニンナさんはストレスから、男を招くだろう。そこで不貞を暴けば決定的だな。その先は、その時の情勢によるが、大公家の権力を少しずつ削って没落させられる」
「おぬし、悪だなあ」
「王子様ほどではございません」
わっはっはっは。
ジョンと王子がバカ笑いをする声がカルデラ湖に響く。
岸にいるユメカは、冷ややかな目で二人の姿を見ていた。




