Ch.3.7:美少女の、救出行
ユメカはクリスティーネを背負っている。
歩きながら眠りそうになっていたからである。
さすがに夜通し山道を歩くのは、クリスティーネにはきつかったのだ。
峠を越えると、魔物の気配は遠退いた。
遠く東の空は、わずかに漆黒の闇から紫に変じ始めている。
「オネーサマ?」
「あ、起きたね、黒クリちゃん」
「ええと、わたくし寝てしまったのですか?」
「少しだけね。どう、自分で歩ける?」
「はい」
ユメカはしゃがんでクリスティーネを背中から下ろす。
見渡せば、山頂は外輪山となっており、中心はカルデラ湖だった。
暗闇の中、星明かりが反射して輝いて見える部分が湖である。
大昔、噴火で山頂が吹き飛んでできた湖だという。要するに噴火口に水が溜まっているのだ。その中心に浮かぶ島に、王子が捕らわれている砦があるという。
「やはり、魔物はこの内側には近付かないようですね」
「なにかあるの?」
「守護者がいるのです」
「なにそれ」
「巨大ムカデです。湖にある島の砦に近付くものは、人も魔物も魔人も、区別なく巨大ムカデが襲ってくるのです。ただ、湖岸に棲む魔獣とは共生関係にあるようです」
「ムカデかあ。あの足が沢山ある虫だよね。ちょっと気持ち悪いな。毒もあるだろうし」
「ですから、気づかれないように、潜入します」
「そういうことなら任せて。今からあたしは、隠密美少女になるから」
ユメカは胸を叩いた。
「おんみつ?」
「童心に帰るのよ。小さい頃忍者ごっこしたことない?」
「いえ、ありません。私がしたのは、王子とお医者さんごっ――はっ! 私は何を言っているのでしょう。忘れてください。何もありませんですから!」
「どーでもいいから、早く行こうよ」
「はい。こちらへ」
ユメカは袖口を引っ張られてクリスティーネを見た。
「オネーサマ、お医者さんごっことは、何をするのです?」
「邪気の有無で目的が変わる遊びよ。美少女のあたしはしないわ」
「では、わたくしも致しません」
「うん。それが健全だよ、黒クリちゃん」
「しっ! ムカデに気づかれていまいます」
目指す場所が視界に入ったからか、アカッシャは一層張り切って、現場を仕切るリーダーのように先頭を歩く。
湖上に浮かぶ島は、こんもりとした山の先端だけが突き出したような形をしており、全体は木々で覆われているが、山頂に砦らしき建物が見える。
逸る気持ちを抑えるように、斜面をカルデラの底へと降りた。
ちらほらと、茂みの陰に魔獣が横たわっている姿が見える。
夜明け前のため、多くの魔獣は眠っている。
薄闇の中、魔獣を起こさぬように極力静かに湖畔に急ぐ。
湖畔には桟橋がひとつあり、一艘の小舟が係留されているのが見える。
桟橋に最も近い茂みに隠れて周囲の様子を探った。
「七日に一度、魔王の手の者が食料などを運ぶために利用する舟です。あれを使って島に上陸します」
「砦って言うけど、中に人は少ないようね」
「よく分かりますね」
「当たり前じゃない。あんな小舟で七日に一度運ぶ食料で、何人食べられると思ってるのよ」
「ああ、なるほど」
アカッシャは大げさに納得した。
「大丈夫?」
頼りになるのだろうかとユメカは訝しむ。
「はい。では、行きます」
星明かりを頼りに、身をかがめて桟橋の先端まで走った。
イーブが舫い綱を引いて小舟を寄せる。
アカッシャが先に乗ると、ギイっと木造の船体が軋む音が闇夜に響く。
動きを止め息を潜め、周囲の気配を探る。
幸いにして、魔獣に気づかれた様子はない。
続いてユメカとクリスティーネが乗り、最後にイーブが小舟に片足を乗せる。
舟が大きく傾いで、揺れ、桟橋に当たってゴンと音を立てた。
魔獣が吠える声が聞こえた。
気づかれたかと焦ったが、すぐに周囲は静まる。
「重量オーバーになりそうね。イーブが乗ると、王子を乗せられなくなるかもよ」
ユメカの言葉に頷き、イーブは足を桟橋の上に戻した。
「そのようだ。では、王子の救出はそちらに任せて、俺はここで待たせてもらおう」
イーブは舫いを解き舟に投げ入れると、桟橋の縁に座って舟を足で蹴り、沖へと送り出してくれた。
「お任せ下さいイーブ殿、私が必ずや絶対に王子の心を射止め、いえ、救い出して見せます」
アカッシャの凜とした宣言が湖上に響き渡る。
ユメカは慌てて「シーッ」と言うが、手遅れのようだった。
ギャア。
鳥が鳴く声が聞こえ、羽ばたく羽音がワシワシと響いてくる。
巨大な鷹のような魔獣だった。
湖面すれすれを風のように飛んでくると、舟と桟橋の間を飛び抜けた。
ギャー、ギャー。
鳥は上昇すると、上空で旋回しながら鳴き始める。
岸の魔獣たちが動き始めた物音があちらこちらから聞こえてくる。
「早く島へ」
ユメカの声に応え、アカッシャが左右のオールを手に漕ぎ始める。
だが、なかなか前に進まない。
同じ場所をぐるぐる回っている。
ただ湖面で水音をバシャバシャと立てるだけで、魔獣に居場所を教えているだけだった。
「なにやってるのよ」
「わ、私は頭脳労働専門なのです」
その割には頭脳戦にも弱そうだとユメカは思ったが、それを指摘したところで物事が改善する訳はない。
「仕方ないわねえ。あたしは美少女船頭じゃないんだけどね!」
舟を揺らさないように慎重に場所を入れ替わり、ユメカがオールを持って漕ぎ出す。
見る見る舟の速度が上がる。
横木に足を踏ん張る、全身運動である。
クリスティーネが教えてくれる方向に調整しながら湖上の島の桟橋に到着した。
舟をロープで桟橋に結ぶと森の斜面に一筋ある道を駆け登る。
森を抜けた。
空が白んできて、周囲が良く見える。
木を切り倒して平坦にした場所に、砦がある。
砦と言っても二メートルくらいの板塀で囲われただけの、簡易な作りで歩哨の姿もない。
幸いにして、砦内からの物音はない。
「それで、どこから入るの?」
「門からに決まっています」
「正面突破?」
「いえ、入り口ですから」
「まあ、いいわ。案内しなさい」
話が微妙にすれ違っていると感じながらも、ユメカはアカッシャに任せた。
門に近付き、アカッシャが扉を押した。
「あれ、門が開きません」
「そりゃそうでしょう」
「ですが、荷物運びはここから入っていたのですよ」
「呆れた。普通鍵とか閂とかしてあるでしょう」
「おのれ、あくまでも私と王子の間を邪魔するとは、もう許しません!」
「あたしが中から開けてくるから、ちょっと待っ――」
ドッカーン。
ユメカが言い終わる前に、アカッシャが門を魔術で吹き飛ばしていた。
爆音が外輪山の斜面に反響する。
完全に秘密裏の救出作戦ではなくなってしまった。
「なにか、言いました?」
「もういいわ。こうなったら急ぎましょう」
「もちろんです。王子のアカッシャが参りましたよ! どこです!」
砦内に駆け込んでいく。
想像に反して、警備兵も魔人も魔獣も魔物も、まったく現れなかった。
砦と言っても作りは普通の屋敷のようで、一箇所、望楼のような場所がある。
アカッシャの勘なのか、特技なのか、真っ直ぐに望楼の階段を探し当て、登った。
最上階のドアを開けると、中は質素だが広い部屋で、中央のベッドに人が寝ていた。
イムスタ王子なのは、アカッシャがすぐさま駆け寄ったので間違いない。
「殿下、愛しの殿下、アカッシャが助けに参りました」
だが、王子は深い眠りから覚めない。
「こ、ここはお約束の、目覚めの口づけ――」
「本人の意志に反して寝込みを襲うんじゃないの!」
ユメカは眠り込む王子の唇を奪おうとするアカッシャを押しのける。
「起きろーっ!」
替わりに王子の頬をはたいた。
「うーん」
はっとしたように王子が開けた目と、ユメカの目が合った。
「ああもしや、私の麗しの姫か?」
「違うわ、ユメカよ」
「なんという美少女、これは夢か幻か」
王子に抱きつかれそうになった瞬間、今度はユメカがアカッシャに突き飛ばされた。
その勢いを利用して飛び退いたユメカが見たのは、代わりに王子に抱きしめられたアカッシャが、頬を赤らめる姿だった。
「ああ、殿下。熱い抱擁、嬉しゅうございます」
アカッシャも王子の体に抱きつき、口を近づける。
「あ、アカッシャ?」
「はい。アカッシャにございます。愛しの殿下」
「ああ、どうやら夢であったか」
王子は目を閉じ、またベッドに横になった。
――よく分からないけど、面倒くさそうな二人ね。
王子は寝かせたままの方がややこしくなさそうだと、ユメカは直感した。
「アカッシャ、王子をおんぶできる? そのまま連れて行きましょう」
「は、はい。愛があればこれしきのこと」
アカッシャは、王子を背負った。
ユメカはベッドのシーツを抜き取るとおんぶ紐のように王子の体を包み、アカッシャの体に結んだ。
「急ぎましょう」
外に出る。
やはり警備はいない。
砦の外に出る。
ガサッ、ザザザザザッ。
不気味な音に振り替えると、砦の裏手から巨大なムカデが姿を現した。
頭だけでミニバンくらいの大きさがある。
動きは素早く、シャカシャカシャカと無数の脚を動かして近付いてくる。
砦の背後に広がる森の木々が揺れているため、尾はまだずっと遠くにあるのだろう。
その巨大ムカデが、砦の背後で頭を左右に振ってユメカ達を物色しているようだった。
「出たなムカデヤロー。王子を手に入れた今の私は一味違うと、見せてやる。いでよ【煌めく火箭】」
アカッシャが片腕で王子を支えたまま逆の腕を振ると腕輪から光が放たれ、矢のような火が虚空に現れてムカデへと飛んで行く。
だが、【煌めく火箭】も巨大ムカデの強固な外皮に弾かれてしまう。
それでも一時的に動きを止める効果はあった。
巨大ムカデは腹を地に伏せて火から守る態勢で構えている。
「ああ、不発だわ! 私の必殺技を王子に披露したいのに、魔力切れだなんて。仕方ない。私は王子を助けますから、あとは任せます!」
アカッシャは一目散に山を駆け降りて行った。
程なく、先程とは別人のように猛烈な速度で小舟を漕ぎ去って行く姿が見える。
「オネーサマ、あれは何ですの?」
「恋は盲目にして盲信の暴徒かな」
「不気味な生態ですね」
「ああいう人達とは、離れて生きていくのが正解ね」
「しかも宣言通りわたくしたちを捨石にしていきました」
「違うよ、黒クリちゃん。美少女は捨石にはなれないから」
「では、何になるのです?」
「常に輝いている宝石よ!」
「ですがオネーサマ、この状況は――」
「美少女の歴史がまた一ページ、追加されるわ!」
「そうなのですね、オネーサマ」
「だから――」
ユメカが視線を巨大ムカデに向けた。
「はい。あれを倒すのですね」
「そう。ところで黒クリちゃんは、何かいい考えがある?」
「初めての相手ですからどうでしょう。でも、アカッシャとの格の違いをオネーサマにお見せますわ」
クリスティーネが魔杖を構えた。
「世界を包みし大いなる根源たる力、我は今それを欲する。
無辺の彼方より我が元に集りて我が力となれ。
我は命じる。
大気に満ちし怒りの炎よ、無数の矢となり放たれよ。
【煌めく火箭】!」
クリスティーネの魔杖から光が放たれ、巨大な魔法陣が空間に描き出されると、虚空に無数の火の手が上がる。巨大ムカデを円弧状に囲むように生まれた火が、矢のように鋭く放たれ巨大ムカデに突き刺さる。
「おお、すごいすごい!」
ユメカが拍手する。
アカッシャの魔術とは圧倒的に火力と数が上回っていた。
魔法で生み出された火矢が巨大ムカデを包み、藻掻くように暴れるムカデの体から飛び散る火が砦と塀を焼く。
砦から数人の人間が跳びだしてきた。
「黒クリちゃん、人が――」
「はい。【鎮静の噴霧】」
砦と塀の火が収まると、三人の男が駆け寄ってきた。
「あ、あんたらがやったのか?」
怒り口調の男の問いを、ユメカは無視した。
「他にまだ誰か中にいる?」
「いや、これで全員だ」
「なら、良かった」
「良くない。ここで魔術を使うからだ」
「飛び火は不可抗力よ」
「そうじゃない。魔術を使うと、巨大ムカデが襲ってくるんだ」
「逆よ。ムカデが襲ってきたら魔法を――って、アカッシャか!」
門を壊す際にアカッシャが魔術を使ったのをユメカは思い出したのだ。
「でももう、仕留めました」
クリスティーネが誇らしげに胸を張る。
「む、無駄だ。あのムカデに魔術は効かない」
ブンッ、と音がして振り向くと、残った火をムカデが体を揺すって振り飛ばしていた。
飛び散った火の粉が振ってくる。
ユメカは素早く剣を抜きざま振り抜いて、風圧で火の粉を払った。
「あんたたち、舟はある?」
「裏手にあるが――」
「それに乗って、早く逃げなさい」
「あんたらは?」
「あたしたちは、ムカデを倒すわ」
「だが、かわいらしいお嬢さんを置いて逃げたとあっては男が廃る」
「美少女よ!」
「は?」
「だから、邪魔!」
追い払うようにユメカが剣を横一閃振るう。
「わあ、危ない」
「さっさと逃げなさい」
「だが、女子供を置いて逃げたとあっては男が廃る」
「そんなどーでもいい価値観捨てなさいよ。それに、あのムカデを倒せる自信があるの?」
「わ、分かった、行くぞ」
一人の賢明さか臆病さが発揮されると、男たちは駆け出した。
三人の男は、斜面を下っていく。
「さて、邪魔はいなくなった」
ユメカは振り返る。
ムカデが暴れて撒き散らす火の粉を、クリスティーネが風を起こして吹き飛ばしている。
表情には少しだけ、焦りがあるとユメカには見えた。
「どう、黒クリちゃん」
「あの鎧のような外殻が、魔法攻撃を防ぐようです」
「物理攻撃が必要なのかな?」
「ですので、山を崩して岩石と土砂の下敷きにしようと思います」
「それだと被害が大きすぎるから、あたしがやる」
「ですがオネーサマ」
「黒クリちゃんは、あたしのサポートをしてよ。後ろで守っていてくれると、あたしは安心して戦えるから」
「はい、オネーサマ」
クリスティーネは高揚する微笑みで顔を満たした。
「グラビティーソード、ヘヴィーウェイト!」
ユメカは飛び上がり、巨大ムカデの頭にグラビティーソードを振り下ろした。
ゴゥンンン。
金属のように高質化した外骨格が響く。
「うわ、かったいなあ」
着地したユメカは剣の柄から痺れた右手を離して振った。
巨大ムカデは平然としている。
予想よりも巨大ムカデの外殻は強靱だった。
次の手をどうするか考える間もなく、巨大ムカデはガシガシと牙を動かし威嚇してくる。
そして、無数の足をわさわさと動かし地を這い、迫ってきた――。




